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★役員からのメッセージ 代表取締役 佐々木 幸久
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今月は正月山の神祭(ヤマンカンマツリ)
山の神祭は旧暦で正月、5月、9月(正五九)の16日に行うのが決まりです。別名「十六日祭」と言います。今年は旧暦の元日が2月19日でしたから、新暦3月6日が旧暦正月16日に当たり、この日に行うのが決まりです。けれども翌日は土曜日ですがたまたま出勤日になるため、一日遅らせて7日にすることになりました。昔なら年寄りから猛烈に怒られたことでしょう。「引き寄せることはあっても、引き伸ばしてはならん」。
小学生の頃の思い出
年に3回のこのお祭りは、前に引き寄せるのは全く構わないが、決して日延べしてはいけない工員さん達の最大の楽しみの一つでした。工場に隣接する社長(父)宅で行われるのが慣例でした。朝から料理自慢の男女工員数人が準備に当たります。台所のかまどで大鍋でものを煮たり、膾を作ったりと大騒動でした。このような日のために家は田の字間取りで、4部屋のふすまをすべて外せば、一つの大広間になります。
まだ大部陽の明るい内から数十人の酒盛りが始まります。忙しい厨房では子供も何かと手伝うことになります。私はもっぱら焼酎のお燗番でした。かねては工場でお茶を出すのに使うアルマイトの大きなやかんに、一升瓶の焼酎をいれ、かまどの大釜からひしゃくでお湯を入れます。最初の内は「あまい(薄い)」、「からい(濃い)」と大変やかましいので、ちょっと口にして味見をして運びます。座敷では飲むほどにピッチは上がり、数個のやかんが座敷と台所を行き交います。もうその頃は濃かろうが、薄かろうが誰も分からなくなってきます。
あの頃焼酎は極めつきの貴重品
思えばあの頃焼酎は極めて高いものであり、一日の労賃で焼酎を一升買えなかったのではないでしょうか。当時の子供達は父親から幾ばくかのお金を渡され空き瓶を持って、酒屋に親父がその日に飲む分の焼酎を量り売りで買いに行っていたのです。男達は昼の3時からは「ダレヤメに障る」とお茶もお茶請けも絶って、貴重な焼酎を最高度に味わい、少しの酒に酔い痴れてぐっすり寝て、翌日からの体をすり減らす厳しい労働に備えたのです。
※ダレヤメは鹿児島弁で、晩酌の意。ダレは懈(だ)れ、ヤメは止め。
年に三度、焼酎の大盤振る舞い
山の神祭のこの日ばかりは「親方」から、料理は大したことはなくとも、無礼講で焼酎だけは惜しげもなく提供されます。
当時は皆貧しく不満が鬱積していたかもしれません。今に比べると人気(じんき)も荒かったのでしょうか。定量を超えて飲んだ後の喧嘩も山の神祭につきものでした。それでも激しく対峙している二人の周りを取り巻いた人たちが、適度に「ほけ抜き(ほけは鹿児島弁で湯気)」が出来た頃合いには、まあまあとなだめごまかして納める手際はなかなかのものでした。ですから見た目には激しい諍いでも、決して流血騒ぎになることはありませんでした。
山の神祭りの復活
山佐木材ではしばらくこの山の神祭が途絶えていました。十年くらい前でしょうか、復活しようや、と言う声が起こりました。爾来定式に則り正五九の年3回行っています。昔に比べると皆人品穏やかで、しかも殆どが車での通勤であり、もっぱら料理楽しみ、酒盛りはささやかです。尤も中には事務所泊まり込みで飲む豪の者もいるらしいですが。
旧暦正月の山の神祭の意義は、丁度季節が春にさしかかり、樹木は盛んに活動を始めて根から沢山の水を吸い、盛んに養分を樹木内にため込みます。この頃伐った木は腐りやすく、カビも生えやすいのです。
実は鹿児島に「木六竹八」という言葉があって、木を伐るのは6月(新暦なら7月乃至8月)以降、竹を伐るのは8月(同じく9月乃至10月)以降という意味です。旧暦正月16日から5月16日の山の神祭まで、山の仕事をひとまず休止します。丁度季節は具合良く農作業の時期となり、作業の場は田畑に変わります。
今はそういう季節感も薄れ、また林業の専門化に伴い、林業作業は1年中続けられます。しかし嘗ての生活や、謂われを偲びつつずっと受け継いでいくのも、また大事な事のように思われます。
「山の日」ですか?
昨年の法律改正により、来年から8月11日は「山の日」だそうです。経緯は知りませんが法律で日を決めれば良いと言うものではないだろうと思います。私は木材業ですから、本来関心を持つべきでしょうが、正直のところ何の関心も共感も持てません。何の謂われも歴史的な意味合いもないただのつぎはぎ休日です。
「海の日」があるから「山の日」も、「こどもの日」があれば「敬老の日」もというのと同じように感じられてます。
一方かつての祝日の名称は奥ゆかしく、心に沁みます。「天皇陛下お誕生日」は「天長節」、「文化の日」は、明治時代は「天長節」で、その後「明治節」。
「こどもの日」などはどう祝えばよいのか戸惑います。何かおもちゃでも買ってやって、その日だけはちょこっとわがままに目をつぶる?「雛節句」、「端午の節句」なら、親としての祝い方も、子供もまた祝いの場への臨み方もわかります。昔からその意義も、祝い方も連綿として引き継がれてきましたから。
また「勤労感謝の日」は、一体誰が誰に感謝するのだろうか、社長が従業員に感謝するのか。それはその日だけ感謝すればよいのか。私は従業員にはいつも感謝しています(誰ですか、「うそ」と言っている人)。敬老の日などと等しく、何かうさんくさい名称で、聞くだに戸惑いを禁じ得ません。これはやはり「新嘗(にいなめ)祭」であって欲しいものです。
何がいけなくてこんなに皆になじんでいた、ゆかりのある思いのこもった名称を、かくも無機質な空虚な名称にしたのでしょう。1つだけでなく片っ端からすべて変えたその動機や情熱(?)はいったい何なんだったろうかと未だに解せず、腑に落ちません。
私もこの歳になると自分の気持ちや心持ちに正直に生きていきたいと心から願います。ささやかながら、せめて自分ではそのように呼び、かつ若い人たちに教えていくことからスタートしたいと考えています。
(代表取締役 佐々木 幸久)