第22回 鹿児島市 「鹿児島県立博物館 蔵出し企画展『大隅半島』」
これまでの投稿傾向からこのブログで県立博物館の紹介をすることは、皆様の想定範囲には入ってなかったと思う。そこで、わたしが博物館に出入りするようになったきっかけと、現在の状況などをお話ししておこう。
鹿児島県立博物館は、軍服を着て桜島を見つめる西郷隆盛像を正面に見て、国道10号線を左手にちょっと歩いたところ、島津斉彬公を祀る照國神社表参道の右手に静かに建っている。本館はすっきりとした藤色の3階建てだ。鹿児島独特のイヌマキが姿よく植え込まれ、正面と参道側に設けられた水路には緋鯉が泳いでいる。
先日会社からのいつもの帰り道を車で運転していたところ、周りの風景に違和感を感じ引き返してその感じた場所で車を降りてみました。
周りをゆっくり観察してみると、いつものこの時期には見ない花「桜」が咲いていました。
第21回 霧島市 「なつかしの肥薩線 大隅横川駅から植村駅近くの温泉」
鉄道雑誌の紀行文風にあるようなタイトルになってしまった。
お断りしておくが、私は乗り鉄、撮り鉄、呑み鉄など熱心な鉄道ファンではない。前回嘉例川駅を紹介したところ、読者のお一人から「横川駅もいいですよね。」とご推薦をいただいたので、かの駅と同時期に整備された鹿児島県最古のこの駅を訪れることにしたのだ。そして、遙か昔、高校時代に乗った肥薩線の風景を懐かしく思い出したのである。
あのころ、伊佐方面から霧島山へ登るには、国鉄山野線で栗野駅を経由し、肥薩線に乗り換えて霧島西口駅(現在のJR霧島温泉駅)で下りていた。乗換と言っても、われわれ乗客はそのまま椅子に座っていればよい、車両がスイッチバック方式で山野線から肥薩線のレールに乗り替わってくれるのだった。このとき、景色の流れが今まで見ていた方向とは逆向きになったのを憶えている。栗野駅を出ると、一駅目が大隅横川、すぐに植村駅、次が霧島西口駅だった。ここではじめて下車し、高千穂河原行きのバスに乗り換えて、登山口にたどり着いていた。その時代、山好きの面々はみな横長のキスリングザックを背負っていた、混雑した駅などでの歩き方から蟹族と呼ばれていたなぁ。
第20回 霧島市 「嘉例川駅から天降川沿いの楽しみ」
お盆も過ぎたのに、南国鹿児島には秋風は吹かず、身体に応える酷暑が続いている。
こんなときは清流沿いの温泉で、涼やかな川風に吹かれながら露天風呂に浸かれば、体調もおおいに整い、明日への活力も湧くに違いなかろうと、日帰りの湯治に出かけることにした。
第19回 南大隅町 「真夏の果実と本土最南端 佐多岬」
2024年7月17日、南九州の梅雨明けが発表された。
濃い青の空に薄く絹雲が懸かり、山上にはぽこぽこと白い積乱雲が湧く。戸外は焼け付くような陽射しが照りつけている。この日、鹿児島に慌ただしく真夏がやってきた。
海水浴場の砂浜に、ソルティドッグの用意をして、皆でくり出してみるのも面白いかもしれない。が、今回は大隅半島南端にドライブすることにした。錦江湾沿いの佐多街道(国道269号)を南下する片道65kmのコースだ。
7月22日、大崎町にある「放課後等デイサービスはぐはぐ」の皆様が工場見学に来社されました。
とても暑い日で受け入れる当社スタッフも日陰や風の通るところを選んで説明を。元気いっぱいの子供たちを引率の先生方と一緒に、工場内見学いただきました。
ぜひまた遊びに来てくださいね!
今年も北海殖産株式会社様より道南杉材(北海道道南地区)約1,400m3が、鹿児島県志布志港に届きました。
北海殖産株式会社様の山林は森林認証に登録されており、山佐木材も森林認証材としてお受け取りをさせていただいております。また近年の動きとして、今後、森林認証材を使用した木造建築物等が増えてくる動きでもありますので、例年通りではありますが大切に使わせていただきます。
また、北海殖産様は自社で苗木つくりから行っている会社さんでもあります。近年再造林が重要視される中でありますが、計画的な再造林、育林、伐採に努めていらっしゃいます。
昭和62年から続く北海道からの木材の購入ですが、以下のようないきさつがあります。
(なぜ北海道から鹿児島へ木材が?→「前田家林業所(北海殖産株式会社)創立100周年記念誌」)
生産者の思いを汲んで今年も大切に取り扱いし、大事に製材にとりかかりたいと思います。
(製材部 森田)
第18回 出水市 「東雲の里」紫陽花に雨 蕎麦に七味唐辛子
今年、南九州は6月9日に梅雨入りした。それ以降地元肝付町でも、雨や曇りの天気が続き、ときには線状降雨帯が発生して激しい豪雨に襲われることもあり、土砂崩れなどの災害も発生している。
雨降りが続いているからだろうか、道ばたに植えられたあじさいは、いつもの年にくらべて、ゆたかに花をつけくれているようだ。あじさいの花々を見ていると、大雨への不安でざわつく気持ちが少し落ち着いてくるように私には思える。あの丸くふんわりとした形がそう感じさせるのかもしれないし、あるいは白に近い花群でさえどこかに柔らかい紫をふくんでいることがそういう気持ちにさせるのかもしれない。
そんな梅雨のさなか、友人から電話があった。出水の東雲の里・草の居への誘いであった。出水市から伊佐市へ向かう山ふところ、ご主人が自ら拓かれ、植樹し、手入れをされている庭園である。
ぶらり薩摩の国「出水市 梅雨のさなか 紫陽花とざる蕎麦 東雲の里草の居」
あじさい祭が開催されている時期なので二つ返事で誘いに乗り、同行することにした。
山間の庭園は、傘をさすのを迷うほどの静かな雨であった。こちらのあじさいも去年からすると花数が大層増えているようだった。遊歩道沿いも、山肌も小雨に濡れた花々でいっぱいである。
第17回 霧島市 花は霧島 ほどほどの山歩き
鹿児島の代表的な民謡に江戸初期から歌われているという「おはら節」がある。(※1)
出だしが、「花は霧島、煙草は国分、燃えて上がるはオハラハー桜島」で始まるあの歌である。4百年もの昔から薩摩人の自慢は、なによりも霧島山に咲く花々、本霧島と呼ばれる躑躅であったらしい。
また、昭和9年に日本で最初に「霧島国立公園」として、保全、公開されることになったいきさつも、その山容はもちろん、そこに咲く植物の豊かさと美しさあってのことだろう。
霧島山は最高峰韓国岳(1700m)、龍馬とお龍が新婚旅行で登ったことで知られる高千穂峰(1574m)が有名だ。しかし、いざ登山となると体力と時間の余裕がないとなかなかチャレンジするのがむずかしいのが実情だ。そこで、ほどほどの山歩きでそれなりの達成感を得ることができて、「花は霧島」をまわりに自慢できる三拍子そろったコースを歩いてみた。
第15回 姶良市加治木町 椋鳩十文学記念館と龍門司焼
加治木郷土館から仮屋町の通りをさらに西へ200mほど行くと、「椋鳩十文学記念館」と書かれた看板が立っている。案内に従って右に折れたさき、松の木に囲まれた記念館の入り口が見えてくる。
椋鳩十といえば、『大造じいさんとガン』。小学校の教科書に載っていた。主人公のガンの名前は「残雪」だった。どんな展開だったか。はっきり思い出せないなぁ。などと考えているうちに門口に着いてしまった。そこの木陰に、タイル張りの碑が置かれていた。
第15回 姶良市加治木町 仮屋町通りから加治木郷土館・図書館へ
天ぷら蕎麦の大黒屋からひとつ南の交差点を西に折れると姶良市加治木町仮屋町にはいる。
通りの北に加治木高校、柁城(だじょう)小学校と並び、南には大樹に囲まれた家屋敷が残されている。薩摩藩では、主要な城下に麓(ふもと)と呼ばれる武家屋敷群が置かれていた。県内では出水市や知覧などの麓は古い景観を保存しながら、観光地化されたまちには大型バスで訪れる人も多くなっているようだ。
2月17日(土)に南大隅町ふれあいドーム根占にて「南大隅町木育フェスティバル」が開催されました。
イベント内容は南大隅町内の保育園・学童の子どもたち約80名を対象に、南大隅町つじみ保育園主催のもと、「NPO法人 おおすみ100年の森」協力による木育イベントでした。木の香り、木の良さ、また木の温もりを感じてもらいたいと思い、山佐木材から「NPO法人 おおすみ100 年の森」の会員として子ども大好きな5人のメンバーが参加しました。
『木育』とは、子どもをはじめとするすべての人が『木とふれあい、木に学び、木と生きる』取組です。子どもの頃から木を身近に使っていくことを通じて、人と、木や森との関わりを主体的に考えられる豊かな心を育むことです。
当日は、たくさんのお子様に参加していただき、元気いっぱいの子どもたちと触れ合う楽しい一日となりました。
第14回 姶良市加治木町 知足の極み 天ぷら蕎麦「大黒屋」
姶良市加治木は鹿児島空港の南に隣接する町である。高速道路やバイパスが整備されて景観は昔とは変わってきたのだろうが、町全体から深い歴史が伝わってくるような興味の尽きないまちだと思う。特に、加治木高校から柁城(だじょう)小学校に続く通りの石垣と家並みは鹿児島県内のほかの武家屋敷群とは一線を画す格調の高さを感じるものがある。
そのような加治木を見て廻りたい。
溝辺鹿児島空港から、県道55号線の坂を下り、高速道路の高架をくぐると加治木市街である。東には加治木工業高校の校舎が見えている。この往還の左手に大黒屋の暖簾がゆれている。油断をすると見落としてしまいそうなほど歩道からすこし奥まった位置に掛かっている暖簾である。車で訪れる人には店の裏手にある駐車場をしめす案内板がよい目印になるだろう。
2024年2月2日の南日本新聞朝刊内の「南日本こども新聞」の「誌上de社会科見学」コーナーに山佐木材株式会社を取り上げていただきました。
丁寧に会社工場見学と取材をしていただき、「SDGs」の時代の流れの中で「脱炭素社会」の実現のために注目されている「CLT」を中心に取り上げていただき、素敵な紙面でした。
第13回 曽於市財部 県境の駅構内にある食堂「麺処桂庵」
曽於市は大隅半島の北に位置している。北端の曽於市財部町は宮崎県都城市と県境で接する。というより、薩摩人としては、都城盆地の西側にある財部のまちといったほうがぴんと来る。もともと都城市は島津氏発祥の地といわれており、藩政時代の島津三州、いわゆる薩摩、大隅、日向のうち日向の要衝であった。
さらに現在の都城市庁舎は都城島津邸に近接している。もちろん住民の話し言葉は薩摩語である。いまでも、都城市や小林市、えびの市を語るとき、その地と一つ国であるという意識が、私も含め薩摩人の心の底にはあるように思えてならない。
したがって、古来国境を挟んで対峙し、往来を厳しく制限していた熊本との県境にくらべると、行政の境を除けば、「けんざかい」の意味はあってないほどに薄いように感じている。
1月13日(土)鏡開きの今日は、朝から10時の休憩に向けて「鏡開き」のぜんざい作り。今年は、なんと2020年以来の鏡開きぜんざい振る舞いとなりました。今年も事務所の皆さんが準備や買い出しをしてくださいました。
工場のあちこちに飾っていたお餅を回収し、また各家庭のお餅もご提供いただいて、四年ぶりの餅焼き。
ストーブの準備、オーブントースターなどの餅焼き組と小豆を準備してのお汁粉づくりが開始されました。
昨年末の令和5年12月27日、南大隅町にある「つじみ保育園」の放課後児童クラブ「わんぱく塾」の皆様が工場見学に来社されました。
「わんぱく塾」の皆様は、地元の自然を生かした様々な体験活動をされており、その体験活動の一環として当社の工場を選んでいただきました。
寒い季節の中の冬暖の日で受け入れる当社スタッフも一安心。元気いっぱいの子供たちを引率の先生方と一緒に、工場内の安全な場所を選んで見学いただきました。
ぜひまた遊びに来てくださいね!
この度、肝付警察署様より当社が所属する肝付地区安全運転管理協議会の会員事業所が交通安全・防犯「ながら見守り活動」協力事業所に認定され、12月13日に肝付警察署にて認定証とマグネットシートの交付を受けました。
新型コロナウイルス感染症から日常生活が戻りつつある中、令和5年11月23日(木)勤労感謝の日に「おおすみ木材まつり」が鹿屋市の霧島ヶ丘公園で開催され当社も出店しました。
鹿屋市農業まつりとの共催で大勢の方に来場いただきました。
今年で9回目を迎えた「ウッドデザイン賞2023」の発表があり、弊社が関わる建物が3物件受賞いたしました。中でも「東海大学阿蘇くまもと臨空キャンパス食品加工教育実習棟」が、優秀賞(林野庁長官賞)に選ばれました。
第11回 鹿屋市祓川 山寺鉱泉(標高74m)から高隈山 御岳(標高1,182m)を目指す
10月を迎えたとたん、大隅半島は急に秋めいてきた。肝付町から眺める高隈山も、澄んだ空気の中コントラストの効いた引き締まった山容を見せている。
そういえば夏のはじめに、山寺鉱泉湯守の谷本さんから「うちの駐車場に車を置いて、瀬戸山神社から高隈に登ってみれば」と勧められたのだった。タカクマホトトギスの花季は過ぎてしまったけれど、山頂を目指すのには申し分ない季節になってきた。指宿温泉郷シリーズはひとつお休みにして、谷本さんのお勧めに乗ってみようと思う。
朝7時。山寺鉱泉から集落にはいると、あたりは金木犀の香りに包まれている。二人並んで歩くのにちょうどよいくらいの通りをぬけて、瀬戸山神社へ向かってまっすぐにのびる寺街道にでた。朱の鳥居と高隈山の上には、少し雲はあるものの山歩きには申し分ない青空がひろがっている。
第10回 指宿市 温泉郷の大衆浴場(2) 指宿温泉郷 「区営鰻温泉」
指宿温泉郷で気になる大衆浴場を訪ねている。
指宿市は、2006年に旧指宿市、山川町、開聞町の三市町が合併して新設された。前回の弥次ヶ湯温泉の所在は旧指宿市街である。そこから車で20分ほど山手に行くと池田湖と鰻池という大小二つのカルデラ湖が並んでいる。池田湖は九州一の大きさで、昔「ネッシー」ならぬ「イッシー」存在の噂が流れたこともある観光スポット。一方、鰻池は直径約1.3km周囲を緑がふちどるこぢんまりとした火口湖である。かつては、水質もよく鰻の養殖も行われていたという。
この度、協会けんぽ鹿児島支部様主催の「かごしま健康企業宣言」に登録いたしました。
協会けんぽ鹿児島支部様とも連携し、全従業員が心身ともに健康で働き続けることができる会社を目指すことを宣言するとともに、以下の内容に取り組んでまいります。
1.従業員の健診受診率を原則100%にします
2.健診受診後の特定保健指導を100%受けます
3.職場の健康課題の改善に取り組み、健康づくりをすすめます
第9回 指宿市 温泉郷の大衆浴場(1) 指宿温泉郷 「弥次ヶ湯温泉」
新型コロナ感染症が5類に移行されてから、国内の観光地や温泉地をめぐる番組が増えてきた。そのなかでも砂蒸し温泉をメインにした指宿の紹介が多いように感じる。
指宿は、霧島とならぶ鹿児島県内有数の温泉郷である。指宿市観光課のデータでは、令和元年は、入込観光客数は年間370万人を超えていた。市の人口3万7千人のおよそ100倍にあたる人々が国内外からここを訪れていたのは、数多い老舗の温泉旅館やホテル、絶景の海岸線がひろがる露天風呂、そして、世界で唯一ここでしか体験できないといわれる天然の砂蒸し温泉など観光資源の豊かさからだろう。コロナ禍の影響で、令和3年、観光客は年間220万人まで減少してしまったが、温泉郷としての魅力は衰えてはいないはずだ。ウィズコロナとなったこれから、観光客数も回復し街に以前の活気がもどってくることを願いたい。
ところで、指宿市という一大湯の町に暮らしている地元の方々は、普段どんな温泉ライフを過ごしているのか気になるところだ。毎日砂風呂に埋められるわけにもいくまい。手軽で身近な、入り心地のよいお湯があるに違いない。インターネットで「指宿 大衆浴場」と検索してみると17の浴場が掲載されているページが現れる『いぶすき観光ネット』。
入浴料はだいたい300円から350円、なかには150円で入れる浴場もある。この価格なら毎日だって銭湯感覚で利用できる手軽さはある。けれども、湯屋のおもむき深さやお湯の入り心地などについては、やはり実際に行ってみないことには、パソコン画面からは伝わっては来ない。ということでまず、ネットに掲載されている大衆浴場、弥次ヶ湯温泉を訪ねてみた。
鹿児島市内から南に向かって国道225号線を経て国道226号線を南下。車は左手に波静かな錦江湾を、さらに対岸には桜島、大隅半島の山並みを観望しながら走る。国道のすぐ右横を並走しているのはJR指宿枕崎線だ。ディーゼルカーに揺られながら、缶ビールを置いた車窓から見る南国の景色もきっといいものだろう。
指宿市内に入るとすぐに「道の駅いぶすき」が見えてくる。ここで販売されているソフトクリームは、オクラが練り込まれているクリームの横に、寄り添うように塩ゆでオクラが乗っていて、けなげで健康的においしい。
市街地に入ると、田口田交差点から左折して「なのはな通り」に入る。JR指宿枕崎線を越えると正面に海に向かって平地がひろがっている。この道を直進すれば、老舗温泉やホテル、砂蒸し温泉などが建ち並ぶ指宿温泉街に通じているのだが、すぐに左折して市役所方向にむかう。
市役所を過ぎると300mほどで左手に「♨創業明治25年弥次が湯温泉」と書かれた茶色の看板が見える。矢印にしたがって小径にはいるとすぐに駐車場、その奧に2棟の木造の湯屋が建っている。温泉街からはほどよく離れていて、田んぼに面した静かな立地である。
参考にした三国名勝図会に「水田の間に湧出す、(中略)、往昔 弥次といふ者掘出せり。故に其の名を得たり。」とあることからも、いま目にしている風景は昔のままなのだろう。
第8回 鹿屋市 落花生と双子の木橋
台風6号が迷走しながら通過しているうちに、暦の上では秋になってしまった。この時期、肝属鹿屋の笠之原台地の畑では落花生の収穫の真っ最中である。水が乏しく、台風の風が激しく吹きさらすシラス台地の畑作は、草丈が低く土の中に収穫の対象が埋もれているサツマイモと落花生が風害リスクの少ない作物として生産されてきた歴史があるようだ。
酒造用、デンプン用の甘藷を主体とすれば、落花生の作付けはさほど多くはなく、その収穫はほとんど手作業でおこなわれている。夏のはじめ頃から、広い畑に腰をかがめて、株を引き抜いては子房柄(しぼうへい)に付いているたくさんの鞘(さや)をひとつひとつ根気よくちぎっている姿をあちこちで目にするようになる。
第7回 鹿屋市 夏空の高隈山と山寺鉱泉
大隅半島の中央部、錦江湾よりに位置する高隈(たかくま)山地。最高峰大箆柄岳(おおのがらたけ 標高1,236m)を含め、標高1,000m超の7峰が連座する山塊は、四季を通して、あるいは眺める者の位置によって、それぞれに違う姿を見せてくれる。
また、古くから修験道の霊山として知られ、それぞれの山頂には、祠が残っていて、修験の荒行が行われていた昔をしのばせる。
わたしも友人や家人と、あるいは単独で登ってみたが、どの登山道も整備されてはいるものの易々とはいかない厳しさが印象的だった。しかし、山頂からの眺望はすばらしく、垂水側の大箆柄岳からは桜島の噴火口を眼下に見おろし、運がよければ錦江湾のはるか南に屋久島をとらえることもできる。また、鹿屋側の御岳(標高1,181m)からは鹿屋、肝属平野の広さのさきに、ゆったりと弧を描く志布志湾を望めるのである。登り甲斐のある山々だと思う。
ふもとに住まう人々も、この山の特別な存在感を感じているように思う。わたしの子供たちが通った地元高校の校歌を見てみよう。
鹿屋農業高校 「仰げば高し 高隈の むらさき匂う峯の色~」
鹿屋高校 「山高隈に月影落ちて 北斗消えゆくあけぼのの空~」
どちらも「高隈」の二文字が、畏敬と愛着をこめて読み込まれている。きっとほかの高校も、このあたりの小学校や中学校の校歌にも、同様の思いを伝えるためのこの二文字が入っているのではないだろうか。
梅雨の時期なかなか全貌を見せることのなかった高隈山が、夏空のもとくっきりと姿を見せてくれるようになった。わたしには翼を大きく広げた鷹のように見えるのだが、鳥の見過ぎだろうか。
第6回 出水市 梅雨のさなか紫陽花とざる蕎麦 東雲の里草の居
薩摩半島西岸の最北に位置する出水市。鶴の飛来地として名高い町だ。2006年に旧出水市と野田町、そして高尾野町が合併してあらたな出水市となった。旧3市町ともそれぞれ「麓(ふもと)」と呼ばれる武家屋敷群が大切に残され活かされている。
そのような町並みにしっくりと落ち着く木造の支所が、2019年に野田、2020年に高尾野に新築された。両方の構造体を弊社で施工させていただいたのでご紹介したい。
第5回 霧島市牧園町 ラムネ温泉 千寿の里で龍馬をおもう
鹿児島県内には温泉が多い。錦江湾岸、薩摩半島、霧島から北薩摩、大隅半島、離島まで、温泉と名のつく入浴施設がない町があるのだろうか。指宿温泉や霧島温泉のような収容人数の大きな温泉旅館から、集落でよりあって運営しているようなところまで多種多様な「温泉」に行く先々でお目にかかれる。
そもそも錦江湾が巨大なカルデラだというのだから、そのまわりに温泉が湧くのは不思議ではないのだが、実際の数はどれくらいだろうか。
調べてみると環境省のデータでは、源泉数は2,745、42℃以上の高温源泉が1,806もある。利用されている源泉でみると1,198。国内では大分県に次ぐ源泉数を誇っているという結果だ。まったく実態が予想を上まわってしまった。(環境省自然環境整備課温泉地保護利用推進室 令和3年度温泉利用状況より抜粋)
そんなわけで、薩摩の国では、犬も歩けば棒に当たる前に温泉に当たるようだ。今後とも有名無名にとらわれず、個人的に気に入っているか、気になっている温泉を取り上げていくことにしようと思っている。
国道223号線は、宮崎県小林市から霧島市まで、霧島山の南麓に沿っていくつもの温泉地をめぐりながら蛇行して南下している。国立公園の森や渓谷を左右に見ながらその道を走れば、四季折々の美しい風景と温泉を楽しむことができるだろう。道筋は、鹿児島県側領域はすべて霧島市で、かつ旧牧園町内を通過している。国道沿いのランドマークとして、2021年3月に完成した霧島市役所牧園総合支所をご紹介したい。
5月は山佐木材の新年度スタートの月です。
5月1日(月)8時より従業員全員集合し、令和5年度の方針発表会を行いました。
一人一人に方針書が配布され、榎原専務より前年度の令和4年度の成果発表が行われました。
第4回 南さつま市加世田 かあちゃんのお昼ご飯 辻食堂
国道270号線は、日置市を南に抜けて、南さつま市金峰町にはいる。
この町の東、大坂地区にある「金峰2000年橋」をまずご紹介したい。山佐木材が施工し、2000年1月に竣工した木橋だ。上を走る車道を湾曲集成材のアーチで支える形式では最大級で、幅8.5m、長さは42m、設計荷重は25t。ダンプカーも通行している現役の県道である。橋、その向こうの大鳥居、その奧に見えるご神体の金峰山、この3つがつながる風景にはなかなか出会えない。ぜひご覧になっていただければと思う。
令和5年3月9日、宮崎観光ホテルにて「宮崎銀行ふるさと振興助成事業」表彰式が執り行われました。弊社を含め宮崎・鹿児島両県の13社が表彰を受けました。
この宮崎銀行ふるさと振興助成事業とは、宮崎銀行様が地域産業の開発と振興に貢献することを目的として設立し、「産業開発部門」「地方創生部門」「ベンチャー企業部門」「学術研究部門」の4部門で助成を行っております。
今回、第41回目の助成先として弊社が「産業開発部門」の『国産材を使ったCLTの開発・製造・設計・施工』で表彰を受けることとなりました。
これからも国産材を使ったCLTの開発・製造・設計・施工を一体的に取り組み、地域における産業の担い手として活躍してゆく所存であります。
(森田)
第3回 吹上町 透き通る碧の湯 もみじ温泉
日吉からさらに南下し旧吹上町にはいると「温泉のやど」などと書かれた看板が目につくようになる。鹿児島市街からも県道22号線で伊作峠を越えれば30kmほどの距離だから、疲れを癒したい人にとっては、日常生活からしばし離れてゆっくりと休める湯治の里といったところだろう。
鹿児島県内には霧島や指宿のように全国的にも有名な温泉街のほかに、ひなびた湯のまちが多い。そこには地元の人たちが毎日通っても飽きないほどの魅力にあふれた立ち寄りの温泉がある。ここにもいいお湯が湧いているはずだ。期待を胸に看板の案内のまま車をすすめてみるとしよう。
令和5年1月17日、鹿児島県庁18階かごゆいテラスにて、鹿児島県と山佐グル-プ+山佐木材㈱という山佐5社との間で「脱炭素社会の実現に資する等のための建築物等における木材の利用の促進に関する法律」に基づいた県内初となる「建築物木材利用促進協定」締結式が執り行われました。同時に鹿児島県と一般社団法人鹿児島県林材協会連合会との締結による今回2団体であります。
この建築物木材利用促進協定とは、協定を結ぶ私共と県との協働・連携により木材の利用促進するために、民間建築物において鹿児島県内にて産する木材(かごしま材等)をさらに利用拡大することを目的としております。
また連携強化を図る私達山佐5社は、建築物へのかごしま材を中心とした地域材の利用に向けて、林業経営、人材育成、木材供給・利用において連携を図りつつ一体的に取り組み、地域における森林資源の持続可能性を確保しながら、2050年カーボンニュートラル実現に貢献したいと考えております。
(有馬)
第2回 手作りバイキング 味処正ちゃんで昼ご飯
鹿児島県の地図を広げると、西側が薩摩半島、東側が大隅半島、南に薩南諸島が続いている。その地図を右に90度回転すると、薩摩半島は子牛の首頭のように見えてくる。きれいに弧を描く首のあたりが吹上浜、47kmにおよぶ砂丘である。海岸線に沿って、国道270号線がいちき串木野市から日置市をへて南さつま市まで、南へゆったりと延びている。
日置市は、2005年に伊集院、東市来、日吉、吹上の4町が合併して誕生した平成大合併のまちである。東シナ海を望む薩摩半島の西に位置し、ちょうど鹿児島市と背中合わせに隣接している。
みなさま、素晴らしいご新年をお迎えのことと存じます。
ご無沙汰しておりました。M田です。
気分も新たに、さつまの国の道々で立ち寄った、じわりといい感じのところをご紹介できればと思います。本年もよろしくお願い申し上げます。
九州・沖縄の情報や技術・研究等が集中する福岡市に営業所を開設致しました。
これまで東京出張所や熊本営業所を拠点に営業活動していましたが、
3年ほど前に閉所し、鹿児島からの情報提供のみとなっておりました。
福岡営業所を開設することで、タイムリーに情報交換に繋げられることや提案活動にも幅が生まれ、
より一層の繋がりや安心をご提供出来るものと期待しているところです。
熊本県出身の宇田(うだ)が常駐することになっていますので、木材料や木質構造等について
ご質問やご不明な点、ご確認したことなどが有りましたら、お気軽にお問い合わせ下さい。
所 在 地 〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉2丁目3-16 紙久ビル402号室
電話番号 092-600-9310
F A X 092-600-9311
(山佐木材株式会社 営業部一同)
平素は格別のご愛顧を賜り厚くお礼申し上げます。
熊本震災以降、長らく閉所しておりました「熊本営業所」の代わりとして
福岡市中央区に「福岡営業所」を再出発する運びとなりました。
これまでお問合せ頂きながらも、なかなか伺えなかったお客様へのご挨拶や、全国のお客様へ、
より一層迅速にご対応できるよう努めて参ります。
2022年10月1日の開所を目指して、現在準備を進めておりますが、
詳細をお知らせできるようになりましたら改めてご案内いたします。
今後とも変わらぬご愛顧ならびにお引き立てを賜りますよう願い申し上げます。
(山佐木材株式会社 営業部一同)
こんにちは!ウッディです!
今回は「山佐木材」として2022年3月1日~3月4日に東京ビッグサイトで行われました「NIKKEI MESSE 建築・建材展」に参加してきました。
「woodistへの道」も探索してきましたので今回はそのレポートです。
こんにちは!ウッディです。今年もちゃんと冬が来ましたね。
冬は木のぬくもりや焚火を最高に楽しめる季節だと思っています。
今回も元気に外で「woodistへの道」を模索します。
いつもは大隅の地が活動拠点ですが、今回は少し足を延ばしました。
新年明けましておめでとうございます。この年末年始は久々に帰省ラッシュなどの人の大移動がありました。「2年ぶりの帰省」といった話もよく聞こえてきました。ご家族、ご親戚、地元の友人との親交の大事さを改めて感じられたお正月だったように思います。しかし、いよいよ2022年は本格的な景気回復基調か、、と新年の期待を抱いている矢先のオミクロン株。ただ、今回は全く初めてのことではありませんので、三密を避ける等の基本動作を軸に冷静に対応していければと思います。感染拡大回避、医療機関ひっ迫を避けるためにも、引き続き一人一人が感染予防の取組を心掛けて参りましょう。
こんにちは!ウッディです。過ごしやすい日が続いています。
山佐木材がある大隅半島と言えば桜島がある錦江湾。志布志湾に太平洋。三方を海に囲まれた自然には事欠かない場所です。
今回は海でウッディストへの道を探してみようと思います
文化の日を前に11月1日、学術、芸術、社会活動など様々な分野で鹿児島の発展に貢献した2個人1団体に主催する南日本新聞社の佐潟隆一社長様から南日本文化賞が贈られました。
山佐木材株式会社は産業経済部門での受賞でありました。
南日本新聞社主催の南日本文化賞受賞を受けて、城山ホテルの元専務である上原様からお手紙を頂戴しました。
大変素晴らしい(嬉しい)内容で、久しぶりに電話でお話しました。
メルマガ公開のご了承をいただきましたので、ご紹介します。(佐々木幸久)
10月26日、南大隅町にある「つじみ保育園」の小さな皆様が来社されました。
つじみ保育園様は、地元の自然を生かした様々な体験活動をされており、その体験活動の一環として当社の工場を選んでいただきました。
元気いっぱいの子供たちを引率の先生方と一緒に、工場内の安全な場所を選んで見学いただきました。
皆さんおそろいのつなぎ姿に心がほっこりしました。ぜひまた遊びに来てくださいね!
(総務経理部 森)
こんにちは!ウッディです。行楽です!自然です!キャンプです!
というわけで今回も前回同様東串良町「ふれあいの森キャンプ場」からお届けします。
今回は焚き火にまつわる「木」のお話。
令和3年4月1日、新たに3名の社員を迎えることができ、入社式を行いました。
入社式では社長から辞令交付があり、「製材部」「建設部」「品質管理室」へ配属されました。
部門は違いますが、同期として切磋琢磨しながら頑張っていってくれることを期待しています。
新入社員研修3日目~5日目は、稲田顧問の建築講座や、近隣物件の見学、外部の新入社員研修に参加したり、2年目の先輩社員と対談したりして、座学期間は終了。
ぶじに入社式を終えた新入社員たちは、真新しい制服に着替えて、5月18日まで続く新入社員研修に入りました。初日の研修には中途入社の社員たちも加わります。
全国の工場好きの皆さま、こんにちは! メルマガ委員長のM理です。
この夏は本当に毎日暑かったですね!
弊社も暑さに負けそうですが、何とか稼働しております…(^^;
さて今回は、8月に入社、ただいま研修中のU田さん持ち込み企画。
U田:工場の中の色々な場所を撮影してみて、スマホの待ち受けにしたら、結構かっこいいんですよ!
T田:へー、すごいですね!!
U田:インスタ映えというか、写真映えというか、フォトジェニックなんですよ!
T田:(フォトジェニック・・・)
U田:これダウンロードできるようにしたら良いと思うんだけどな~
T田:メルマガに掲載してよいですか?
U田:えー!もちろんです!うれしいです!!
T田:(熱い!・・・)
ということで、U田さんに全面協力いただいて、14枚の画像を提供いただきました。
私たちが見ても、「あれ?これどこ?」という斬新な切り取り方です。
そして何だかオシャレ・・・
「U田さん、スゲー」と、密かにメルマガ委員会への勧誘をたくらむM理でした。
現地時間 平成31年2月4日(月)7:00 朝食
日本時間 平成31年2月4日(月)19:00
ドレーク海峡を航海
荒れることで有名な海峡だが、行きには船側から驚きを以て表明されたが凪(なぎ)続きであった。帰りに海峡に入ったその朝から大時化(おおしけ)である。ただ船には揺れ留めの装置があり、それが効いて私は特に船酔いはしなかった。
荒天の中、船はひたすら航走するのみ、手持ちぶさたである。希望者には9時半から、14時から、16時半からと次々に勉強会が行われる。
当社では国産材の需要拡大を目指してCLTに関する研究開発を続けておりますが、木構造振興(株)に申請した提案が今年度の補助事業に採択され、第一回目の委員会を開催することになりました。
(事業名「令和元年度合板・製材・集成材国際競争力強化・輸出促進対策のうちCLT建築実証支援事業のうちCLT等木質建築部材技術開発・普及事業」)
委員長は「超高層ビルに木材を使用する研究会」の会長でもある稲田顧問です。
森林総合研究所様、福岡大学様、鹿児島県工業技術センター様、ならびに委員の皆様のご協力、ご指導をいただきながら、柱梁鉄骨造・CLT床構造のビル型建物向けに、CLTを用いた制震壁システムの開発を行います。
コロナウイルスの緊急事態宣言が日本全国を対象として出されました。もちろんこちら大隅半島も例外ではありませんが、ありがたいことに現段階では、会社には通常出勤できています。
令和2年3月14日 観測史上最も早く靖国神社のソメイヨシノの開花宣言が発表され、22日には満開とのお噂でした。
しかし、九州南端鹿児島だけは27日になっても開花は発表されていません。「休眠打破」がぼんやりしているのが原因だそうですが、それならこの冬はどこも暖冬だったはずで、少し納得がいかないところであります。地元では、「鹿児島気象台の標本木は遅咲きの性分らしい。」という説がまことしやかにささやかれ始めました。
ただこの春は、新型コロナウイルスの感染拡大対策で、満開となった桜の名所も花見の宴は自粛をうながされているとのこと。憂さ晴らしもままならないでしょう。
ルメール海峡を通り抜ける
今朝は朝食を早めに取る。今朝は楽しみな行程があるのだ。
南極半島と、島の間の狭い狭い「ルメール海峡」を船が通り抜けるのである。両岸から雪をまとった岩がせり出している。海峡の長さは11㎞余り、海峡幅は最狭部で200mしかないのだという。「氷山や風など航海状況が悪いときには海峡通貨を断念することもあり得ます」と、船内放送が煽(あお)る。乗客も固唾をのんで最前部に集まる。午前6時を過ぎた頃である。
令和2年4月1日(水)桜の花のほころび始めた春の日、新たに3名の社員を迎えることができ、
弊社の会議室で入社式を行いました。
今年度の入社式は、コロナ対策のため参加人数を減らしたうえで実施しました。
お世話になっております。
このたび、弊社紹介用のパンフレットを新しくしましたのでお知らせします。
内容を更新するにあたり、施工実績については設計事務所様や元請会社様、事業内容については社内各部の協力をいただきまして、良いものが出来たと思います。
ご協力いただきました皆様、ありがとうございました。
森昌子が「ヒュルリー、ヒュルリララー」と情感をこめて歌った「越冬つばめ」。テレビの前で裏声を絞り出しながら口ずさんだムキも多いことでしょう。季節にそむいたために冬の寒さに凍えてしまいそうなはかなさがせつせつと伝わってきて、思わず「大丈夫ですかぁっ?」と声をかけたくなるほどです。
ツバメは、春先3月半ばころに南の国から日本列島に渡ってきて、夏中に子育てをし、秋にはまた南の国へ帰っていく夏鳥です。おおかたは冬を待たずに姿を見せなくなるのですが、本州以南では少数が越冬するそうです。こちら肝付、鹿屋あたりでも真冬に見かけるようになりました。しかしながら、この越冬ツバメたちがどこをねぐらにしているのかは、M田研究不足で知りませんでした。
毎朝の日課 船内新聞を見る
部屋の外ドアの横にある文書受けに、毎朝早くに船内新聞が入る。その日の予定などが書いてあって、まずはこのチェックが毎朝の日課になる。
1月30日のものをお目に掛ける。PONANTというのはボレアル号などクルーズ船を運用しているフランスの会社である。
新年のご挨拶を交わしてから早1ヶ月。寒中お見舞い申し上げます。
気象庁からは全国的に暖冬傾向にあると予報が出されましたが、いかがでしたか?
こちら南九州大隅では、特有の黒土の畑が真っ白な霜に覆われる朝もあれば、外水道のバケツには薄い氷が張る日もあるにはありましたが、いつもと比べれば冬らしい日の少ないお正月でした。
そんな中、1月25日旧暦での元旦を迎えたとたん、鹿児島県内では南風が吹いて最高気温が20℃近くまで上昇。外での作業は汗ばむくらいで、上着を脱いでTシャツ一枚の人もおりました。さらに、26日の夜から翌日の明け方にかけては、季節外れの暴風雨が吹き荒れ、フェリーや新幹線など交通機関への支障も出るほどでした。
ほんとの意味で初春を迎え、その陽気に応えるように、庭の梅もほころび始めています。
自宅を出てから5日目。気象に恵まれて予定の30日朝到着予定が半日早く目的地に到着。
午後から南極上陸となる。想像もできない大量のペンギン親子たち。運営会社はツアーや旅行でなく、「エクスペディション」であると位置づけている。辞書を引くと「探検(隊)」或いは「遠征(隊)」と出てくる。
1月11日(土)、鏡開きの今日は、朝から10時の休憩に向けて「鏡開き」のぜんざい作り。
今年も事務所の皆さんが準備や買い出しをしてくださいました。(ありがとうございます!)
工場のあちこちに飾っていたお餅を回収し、また各家庭のお餅もご提供いただいて、一年ぶりの餅焼き。
ストーブの準備(薪ストーブに火をつけるところから)、小豆の準備、昨年苦戦した柔らかいお餅対策として、今年はホットプレートも準備しております。
それでも餅が焦げた!醤油がない!等々、やっぱりバタバタです。
(私は手伝いもせずに写真とってました!すみません!)
アルゼンチン最南端の都市「ウシュアイア」を出て、荒れることで有名な「ドレーク海峡」を二日間かけて南下、細長く南極半島、東シェトランド諸島をめぐり、再びドレーク海峡を北上、出発地のウシュアイア市へ向かう。船中10泊の船旅である。
明けましておめでとうございます。編集長のM理です。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて去年の11月、お休みをいただいて、仕事とは全く関係なくニューヨーク・マンハッタンに行っておりました。
とてもメジャーな場所ではありますが、まず場所の確認から。
前回、ここ大隅の秋は近頃なくなったようだ、というようなことを書いてしまった気がします。しかしながら、四季の国日本で秋が削除される現象が起こってはいけないはずで、11月も末を迎えた頃、それを証明できるものはないのか?コスモス畑とかバラ園とか何となく「秋っぽいなぁ」とは思わされるけれども、どうも印象的すぎて弱い。「大隅の秋はこれです。」と日本中に胸を張って言えるようなものはないのだろうか。と探していました。
そんな思いを知ってか知らずか、大海酒造株式会社 営業の平後園さんから「今年の焼酎の仕込みもほぼ終わりました。工場見学できます。」とのお声かけをいただきました。
立冬を迎えると、ここ肝付の最低気温は11℃前後になってきました。このあたりの山肌の木々は紅葉する前に茶色く散ってしまうものが多いようで、南国の少し残念なところです。
11月1日に木材利用推進中央協議会主催による「令和元年度 木材利用優良施設」の表彰式に、みやこ下地島空港ターミナルのCLT施工者として、三菱地所様、日建設計様のご好意により出席させていただきました。
受賞作品のうち、弊社も携わらせていただいた施設が他にも2作品あり大変ありがたく感じました。
10月19日(土)、当社が事務局をつとめる「超高層ビルに木材を使用する研究会」の第7回総会、記念シンポジウムが下記のとおり福岡で開催されましたので、ご報告いたします。
10月に入りました。しかし、南国鹿児島はさすがに南国だけあって、昼間は熱中症注意報で「要警戒」が呼びかけられるほどの暑さです。この地方の住人たちから、
A:「こんごろ、あっがねごっなったなぁ。はい、なっ、いっきふいじゃ。」、
B:「まこっじゃ」
C:「じゃっど、じゃっど」
という四季の国NIPPONに暮らす者とは思えない会話が聞こえてくるもの無理からぬことかもしれません。(和訳はページ下。)
ここ肝付で、初秋を体感させてくれるのは、夕方暮れかかる頃に吹く風くらいでしょうか。ビール片手に庭に出て、夕月を見上げながら、涼しい空気に包まれるのいいものです。
2019年1月27日(日)
ボレアル号(Le Boreal)に乗船、出港準備、出航
18時に乗船、これは日本時間同日午前6時である。家を出たのが日本時間25日午前8時だったから、正味70時間経過している。
処暑も過ぎ南国大隅でも、朝夕は幾分過ごしやすくなりました。近くのスーパーへの買い物も、「ちょいと自転車で行ってみるか。」などという気分にもなってしまうくらいの肌持ち。歩きにはまだまだ暑いけど、自転車に乗って走る風の涼しさはなかなかいいものです。手軽さと、購入費用を除けば経費は0というのも、自動車にはない魅力かもしれません。
旅のきっかけ
半年前に本欄に以下の投稿をした。ずいぶん時間がたつので、再掲したい。「以下次号以降詳細報告」と予告しながら、半年以上空いてしまった。お詫びしたい。
(2019年2月号から引用) https://goo.gl/W66UBj
何と家内と南極旅行をする羽目になった。自宅を出たのが、平成31年1月25日午前6時。そして帰ってきたのが2月9日の深夜。
今回は夫唱婦随ならぬ「婦唱夫随」の仕儀であった。私が体を動かしたのは必要とされる健康診断と、旅行料金の払い込みの時のみで、あとは全くの家内任せ。
鹿児島から羽田経由成田までの道中に、初めて詳しい旅行日程表を見た。南極大陸北西端から細く南米大陸へ手を差し伸べているような「南極半島」と、その近辺の「南シェトランド諸島」と言われる地域の周遊であることをその時初めて知った。
自宅を出てから羽田経由成田まで約5時間、成田から約12時間かけてアメリカのダラス、そこからさらに11時間掛けて、アルゼンチンのブエノスアイレス、さらに国内線で300km南下して、「世界最南端の都市」ウシュアイア市。そのウシュアイアの港からフランス船籍クルーズ船「ボレアル号」に乗船したのが、現地時間1月27日午後6時で、ここアルゼンチンと日本との時差が12時間あるので、日本時間では28日午前6時である。自宅を出てから途中ブエノスアイレス、ウシュアイアで若干の観光をしたものの、ホテル一泊、機中泊二日を含めて、まるまる72時間後である。ここから更に丸2日ボレアル号で、荒海で有名な「ドレーク海峡」を越えて南氷洋に至り、驚天動地の南極クルーズを体験することになる。
(引用終わり)
7月24日頃、気象庁は九州南部の梅雨明けを発表しました。確か北陸当たりまで同じ頃の梅雨明け宣言だったようです。今年の梅雨は長かった、雨も多かった、だから涼しかった。
思えばあの頃はよかった。いまはただ、真っ赤に燃える太陽に夏を乗り切る力を試されている毎日です。
さて、我が町肝付には、あの初代「はやぶさ」を打ち上げたJAXA内之浦宇宙空間観測所があります。ここで暮らしている町民は「全国的に見ても、宇宙に一番近か町の筆頭と威張っても良かくらいだ、種子島とは歴史が違う。」と密かに誇らしく思っている風であります。たとえば、鹿屋市から肝付町への入り口には、イプシロンロケットの実物大模型がトーテムポールのように立って訪問者を見下ろしていますし、内之浦地区に入るとその風はさらに強くなり、小学校の大外壁に宇宙遊泳する子供たちの姿が描かれていたり、ランチの美味しい定食屋さんは「ニューロケット」だったりと、ロケット関連満載の町並みになっているのです。
とある休日、熱中症対策として塩分補給のため、あの「まつわきラーメン」を食べに行きました。旧内之浦町民のソウルフードを美味しくいただき、夏の海をながめながら南にドライブ。橋の親柱の形状が気になっていたのですが、いつもスルーしていました。この日初めてじっくり見てみました。
8月5日(月)10:40から、弊社下住工場のCLT加工棟前において、主催 鹿児島県様、共催 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会様による「日本の木材活用リレー ~みんなで作ろう選手村ビレッジプラザ~」かごしま材出発式が開催されました。
7月に入りました。梅雨前線は日本列島の真上を横切って、局地的な大雨など活発な活動を続けています。そんな季節の中で、志布志湾沿岸の浜辺で繁殖を始めたコアジサシたち。その後の報告をすることにします。
5月末、コアジサシ100羽ほどが志布志湾に注ぐ河口近くの砂浜に飛来し、6月初旬には抱卵を確認することができました。その後、コロニーの中の鳥たちは少しずつ種類と数を増やし、6月10日過ぎには、ベニアジサシという岩礁で繁殖するといわれている種類も100羽を越えて加わり、卵を抱き始めたのです。このコロニーで少なくとも4種類200羽以上をカウントしました。
気象庁HPの「令和元年の梅雨入りと梅雨明け(速報値)」によると5月31日ごろ、昨年より5日早く、南九州が梅雨入りしたようです。たしかにその日以降曇りか雨、じっとりとした気候になっています。あれほどわがもの顔で青空を泳いでいた鯉のぼりは姿を消し、紫陽花が静かに咲いているのがふさわしい季節になりました。
CLTの拡販を目的としてカタログを作りましたので、お知らせいたします。
<目次>
1. CLTとは
2. CLTの製造・加工
3. 日本の森林資源
4. CLTの使用について
5. 建築事例(海外のCLT建築、国内のCLT建築、当社のCLT建築事例)
6. CLT建築の推進
7. CLTを用いた建築物の一般的な設計方法等の策定
8. 当社のCLT関連研究開発
全60ページのカタログです。
カタログのご要望につきましては、当社・営業部(吉松、小城、宇田)までご連絡ください。
4月初旬、里の桜が散り終わるころ、肝付町国見山系では、アケボノツツジが開花の時期を迎えます。薄いピンクのその花に魅了されている山好きな人々は数多いようで、町観光協会が「アケボノツツジ群落お花見ツアー」の募集を開始したところ、たちまち定員に達したとのお噂でした。ただ、このツツジの開花時期は気象条件により前後するため予想は難しく、このツアーがドンピシャだったかは不詳です。
4月下旬の休日、アケボノの咲き残りでもあればという下心で、家人と甫与志岳に登ってみました。ポピュラーな姫門登山口から。案内看板には山頂まで60分の表示があります。
5月17日、地元・岸良小学校の遠足で小さな皆様が来社されました。
当社の木造事務所に入るなり、「木のにおいがするね~」「これはヒノキ風呂のにおいだよ!」(通だな)と元気いっぱいの子供たち。引率の先生方と一緒に、工場内の安全な場所を選んで見学いただきました。
思ったよりも小さくて、お渡ししたヘルメットと頭のサイズが全く合っていないのも可愛らしく、完全に癒された従業員一同でありました。また大きくなってからも来てね!
拝啓 新緑の候 ますますご清祥のこととお慶び申し上げます
さて 私こと このたび弊社取締役会において 代表取締役会長に就任しました
社長在任中は多年にわたり一方ならぬご懇情を賜りまして 有難く厚くお礼申し上げます
また引き続いて技術・経営をサポートすることになりますので 今後とも宜しくお願い申し上げます
後任の有馬宏美につきましては 私同様のご支援を賜りますように重ねてお願い申し上げます
先ずは略儀ながら御礼かたがたご挨拶申し上げます
敬具
令和元年五月吉日
山佐木材株式会社
代表取締役会長 佐々木 幸久
平成31年2月20日(水)、本年度三回目の 「山神祭」(やまんかんまつり)を行いました。
「山神祭」は全国で実施されているようですが、山佐木材では、旧暦の正月、五月、九月の十六日を基本に実施しており、会社年度としては今回が締めくくりの回となりました。
今回も、料理、買出し、会場設営等、仕事そっちのけ?で準備し、17時半には神棚前で安全祈願を済ませて、事務所2階に集まりました。
啓蟄が過ぎました。まちを囲む山を見回すと、あちらこちらに白い山桜が咲き、深まる春を実感させてくれます。
さて、今年正月、Hさんにお供して、波見、唐仁地区を歩いて中世のあたりを旅し、歴女ならぬ歴爺の仲間に入ってしまいました。この地をはぐくんできた歴史やその成り立ちを、これまで何も知らなかったことを少し反省しながら、ぶらりを続けております。
前回までの中世から一気に、4~5世紀・古墳時代に遡ります。しかし、場所は前回と同じ東串良町唐仁地区。ここには国指定史跡「唐仁古墳群」として、大小130基あまりの古墳が集中しているのです。その中心に位置し、最大規模を誇るのが大塚神社として祭られている「第1号古墳」(大塚古墳)です。
こんにちは。CLT部の西牧(にしまき)です。
1月29日火曜日と30日水曜日の二日間 東京ビッグサイトで開催されました東京都主催の『モクコレ2019』に初出展して参りました。
こんにちは。CLT部の西牧(にしまき)です。
1月19日(土)と20日(日)の二日間、マリンメッセ福岡で開催されました、越智産業様主催の『アイラブホームフェア2019』に初めて出展して参りました。
2月5日は旧暦の元旦。こちら大隅では梅や緋寒桜が丁度満開となり、さわやかな香りを漂わせています。初春と呼ぶにふさわしい季節を迎えました。
先月Hさんに誘われて、肝付町波見を散策しながら、中世から藩政時代にかけて、この地に日本有数の財力を有する人々が実在していたことを知りました。そして、その人たちは、志布志湾に注ぐ肝属川河口を本拠地として、海を渡り、中国大陸や南方諸島との交易を活発におこなっていたのです。
Hさんが、「今の行政区域が歴史の舞台だったわけがなく、肝属川両岸に広かる地域、さらには志布志湾岸を一帯としてとらえるべき。まずは、対岸の東串良柏原、唐仁あたりに行ってみよう。」と言うので、有明大橋を渡って東串良町に入り、柏原を経て、少し上流に位置する唐仁にやってきました。道のりにして約4Km。
いつもはここは、田んぼの中に広がっているごく普通の集落として通過しています。この日はじめて、むらの真ん中を南北に伸びている道を、車から降りて歩いてみました。
こんにちは。建設部の中野です。
平成31年1月21日と22日の2日間、一般財団法人日本建築センター主催のBCJ技術セミナー『構造設計シリーズ/木造編(基礎Ⅱコース)』に参加してきました。
(昨年7月に同セミナーの基礎Ⅰコースに参加したときのブログはこちら)
この研修は、中大規模木造の構造設計を行うための講義と演習に取り組むセミナーで、大断面集成材ラーメン構造による3階建ての事務所ビルの構造設計について、実践的な演習を行いました。
1月12日(土)、こちら鹿児島は雨模様ですが、今日は朝から「鏡開き」のぜんざい作り。今年も事務所の女性陣が準備してくれました。(ありがとうございます!)
工場のあちこちに飾っていたお餅を回収して、一年ぶりの餅焼き。
ストーブの準備、小豆の準備、お餅がやわらかくてくっつく!等々、やっぱりバタバタです。
(私は手伝いもせずに写真とってました!すみません!)
新年明けましておめでとうございます。
平成最後のお正月は、南国の冬としても暖かく穏やかでした。
みなさまのところは如何だったでしょうか。
昨年の暮れ、高校時代からの友人で歴史に深い造詣を持つHさんから、1月はじめに高山、東串良のあたりを見に行きたいので案内してくれないかとの依頼がありました。今年、弊社の年始休暇には、ゆとりがあったので、一日丸まるお供することにしました。
「時代をさかのぼって、古代4~7世紀あたりと、中世14~17世紀のころを現地で想像したい。」というのが、Hさんの来訪目的のひとつ。志布志湾に面する「波見」と「下伊倉」、「唐仁」を、おじさん二人でじっくり歩いてみました。
皆様、新年あけましておめでとうございます。
きっと今頃は、お屠蘇でほろ酔いのメルマガ編集長のM理です。
昨年一年間、大変お世話になりました。いつもメルマガをご愛読いただき、誠にありがとうございます。
さて、元旦にあたり、昨年の出来事を少し振り返ってみたいと思います。
師走に入りました。上旬は、散歩をすると汗ばむほどの記録的な暖かさでしたが、大雪を過ぎた今日この頃、やっといつもの冬にもどったようです。冬といえばコタツ、コタツといえば宿題しながら聞いていた深夜放送。
我が家には、M田が中学1年の冬に、お年玉と親にねだって買ってもらったラジオが現役で音を出しています。その名も高き「ナショナル2000GXワールドボーイ」。これで「つるこう」とか「ちんぺい」とか「なかじま」とか寝ずに聞いたものでした。もう50年近く、苦楽をともにしていますが、文句ひとついわず付いてきてくれました。まことに見上げたものです。