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★【稲田顧問】タツオが行く!(第10話)
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「これまでのタツオが行く!」(リンク)
9.日本工業倶楽部会館と横河民輔
9.1 日本工業倶楽部会館
旧日本工業倶楽部会館が建設されたのは、大正9年11月のことである。地上5階建ての鉄筋コンクリート造(一部鉄骨コンクリート造)で、設計は横河民輔、松井貴太郎である。
平成9年、老朽化、耐震性の欠如、機能更新の必要性などから、建て替えざるを得ないとの結論に達したが、その優美な外観が失われるのを惜しむ声も根強く、日本都市計画学会、日本建築学会等からの提案を受け、会館の主要施設である大会堂・大食堂を含む西側1/3は、ほぼ完全に保存すると共に、玄関から3階に至る大階段・ロビー等についても内装材を保存活用することにより忠実に再現し、歴史的景観の保存・継承が図られた。
現在の日本工業倶楽部会館は、同一敷地内に隣接する三菱信託銀行本店ビル(地上30階、高さ約150m)の地下躯体の上部に免震装置を介して建設されている。さらに超高層ビルである銀行本店ビルは会館上部に覆い被さるようにオーバーハングしており、その特徴ある外観デザインは丸の内地区でも一際目立つ存在となっている。
9.2 横河民輔
旧日本工業倶楽部会館の設計者である横河民輔は、当時の有力な建築設計事務所である横河工務所の総帥であったが、同時に一時期東京帝国大学造家学科で構造工学の教鞭をとったこともある建築構造に精通した工学者でもあった。しかし横河は、その後はむしろ専門領域を大幅に拡大し、建築家というよりは、豪放磊落な実業家としての活躍の側面がより目立つようになる。例えば、現在の横河電機あるいは横河ブリッジなどの、業界を代表する有力会社も、横河により創設されたのである。
このように人間的にも魅力的な側面を多く持つ横河民輔であるが、本稿では大学を卒業したての若き日に焦点を当てて、横河の人となりを見てみることにする。
9.3 濃尾地震と横河民輔
濃尾地震が起きたのは1891年(明治24年)10月28日未明のことであった。震源は揖斐川上流、マグニチュード8.4、直下型の地震としては最大級の巨大地震が大都市名古屋を直撃したのであった。それによる死者は7469人、負傷者19694人、全壊家屋85848戸を数えた。地震直後の10月30日、前年東京帝大を卒業した横河民輔は、名古屋に入り本格的な調査を開始したのであった。
前年帝国大学を卒業したばかりの横河にとって、名古屋で見た光景は衝撃的で、悲惨極まり無いものであったが、若い工学者の眼には興味の尽きないものでもあった。ほとんど一日中被災現場を飛びまわり、どのような建物は地震によって倒壊し、どのような建物は倒壊しないかを観察した。建物の倒壊の状況から考えて地震の揺れはどのようなものであるかを考えた。どのようにすれば、建物は地震に対抗できるか、それが新進の建築家横河が知らねばならない究極の課題であった。
東京に帰ると横河は、その体験に基づいて「地震」という表題の技術書の執筆に着手したが、その内容はおおむね以下のようなものである。
「地震」の構成は大きくは2篇より成る。第1篇は、主として自然現象として地震について書かれており、以下のような構成となっている。第1章は「地震汎論」とあり、国内外の歴史上の地震の記録を時系列にまとめた地震年表を中心に、地震災害の恐ろしさを述べている。
第2章は「地震原因」とあり、その原因として
第1 地辷より来る地震
第2 水蒸気の爆発により来る地震
第3 火山的の原因より来る地震
第4 化学的崩壊より来る地震
第5 天象物との関係
の5つについて述べている。
第3章は「地震の強度」とあり,「地震伝搬は震源の搏撃を受けこれを波動により移傳し上下四方球形に進行する音響の伝搬するが如し然れども其の伝搬する地質の性状有様震源の距離及位置により伝達する速度勢力及方向に於いて変化極まりなし」と記述されている。つまりここでは、地震は音と同様波動現象であり、その揺れは震源に近い程は強く、また軟質土ほど震害は大きくなることを述べているのである。
第4章は「地震の地層海潮及気象に及ぼすの作用」とあり、「地震と地殻の亀裂(地震と地殻変動)」「地震と海嘯(地震と津波)」「地震と天象(地震と汐の満ち引き)」等の関係について述べている。
第5章は「地震の験測予知及注意」とあり、地震の予知について、地震予知器、不動点験震器の存在に触れた後、地震に付随して起こる火災や、津波の恐ろしさについても述べ、それらに対する対策、注意事項についても言及している。
第2篇「地震と建築の関係を論ず」では地震に対する構造物のあり方について述べられており、大きくは6つの章より構成される。第1章は、
第1節 地震に対する構造の限界
第2節 地震地方にあって建築地所の選択
第3節 水平動の建築に及ぼす害
第4節 屋壁の震波に対するの方向及び連続家屋
第5節 上下動の建築に及ぼす害
第6節 傾斜動の構造に及ぼす害
の6つの節より成る。主な論点としては、
・凡そ地震の害を消滅することは不可能であり,願わくば死傷損壊を最小に抑えることが肝要。
・硬質な地盤上にある建築の損壊は比較的小さい
・地震動は水平動と上下動が混合した傾斜動であること
・地震波に並行する壁は地震に対して有効であるが,開口の存在は弱点となり、倒壊
の原因となる。
・連続長屋等においては,両端部の建物の被害が甚だしい。
等が述べられている。
第2章は「地震に対する構造を弁し各国地震に対する構造法に及ぶ」とあり、横河民輔の地震に対する建築構造のあり方についての考えが如実に示されている。第1節「建設物の形状」では、外観形状が末広型に安定しており、審美学上好ましい建築が一般に、地震に対しても堅牢であることを述べている。第2節「地震に対する構造の種別」では「耐震構造」と「消震構造」の2つの考え方を上げ,第3節では「地震に対する柔軟主義」としての「消震構造」の有効性が述べられている。特に我が国の伝統的建築の多くが消震構造によって建設されており、比較的地震被害が軽微であることが述べられている。
第3章では、
第1節 煉化石造の危険なるを述べ其の構造の目的に及ぶ
第2節 現行石及び煉化造建築の欠点
第3節 煉化家屋改良案
とあり、当時の煉瓦、石造建築の問題点を指摘し、その改良策を提案している。
第4章は、
第1節 現行木製家屋の欠点を弁す
第2節 土蔵造改良方案
とあり、当時の木造家屋や土蔵の問題点を指摘し、その改良策を提案している。
第5章「構造各部の地震に対するの意見」では、「屋根」「軒構造及び窓外の張出し」「爛筒」「窓出入口及び迫持」「床及び天井」「地礎」の各項目について震害に対して配慮すべき点を述べている。
最後に第6章「結論」では、「建築法政其の好時期なるを論ず」とあり、明治新政府となり20年以上を経過し欧米の新構法による建築が増えたが、母国の構法をそのまま輸入した結果、我が国の風土に合わず、様々な問題が起きていることを指摘している。特に濃尾地震はそれを立証する惨酷な実験であったと述べ、それを回避するために我が国の実状を反映した建築新法の制定が急務であることを述べている。
以上が、横河民輔が著した「地震」の概要であるが、仮に今書かれたとしても違和感の無い内容の充実した著作と言えた。
次号予告
次号では、以上述べたような知見を持つ横河が設計した日本工業倶楽部会館が、どのような特徴を有したか、建て替え改修時に実施した解体調査結果に基づいて、その概要を述べる。
(稲田 達夫)