メールマガジン第64号>西園顧問

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★【西園顧問】木への想い~地方創生は国産材活用から(46)

 「ネパールを旅して――水問題と森林(前編)」

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 今回は、私の「連載のテーマとしている国産材振興」とは、趣旨がかなり外れる様にも見えるが、「ネパールを旅した報告と感想を」との意見も有ったので書いてみる事にした。「ネパールは日本からは4500kmも遠い、日本との直行便も無い国である。海に面しておらず、ヒマラヤ登山等に感心の有る人達以外には縁遠い国で、8000mを超す山々が連なるヒマラヤ山脈の南側に位置している。(北側はチベット)その上に鉄道が無く、道路や河川等のインフラ整備の遅れから、交通も不便で水の確保に苦労している。特に水問題は社会生活だけでなく、国土の景観や農業にも大きな影響を与えている。「山の国」だが木や緑と縁遠い国で、日本人が「水と緑は、自然がくれる当り前の環境」と思い込み、有難さを忘れているのとは対象的な国である。その状況を比較する事が森林活用のヒントとなると思う。そして国土の基盤となる緑と水を守り育てるには、「森林資源の持続的な利活用を計画的に取り組む」事に繋がるのではと思うし、そう考えれば「国産材振興のテーマ」に適う話ではと考えた。

 

 今回の旅行ではヒマラヤの美しくて高く神秘的な姿を拝む事が出来たと共に、また数多いトラブルの経験を日本と比較する事は大いに参考となった。

 

 11月20日。鹿児島中央駅で同行者と待合せ、9:40発新幹線で博多へ。更に福岡空港国際線の「風の旅行社」窓口前で福岡組と合流し、計6名のメンバーでCATHAY DORAGON機に乗り香港空港へ14:10出発した。九龍半島に在った旧空港は過去に何度か利用したが、新香港空港となり5年前に利用した時は、深夜便の発着だったので、私には初体験みたいなものだった。機上からが先日開通した「香港島と厦門間55kmの長大海上道路橋」を眺められ、中国は凄い公共工事を簡単に完成させるものだと改めて知る事になった。乗り換えまでの2時間に待合室をウロウロすると、カトマンズは漢字表記で「加富満都」と縁起が良く、「商務席」はビジネスクラスで、私が乗る「経済席」はエコノミーで、そして「預時40」とは40分遅れの中国語表記と知る。

 

 ほぼ満席のカトマンズ行便には日本人客は2割も乗っておらず、インド系と中国人系が大半だった。機内のテレビは、選択種は中国・英語・仏語等と国際色豊かだが、日本語版は無い。5時間半を要してカトマンズ空港に着くと現地時間は23:30で、日本との時差は3:15とは中途半端だった。 

 荷物の受取りと通関に手間取ったが、出迎えの日本語の上手い「ガイドのラディッシュ氏」の説明によると、ホテル「ヤク&イエティ」までは、昼間ならマイクロバスで1時間は係るほどの渋滞の街を、15分で送ってもらう。落ち着いた歴史的な重みを感じさせるホテルのチャックインは午前様となった。

 

 11月21日。寝たと思ったら6:00には起こされる。広い庭園内を欧米人2名が既にランニングしていたが、欧米人は健康管理から良く歩き良く走る人達だ。種類豊富な朝食バイキングは、野菜類もジュースも上手い。フロントで両替すると1ペソは1円相当で、1000・500・100・50・20・10・5と多くの種類の紙幣と交換してもらう。

 

 明るくなったカトマンズ空港までの古い街並の道路は、整備状況も悪く交通ルールは有ったものでは無いと知らされる。

 インド製のスズキ車が多く、アメリカ車は見ない。空港の駐車場は無法駐車状態で雑然としていて、とても私では運転出来そうも無い。ラディッシュ氏は挨拶の時に「今朝犬に噛まれた。今後1週間は血清治療が必要となった。私を見本にして、犬に近づくな。」とビックリする注意を促す。

 ポカラ空港への国内線の待合室は、50年昔の鴨池空港を思い出すほど古くて狭い中に、乗客が溢れかえっている。荷物持込み検査機へは雑然と無秩序に投入され、これで危険物通過検査は大丈夫かと心配になるほどだ。待合室にはトレッキング姿の欧米人の旅行客グループが多い混雑の中で、ポカラ空港の濃霧状況が晴れるまでと、8:45発予定便は2時間待機させられた。ローカル空港だから有視界飛行との事で、11時になってやっと朝一便の7時発予定機が遅れて出発する。そして同一機体が往復飛行するとの事で、私達が乗る3便目までは、大混雑の待合室で更に待機する事となる。

 その間に「隼人のEワーカーズ社」から、発注資料のデザイン確認でスマホに着信がある。「現在ネパール旅行中で電話料は高くて発信者払いとなるから、帰国まで先延ばしにして」と要請する。予定より5時間遅れで70席の満席便が出発した。

 

 飛行機が雲の上に出たら、遠くにエベレストヒマラヤ連山が見え、あまりの雄大さに「おー」との歓声が沸き起きる。ポカラ空港まで右手に延々と続くヒマラヤ山脈の迫力に、5時間も待機させられた事も忘れさせるほどで、「さすが世界一の絶景は格が違う」と見とれる。

 

 ポカラはネパール第2の都市だが、「機内預かり荷物の積下し作業は、全て人力便り」を見せられて、薄い霧程度でも飛ばない実態を知る。それから古色蒼然の町中を通り抜けて、フェア湖畔で「3時間遅れの昼食」となる。

 まずは「地元ビールでエベレストを眺めた感動に乾杯」し、簡単な昼食との店員の説明だが、私は半分しか食べきれないほどの大盤サンドイッチに四苦八苦する。食後に近くのフェラ湖畔を1時間ほど散策すると道路整備の悪さに驚かされると同時に、「遠い国まで来た印象」を強くする。運が良ければ遠望できると言う「マナスルやアンナプルナ連山、三角頭のマチャプチャレ山」は見えずじまいだったのが残念だった。

  宿のフィッシュテイル・ロッジはプライベイトコテージが売りで、湖岸から専用の筏で渡るアクセス方法が旅情をふくらませる。40年前に現天皇が皇太子時代に宿泊された由緒あるホテルとのことで、私達の部屋は付添いの人々が泊まった2階建ての標準型の棟だったが、それでも十分に広くて贅沢な部屋造りだった。フロントでWiFiのセット方法を教えて貰い入力すると、昨日からの溜っていたFB受信文が確認出来て、世界中が通じている便利な世の中になっていると気付かされる。夕食は木造のレストランで雰囲気も素晴らしく、一日の反省と印象を語り合った後で、部屋に辿り着くと昨日からの強行軍でバタン休となった。

 

 11月22日。早起きした女房達は7時前に庭園を一周すると、松本市とポカラ市との姉妹都市締結の縁で、ポカラへ毎年来ているとの長野県の人達と仲良くなったそうで、朝食は隣席となる。朝食は欧米人ベースで、昨夜より種類も多く人参等の豊富な野菜類と、厚切りチーズとゆで卵が美味しい。せかされながら8:00に出発し、昨日行けなかった日本山妙法寺へ行くために、急な石階段に途中何度か休みながらやっと登る。標高1113mの頂上は霞んでいて、写真で見る様な向かい側の神々しい山脈の景観は拝めなかったが、アンナプル峰等のヒマラヤ連山の輪郭だけはかすかに見る事が出来た。こんな場所にも日本人僧侶がバカでかいパコダを造るとは、世界は狭いものだと実感する。

 

 

 私達の旅行の目的の一つである「トレッキングの候補地」である、北西部の地方都市「バク」への「地図には主要道路と記されていた道」を車で走るが、距離30kmなのに改良工事中との道路は1時間半も掛る。集落「ルンベ」で下車し歩き始める前に、個人宅トイレを借りると目を瞑って使う状況に驚かされ、生活レベルが推測できる。平割石で組立てる建築様式は、最近は煉瓦とセメント造へ移行しつつあるそうだ。トレッキングコースとしての約2kmの坂道を歩き、「HOTEL NIRBANR」の看板の掛る山小屋で持参の幕の内弁当を食べる。大型ポリタンクに貯めた水を利用したトイレを借りると「床に穴を開けただけの構造」で、水確保の大変さを教えられる。地元の中学生集団と一緒となったが、男女とも日本の生活困難家庭より貧しそうだが、それでも皆明るく元気で笑顔が素晴らしい。

 

 千枚棚田を見下ろしながら、往復2時間の山道のトレッキングを楽しんでから、フィッシュテイル・ロッジに戻り一息入れた。それから「今夜はネパール料理に挑戦しよう」との皆の希望を入れて、商店街を散策してから夕食の候補店を訪ねると本日休業の看板。別のネパール食店を探し、魚と鳥の定食風に挑戦するが、私にはとにかく辛い。現地では珍しくないとの途中停電の中でも、同伴の女性組は良く食べるが私は半分で十分だった。食後に夜店をぶらつくと山岳観光の街だけに、山客向けのスポーツ用具店が多い。店先に並んだノルディックポールの単価を聞けば、「ブランド品のSEKIが1組2000円」に安すぎると驚くが、良く聞くと中国製模倣品との事。大きなスポーツ店での北欧輸入本物は5~10倍の価格で、同メーカー製品の日本での販売価格と同じ程度であった。

 

 11月23日。4:30起床でフロントに5:00集合し、暗闇の中をライト点けて筏で対岸へ渡る。マイクロバスで市街地を抜けると「中央分離帯に植栽も有る片側2車線の通り」に出たが、しかし路面整備状況は日本ならば簡易舗装以下だ。早朝なのにかなりの通行量の中を走り抜けて、「アンナプルナ連峰展望台のサランコット」への山道に入る。道巾は狭く胃腸返しの急坂で、穴だらけのガタガタ道を約40分走る。駐車場から暗闇の階段を上り始めるが、7月に登った羽黒山の2446段に比べると、はるかに歩き難い急坂の石段だった。暗い中を途中3~4回休みながらの難行の約30分は、先を歩く80才の小山夫人に遅れまいと連れられて上り着く仕抹。頂上に辿り着きアンナプルナ山展望用のコンクリートベンチに、ガイドブックを座布団代りにして20分も待つと、次々に客が増えて300名程度になる。

 6:30東側に太陽が現れ始めると、反対側のアンナプルナ連峰の頂が照らされて輝き出す。三角型の魚の尻尾に見える印象的な「マチャプチャレ山」の姿が現れ始めると、明け行く山々の姿と色の変化に約30分、飽きずに見とれる。(東から上がる日の出を見ていると、聖徳太子の「日出ずる国・日本」の言葉を思い出した。)私はヒートテック下着にジャンパーを着て登って来たが、地元の若者にはTシャツ半袖も居る。ネパールの修学旅行生と思われる中高校生達と、中国人や欧米人が大半で、日本人は私達以外には数少ない。(こんな素晴らしい景観への日本人観光客が、もっと増えても良いのにと思った)明るくなった石段を降りると団体用の大型バス駐車場は更に下で、私達の3倍は歩いて上った事を知る。駐車場にトイレ設備は無く売店のトイレを借りると、利用の度に鍵で開け閉めする。ここも「床に穴だけのトイレ」で、水の足りない国はトイレが大変だと知る。

 フィッシュテイル・ホテルに戻り、ホテル名は「聖山マチャプチャレ」の同義語だと知る。

 

 早起きして見て来たアンナプルナ連峰を遠くに眺めながらの朝食では、マンゴーやスイカのジュースをお代りする。日本に比べて茹で卵の黄身は色濃く味も良く、生野菜は豊富でとにかく美味しい。「農業県と称する鹿児島県は、もっと生野菜の美味しさを伝える食べ方の提供方法を考え、ネパールに見習うべき」ではと思った。

 

 「フェア湖に浮かぶバラビ寺院」の参拝へ行くと、地元民が多くて観光客で溢れている。寺院と岸辺を運ぶ「ボート2船に屋形船を乗せた客席」は風情があって楽しい。地元民は「国は豊かではないが、国民の顔や姿には日本の若者達よりも勢い」を感じた。「ヒマラヤ連山のポスター」が1枚300ペソとの販売に、値切るのは可愛そうな気もしたが、土産用に皆で纏めて40枚4000ペソで交渉すると応じてくれた。地元産材を使った木製楽器は形も音色も美しく価格も安いが、音楽音痴で弾けない私には無用の長物と知る。12:00発便への搭乗予定で早めにポカラ空港に入ると、今日も朝の2便が飛ばなかった影響で順次遅れる。空港食堂で隣を見るとハンバーグは私の食欲には大き過ぎるので、そこで私は「普通サイズの焼き鳥」を注文したが、香辛料が利き過ぎていた。

 

 遅れていた前2便が飛び始め、やっと私達の搭乗順番となった所で、「15:30発便は本日最終便とする」との放送が流れて、「運が良かったと思って満席の乗客」となった。エンジンを始動し前進を始めた所で5分以上の待機となり、暫くするとプロペラが止まる。そして給油車が近づいて来て油を回収し始め、15分も整備したら「一度下りて待合室で待機を」とのアナウンスとなる。更に20分も待つと「本日は欠航と決定。明日の空席を優先して受付る」との説明があるが、一昨日も今日も2回とも5時間遅れとなった状況を考えたら、今から陸路を選ぶしか無いと判断し、ガイドにマイクロバスの手配を要請し、16:30にパカラ空港を出発する。ガイド本には「カトマンズまでのネパールのハイウェイ」と書かれていたが、ポカラの中心商店街には信号は無く市場街を抜けるのに約1時間を要する。

 

 その後もバスとトラックが多く早くは走れない。夕日の落ちるまでの約1時間は美しさに見とれたが、山間部に入る手前からは拡幅工事中となり、時速10KM平均の走行となる。ネパールの交通状況は「先に首を突っ込んだ者が優先」の状況となりヒヤヒヤの連続となる。

 月の下に見える周辺の景色や道路状況は、大変な田舎を走っている事が見て取れるが、21:00過ぎには腹も減ったので途中の小集落のホテルで臨時の食事を取る事にした。ネパール語表示のメニューは良く判らず、「餃子」を食べたが、宗教の影響だろうが豚肉抜きで、美味しいとは程遠いものだった。飛行機が飛んでいたら「ヒマラヤが望めるナガルコットの高級ホテルで晩餐会」の予定だっただけに、その落差は大きかったが、「これも貴重な経験」と痩せ我慢するしかなかった。(食事が出て来るまでの間に、周辺の集落状況や裸電球のぶら下がった食品店や夜店等を覗いて回ったが、私の子供時代の田舎よりも貧しい生活環境と思われた。しかしネパール人は明るく、昔の貧しかった日本人も同じ様に貧乏に負けずに明るかった様子を思い出した。そして50年後は今の日本の様にネパールも変わって欲しいと思った。)

 

 夜の200kmの道に7時間を要し、カトマンズ市へ到着した。運転手は「予想よりは早く走れた」との話で、日本での時間と距離感覚とは大違いに半分感心した。カトマンズで23:30にマイクロバスを乗換えて、ナガルコットへ向かう事にした。深夜で道路状況は見えなかったが、車の揺れ具合や座り心地からすると大変な山道を走っていると判る状況で、とても居眠りなんてしておれなかった。「ネパールのハイウェイと表現しているガイド本のジョークは過ぎる」と思ったが後の祭りだ。0:45にホテル・ミスティック・マウンテンへ到着して、案内された部屋は最高級の設えだったが、私は風呂に入る元気も無く、とにかくベッドへ潜り込んだ。

 

                                         (後編につづく)

 

 (西園)