メールマガジン第25号>西園顧問

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

★【西園顧問】木への想い ~地方創生は国産材活用から(7)

 木材利用と木造校舎3階建てが建設可能に」

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 私の小学生時代(昭和20年代)は学校の校舎も講堂も、そして外壁も内壁も窓枠も机も、全て木造だった。昭和25年に建築基準法が施行されると、構造材は木造としながらも、防火規制からモルタル壁が推奨された。昭和30年代後半になり3階建校舎が建設され始めたが鉄筋コンクリート造(RC)となり、窓サッシ等の新部材等が登場すると早速に採用され、私達はそれが「建築の進化だ」と思う様になった。

 特に東京オリンピック(1964年・昭和39年)前には、新幹線や高速道路や高層ビルのRC造構造物が大量に建築される様になり、その勢いは全国津々浦々まで行き渡り、反対に木造は個人住宅を除いては片隅に追いやられて行った。(モルタル壁構造の建物は、木造住宅の早期劣化の原因になったと見直されて、消えて行く等の変遷も有った。)


 所が不思議な現象も起き始めた。国民が近代的建築物と思ったはずのRC造校舎では、子供達が廊下を走って転ぶと怪我する事故が増え、又何故か子供達は風邪をひきやすくなり情緒不安定な子供が増え、苛め問題も目立つ様になって来た。昭和50年代に入ると、森林に囲まれた地方の農山村地区の学校や公営住宅までも、ほとんどがRC造となった事を反省する機運も起き、併せて木材需要拡大運動が地道ながら始まった。

 木材利用の運動に応えて、一部の体育館や廊下を木床造りへと復活させたら、子供は転んでも怪我をする事は少なくなった。転ぶ事を恐れなくなった子供は運動能力が向上するプラス面も出て来て、「木造は人間に優しいのだ」とのデーターも集まり始め、木製フローリング床材を全面的に見直す事に繋がった。あわせて内装壁も木板へ戻したら、子供の苛め問題も減少した等と自然素材の隠れた効能が再評価される様になって来た。


 当初、RC造建築物は石造建築物と同様に、耐久性が高く100年は長持ちすると期待されたのに、特に海岸沿いのRC造建物では築後20年も経たぬ間に、建物表面のひび割れが目立ち出した。そのヒビから雨水や潮風が侵入すると内部鉄筋が錆びて膨らみ、結果としてコンクリート壁に割れが生じた。特に海砂が多く使用された都会の建物の外壁は膨らみが大きく、落下の危険性が問題となり建替の必要な建物も多くなった。

 

 昭和50年代には木材の需要拡大運動として、学校施設や公営住宅の木造化の復活運動が沸き起こり、その最初に木造校舎を復権させたのが、大隅半島最南端佐多岬に在る佐多中学校であった。当時「国の予算の積算基準」では、木造建築物はRC造の70%枠でしか計上されない問題に木青会が気付き、改善対策に取組む事になった。

 そこで当時飛ぶ鳥を落とす勢いにあった地元選出の二階堂進議員へ、「学校建築の予算では、木造化計画の積算基準をRC造の80~90%へ見直して頂けば、RC造に負けない立派な木造建築物を建てる事が出来る。そして地元産材を使うと、地元での雇用が増えて資金循環率も高くなり、地域経済の活性化にも役立つ。」と提案し相談した。

 「予算総額を上げなくとも、良い建物が出来て、地域振興に役立つなら早速検討する」と、改善へ協力してもらった。(当時の黒木佐多町長が森林組合長兼任だった事もあり、こんなにも簡単に木造校舎化が実現出来るとはと驚いたものだ。予算を増やさずとも、知恵を出せば良い結果を招く事を学んだ。)

 

 佐多中学の木造校舎落成記念講演会を鹿児島県木青会で主催した所、全国から500名を越える見学者と報道関係が集まり、その時の「学校を木造化したら、子供達が生き生きと勉強する様になった」との校長談話と、参加した見学者の体験報告と全国ネットでのテレビ報道が、燎原の火のごとく全国へ「木造校舎の良さ」を広めてくれた。そして全国各地で木造校舎が復活し始めた。

完成当時の佐多中学校(校舎外観)
完成当時の佐多中学校(校舎外観)
完成当時の佐多中学校(多目的ホール内観)
完成当時の佐多中学校(多目的ホール内観)

 

 しかし当時はまだ2階建校舎までの木造化の実現であり、建築基準法の防火規定では「3階建以上はRC造」と、依然据え置かれたままだった。そこで世界を眺めてみたら、アメリカやカナダでは、9階建木造ホテルや高層木造共同住宅が当り前の様に建てられていて、フランスでは「木造建築の方が、RC造建物より火災保険料率が安い」(木造は安全だから安いとの説明だった。)等の事例を知って驚き、市民や行政への広報に努めたものだ。

 世界では「木造締出し的な日本の規制」に比べて、防火の基本に充分配慮すれば、木造高層建物が建てられる事例に、一歩でも近づこうと問題等の洗い出し運動を始めた。

 

 「日本では何故、高層建築物の木造化へ厳し過ぎるのか。」と色々な方面へ問い掛けてみても、「木材は燃えるから」とか、「戦争中に焼夷弾が落ち、木造住宅街が焼失したから、火災防止対策は重要だ」とか、更に「建築防火の法規制で決まっているから」等との、良く考えると「理由にならない回答」しか出て来ない事も判って来た。

 問題点を整理すれば、「薄い木材は燃えるが、部厚い木材はアルミや鉄よりも火災に強い」との実験データーが有り、「木材保存対策を基本通り確実に施工すれば、木造住宅の法定耐用年数25年は改正されるべき」との意見もある事も判って来た。と言う事は「法規制が問題なら、改正すれば良いだけ」のことだとの、極当り前の考え方にも気付かされた。

 一方戦後の国内林業では「はげ山」を営々と植林して来た努力が実り、立派な建築適材も供給出来る山林が育って来ている。地方振興は「地産地消の考え方と木材需要拡大運動が車の両輪である」と気付き、そして国民は、健康的な生活環境作りには人工的建材を使った建物よりも、自然素材をふんだんに使用した木造建物へ住む方が、メリットは大きいと多くの人に理解されて来た。


現在建設中の菱刈小学校新校舎(木造2階建て)
現在建設中の菱刈小学校新校舎(木造2階建て)

 

 国交省も「防火対策の規制基準を再点検すると、木造化を否定する理由は少ない」と考える様に変り、平成23年から3年間に及ぶ「3階建木造校舎の実大規模の火災実験」に取り組まれた。従来は3階建以上の学校建築等は、耐火建築物とすると規定されていたが、天井の不燃化等の一定の延焼防止措置を講じると延焼を防止出来て、もし火災が起きても利用者は安全に避難出来る条件もクリアーする事が確認された。


 そして建築基準法が昨年改正され、今年27年6月から1時間準耐火の構造材を採用すれば、木造3階建校舎」の建築が許可された。同時に「3000㎡以内毎に防火壁で区画すれば、3000㎡を越える建築物の木造化も可能」となった。しかし法律が改定されただけでは、長年の「木造では建てられない」との思い込みや、過去に刷り込まれた常識を覆すのは簡単な事ではない。「木造3階建校舎」を早急に全国へ普及させるには、規制緩和された内容を広く建築関係者に周知させる必要が有り、その役目は木材業界側にある。 

ダウンロード
木造学校建設推進パンフレット.pdf
PDFファイル 4.6 MB

 改正内容の広報は誰が何時行うのかは、「それは木材業界であり、今でしょう。」で、「鉄は熱いうちに打て」である。法律が決まったから誰かが実行してくれるとの思い込みや、「果報は寝て待て」式の考え方で、役所やお役人が取組むのを待つ様な他人依存の姿勢ではダメである。

 今回の改正で都市部でも木造高層建設が可能となったのだから、まして林業が盛んな地方では、「地産地消」、「公的予算の地元循環率を高める」ために、「地域の建物全物件を木造化するぐらいの意気込み」で前進する事を期待したいものだ。

 お膳立てには木材関係者が走り、設計士や建築屋さんへ協力をお願いし、地元の首長や議員やお役人と、そして市民も味方に付ける幅広い木材利用運動を展開する事が重要である。

 

 又今回改正では、2時間耐火の構造部材を使用し、更に最新技術のCLT材等も活用すれば、「14階建て建築の木造化」も可能となった。新しい規制緩和を国民へ巾広く上手に丁寧に知らしめる活動こそが、「日本の伝統的な木造文化の復活」へつながり、「木造での特徴ある街造り」に取り組む事が、地方創生と木材復権の両方の入口となるのだ。

(西園)

※参考:学校等とは、学校、体育館、博物館、美術館、図書館、ボーリング場、スキー場、スケート場、水泳場、スポーツ練習場と規定されている。全てが今回改正の対象となる。