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★役員からのメッセージ 常勤監査役 神田 稔
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新年明けましておめでとうございます。
本年も変わりませず御愛読いただければとお願いいたします。
64号のメルマガメッセージ担当が回ってきた平成最後の年末を迎えて、集成材事業を担当することとなった平成最初のわが身に想いを馳せてみた。
昭和61年5月、論地工場長として辞令を受け勤務することとなったが、先代社長に言われたのは「製材工場も将来はこの地に移転する。工場の作り方は論地山の傾斜を利用して、「省エネな工場作りをする」ということであった。論地工場を新設する為に造成工事をしたとき、周囲のコンクリートブロック積は将来の造成工事を考え、ブロックを再利用するよう空積にしてある。
1年後の7月、先代の佐々木亀蔵社長は亡くなったが、4月に現在の佐々木幸久社長が山佐木材株式会社の社長に就任されていたので今後の山佐木材の在り方を種々検討していった。当時、論地工場はヤマサハウス関連の家具、フラッシュドアなどを製作していたが、その他に何をするかという検討であった。結果として大断面集成材製造・建設事業に進出することになって、JAS取得に向けた研究、行動が始まった。
工場拡張の必要もあり、論地工場と論地山との間を購入しようと画策したのであったが、「買いたい」は交渉においては「価格は高くなる」のが常である。あまりにも高額な交渉価格に論地での土地拡張は断念した矢先、現在地(下住)を取得できる見通しがたったのである。
当初、下住を買ったときは、おおよそ33,000m2であったが、隣接する養鰻事業者が廃業することになり土地拡張のため購入、その他周囲購入で、数年のうちに75,000m2 位までになっていった。平成10年後半になると更に拡張の計画が持ち上がり、隣接地のA氏に以前から購入打診はしてあったのだが種々の理由により頑とした態度で首を縦に振ってもらえずにいた。平成19年総務担当になり、隣接者A氏との窓口にもなり購入話しを進展させるべく動くようになった。数年の交渉の結果A氏が「神田さんを信用し山佐に売る」と軟化し買収できるようになった。その頃、購入資金を捻出するのは大変だったが、あらん限りの知恵を使い工夫をして購入に至ったことが、今となってはほくそ笑まれるのである。
土地の交渉をすると現在の耕作者、土地の所有者、法務局の登記名義人、土地の納税者とそれぞれ違うことがある。土地の登記名義人を会社にしないと後々厄介なことになることがあるので要注意である。土地取引において信用取引は厳に行ってはいけない事例があったので細心の注意を払ってはいたが、スムーズにいったと思っていた取引が、後になって「裁判も辞さない」といったことがあった。当初は協力的な取引者が何故かそのようなことを言い出すのか不思議ではあったが解決はしないといけない。取引における日時、交渉の経緯など詳細な記録はA4で8ページに整理した。しかしながら協力者T氏のお陰で何とか難局は解決できたことに感謝している。
新元号になる次年度から我が社の集成材事業は、構造用集成材、そしてCLT、さらにSAMURAI集成材と新たな領域に進んでいく。魅力的な商品を魅力的な経営資源に育てるのは並大抵なことではないことは平成時代の初期に経験しているが、経験した人材は少なくなり、次代を担う人材に期待されている。
土地は十分な広さを購入して準備してきているので、生かすも殺すも次代に期待することを記す。
(常勤監査役 神田 稔)