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★【稲田顧問】タツオが行く!(第34話)
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「これまでのタツオが行く!」(リンク)
34.近況 -テレワーク等雑感 続き-
前回、「ノミニケーション」のことを書いていて、ふと思い出したことがある。1993年頃、私が三菱地所の情報系子会社であるメック情報開発に出向していた頃の話であるが、その頃私は三菱グループが主催する三菱CC研という会合に毎年参加していた。
CCとはコンピュータ・コミュニケーションのことであるが、三菱CC研は三菱グループ28社の社長をメンバーとする三菱金曜会の直轄組織であり、予算は潤沢で1年の活動期間の間に、2回の合宿費用と月1回の研究会終了後の飲み会費用は金曜会が負担していた。
研究会は複数のWG(ワーキング・グループ)に分かれて活動し、1つのWGは1年に一つのテーマで100頁程度の報告書を造るというのが、CC研WGに課せられたミッションであった。私は数年に亙って、「グループウェア」、「CASE(コンピュータ・エイデッド・ソフトウェア・エンジニアリング)」「オフィスの情報化」「CALS(コンピュータ・エイデッド・ロジスティック・サポート)」等をテーマに仲間と集ってWG活動を行っていた。
確か、「グループウェアの研究」をテーマにWGを行っていた頃のことであるが、CC研の仲間と連れ立って、大前研一氏が基調講演を行うことになっているシンポジウムに参加したのである。大前氏は当時日本のバブル経済崩壊や、大銀行の経営破綻等を予測したことでも有名な国際的な起業家である。そのシンポジウムのテーマは「国際化時代におけるオフィスの分散化」と言うような題であったと思う。
その日の大前氏の主張は、コンピュータネットワーク技術が発展すると、テレワークが基本となり、一箇所に集まって仕事をする必要はなくなる。例えば丸の内の本社に遠方から時間をかけて毎日出勤するような日本独特のビジネススタイルは非効率となり、職住近接のサテライトオフィスの時代になるというようなことであった。
質疑の時間になったので、早速私は手を挙げて「自分は三菱地所の情報系子会社で部長を務めている稲田という者だが、我が国では1日の業務終了後同僚と連れ立って酒を飲み歩くということが、ビジネスの重要な慣習となっている。これを我々は『ノミニケーション』と呼んでいるが、例えば丸の内には、その為の場(飲み屋)が潤沢に整備されており、またその慣習が実は次の日のビジネスの活力の源となっている部分もある。その慣習により、都市部の飲み屋街は経済的にも潤い、タクシー会社などもその恩恵により栄えているという側面もある。従って大前先生の主張するサテライトオフィスなるものは、結局はビジネスマンとそれを支える多くの人々からの支持を受けるのは困難で、多分うまく行かないのではないか。」というようなことを丁重な言い回しで申し上げたのである。
大前氏はそれに対しては、あまりこちらの議論には乗っては来ず、確か「面白いご意見だが、国際化というような観点から見れば少し問題があるのではないか」というようなことで、その日は終わったように記憶している。
所がこの話には後日談があって、その日一緒にシンポジウムに出席していた三菱総合研究所に勤める友人から連絡があり、「稲田さんのことを大前研一氏が、週刊文春の連載エッセーで取り上げている」というのである。慌てて文春を買って読んで見ると、「先日丸の内で行われたシンポジウムで、大手企業の関連会社の部長と名乗る人物から、『ノミニケーション』という商習慣についての話があった。日本独特の考え方で興味深くは思ったが、今後の国際化の進展を考えると、果たしてこれで日本は本当に大丈夫なのか、少し心配な面もある」というようなことが書いてあったように思う。記事の全体の印象としては、必ずしも私の意見を全否定というわけでも無かったので、あまり気にすることもなく、その内に忘れてしまっていたのである。
それが今突然に、なし崩し的に大前氏が主張するテレワークの時代に突入してしまったのである。私が最後に行った「ノミニケーション」は3月のJSCA地球環境問題委員会終了後の恒例の懇親会が最後である。それまで東京在住の折は、ほぼ毎日続けて来た「ノミニケーション」が突然無くなってしまったのである。
意外なのは、それで何か不都合があったかと言えば、実はそれが殆ど無いのである。むしろ、あくまで個人的な話だが、ある意味良い事づくめなのである。例えば、
これを社会的現象として見ると、
勿論このような変化が恒久化すれば、影響を受ける業種は数知れず新たな大きな社会問題が生じるのは必至である。それをどう乗り越えるか、考えることの多い昨今である。
(稲田 達夫)