━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
★【会長連載】 Woodistのつぶやき(36)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
愛媛武道館を訪ねる
JR松山駅から予讃線宇和島行きに乗って一駅目がJR市坪駅である。降りるとそこから広大な松山中央公園が始まる。駅を背にして左側は「坊ちゃん球場」、右側に「マドンナスタジアム」、そしてプールがあって、その奥に目指す武道館(主道場、副道場)の威容が見える。
この日は三日間続く第73回松山市中学校総合体育大会の初日だったようで、会場内外ともに大賑わいである。
副道場(剣道場)の観覧席で、涼みがてらしばらく中学生たちの試合を観戦した。なかなかの熱戦で激しい打ち合いだが、審判の旗は一本も上がらない。最後に上がったときはさっと三本一斉に上がった。こんなものかと大変感心した。
2000年頃に施工したこの武道館の仕事にも思い出が多い。当社約30年の非住宅大型木造工事事業の中でも、特大級の面積規模であった。(施工実績紹介ページ)
導入したてのフンデガー社プレカット機械K-2を、4人の担当で毎日24時間、丸々5ヶ月操業して25000本もの木材を加工し、現場での作業工程に合わせて順序よく納品した。この神経を使う難しい出荷を一貫して担当したのが工務のM山君だった。
彼は背が高く、私が朝礼台に立つと、私の目の高さに彼の顔がある。一見ゆっくりに見えるが頭脳は鋭く、その間違いのない正確な仕事ぶりは当時話題になったものである。
構造を担当された元鹿島建設、播構造事務所の播繁氏とのやり取りも懐かしく思い出される。
松山城に登る
道後温泉のホテルを早朝出発、電車で東雲(しののめ)登城口の最寄り駅「大街道」で降りる。大通りから一歩入った登城口近くの通りでは大勢の高校生たちが早朝練習で走っていて、運動着のお嬢さんたちが行きかいながら口々に挨拶してくれる。
ロープウェーの運転時間を確認すると、運転開始は二時間以上も先、まずは東雲神社にお参りし、境内を抜けて本丸に歩いて向かう。天守閣の拝観時間はまだだったので後に回し、本丸周辺散策ののち二の丸へ向かう。石垣は見事で、古い城郭も多数残っている。さらに修復事業も相当に進捗している。
そして一旦城を後にし、久松定謨伯爵別邸「萬翠莊」を見て、再びロープウェー口に戻り、ロープウェーに乗って天守閣を拝観した。帰りは並行して設置されているリフトで涼風に吹かれながら降りた。
ホテルの一階にあるイタリアレストランで、遅めの昼食。パスタ+ビール+ワイン。
多くの観光客が集まるこの松山城には、同時に多くの住民たちが早朝から走って城へ登っている。松山市民はこのような広大なお城の公園をわが物として持つという多大な恩恵を先人に蒙っている。
その多大な恩恵は、伊予松山藩藩主久松家の明治期のご当主久松定謨(さだこと)伯爵によるものと城内の掲示物で知った。久松定謨は、松山城最後の藩主久松定昭の養嗣子として、伊予松山藩主松平家の分家旗本松平家から迎えられ、本家当主となる。久松定謨伯爵は国有地となっていた松山城を私費で買い取り、これを松山市に寄贈した。
大変優秀な方で、フランスの陸軍士官学校を卒業後、帝国陸軍に入り陸軍中将まで進む。夫人は鹿児島島津忠義公爵のご息女とのこと。長男正武は、昭和20年から5期20年愛媛県知事を務められたとある。
久松氏というが18家あるという松平家のうち、久松松平家という家系であるという。伊予松山城は、加藤嘉明により築城、加藤氏転封により蒲生家に。ところが嗣子なく蒲生家断絶、1635年久松松平家が封じられ以降15代。明治の御代になり、松平姓を返上し旧姓久松を名乗る。
高知訪問
家内と別れて、JR松山駅からJR四国の高速バスでJR高知駅に入る。わずか2時間半の快適なバス旅である。
夜はかつて山佐木材に1年間研修に来てくれていた、小野田、大野、大野、坂田4氏に加え、上司同僚も集まってくださって楽しい一夕を過ごすことができた。20年前私も50代初めで元気な盛り、一年間机を並べて過ごした四人の方々が第一線で頑張っている姿を見るのは大変頼もしい。
高知県林業大学での講義
昨年に続いて2度目、昨年に同じく90分の2コマである。資料は昨年のものを元に少し構成を変え、新しい資料を追加した。
第一講 自己紹介と会社紹介
良い木造建築を作る条件
第二講 林業の問題点、そして儲かる林業へ
いでよ林業、木造建築のアントレプレーナー
パナソニックにおられた方、大手ゼネコンにおられた方お二人が大変熱心で、質問の時間に適切なご質問やご提言をいただいた。
夜は塚本副校長他県立大学校関係の方々と食事することができて、楽しく過ごすことができた。
後日譚(ごじつたん)
梶原康太郎さんから手作り「マーマレード」が届く
先月号本欄で松山市梶原康太郎さんとお会いしたことを書いた。その梶原さんから先日マーマレードが届いた。同封されたお手紙や新聞コピーなど、さらにお電話をして経緯を伺ったが、とても面白いと思うので紹介する。
八幡浜市で国内初の「ダルメイン世界マーマレードアワード&フェスティバル日本大会」があったという。イベントに向けてマーマレードの作品募集があったそうな。梶原さんは近年料理に凝っておられるが、マーマレードもレパートリーの一つであるらしい。かねがねその味を高く評価する新聞記者をしていた娘さんが、応募出品をお勧めなさったらしい。
大会の最終日が5月19日で、その日に審査表彰があったということである。その審査でなんと梶原さんの出品作が銅賞を受賞したそうなのだ。
お聞きしたことによると色など見た目、味香り、粘り触感質感、そして充填包装など、4つの評価項目があり、それぞれ5点計20点満点で評価される。
梶原さんは見た目と味香りの2項目では満点と評価されたものの、粘り、充填の2項目で減点され、惜しくも銅賞であったとのことである。しかし1300点近くの応募であり、60の手習いならぬ、梶原さん80の手習い、まさに快挙というにふさわしい。
梶原様 お送り戴いたマーマレード2種、大変おいしく戴きました。
(代表取締役会長 佐々木幸久)