メールマガジン第81号>稲田顧問

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

★【稲田顧問】タツオが行く!(第37話)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「これまでのタツオが行く!」(リンク

37.旧丸ビルの歴史・構造調査

  さて、新しい丸ビルの耐震システムを考えていた頃、もう一つ並行して少し難しい仕事に取り組んでいた。旧丸ビルの歴史。構造調査である。その調査で明らかになった事項については、最初の頃の「タツオが行く」でさんざん書いているので、そちらを参照して頂きたい。ここでは、当時何を考えていたか、あるいはどのような背景があったかについて書いておきたい。

 旧丸ビルの耐震診断については、先輩の山田周平氏が既にやっておられたのであるが、その結論を見ると、旧丸ビルの耐震性はかなり惨憺たるものであった。できるだけ速やかに対策をとる必要があった。

 

 さて、冒頭で少し難しい仕事と書いたが何が難しかったのかについて、少し触れておきたいと思う。まず最初に仕事(調査)の取っ掛かりで我々が戸惑ったのは、どのような方法で調査をすれば良いかということが分からないということであった。

 歴史的建築物の調査方法を公的に定めたものがあるのではないかと思われるかもしれないが、少なくとも当時はそのようなものは無かったと思う。過去の同様な案件を調べれば何かわかるのではないかと思われるかもしれないが、確かに例えば旧東京海上ビルや旧三菱銀行本館等では建て替え時に立派な調査が行われているが、しかし、それと同じにすれば良いかと言えば、どうもそう簡単では無さそうである。構造形式や建物の規模、設計の考え方等がそれぞれに異なっており、容易にはできそうには思えなかったのである。

  先行論文を調べたら良いのではと思われるかもしれないが、勿論調べてみたのであるが、いくつかの論文はみつかったものの、しかし旧丸ビルの規模に匹敵するような建物についての記述は皆無であった。またそれらの調査は建物の特徴に重きを置いて独自に行われたものであり、他の建物にそのまま応用できるという類のものではなかった。

 

 その結果わかってきたこととしては、結局は、ある程度時間をかけてブレーンストーミングや試行錯誤を行いながらやるしかないということであった。そのようにして我々が辿り着いた調査の方法としては、以下の3つであった。 

  1. 対象建物の最も標準的と思われる部位を特定し、その部位を各階毎に切り出し実験施設のヤード等で解体・記録する。
  2. 解体現場で、外壁一枚を自立させておき、周辺フレームで反力をとり、繰り返し載荷試験を行う。
  3. その他、床や壁の傾き、不同沈下の有無、松杭の腐食状況、固有周期等を測定する。

  当然、各専門分野の第一人者の先生方により構成される調査委員会を組織して、助言を求めるようにしたが、それは私にとっては大変に貴重な勉強の場であったことをよく覚えている。

 

 調査は旧丸ビルの解体工事を請け負っていた大成建設さんの技術研究所にお願いした。当初我々の作成した調査計画に従って調査費用の見積もりをお願いすると、確か2億円程度かかるということではなかったかと思う。
 三菱地所の準備した予算とはかけ離れており、調整には大いに時間を要したが、我々が調査費用の捻出に苦労しているというのを聞いた新日本製鐵さんや三菱マテリアルさん等が協力して下さることになり、最終的には調査費用は当初見積もりの半額以下で決着した。

 費用は半額以下にはなったが、調査内容は我々のやりたい内容の殆どがそのまま盛り込まれていた。多分かなりの部分を大成さんが持ち出しでやって下さったのでは無いかと思うが、ありがたいことだったと思う。

 

 さて、この話には後日談があって、ただの古い建物の調査費用に1億円近くの費用をかけるということが、社内でも話題になっていたようであった。
 ある日の飲み会で、先輩から「稲田君は会社のお金のことをあまり考えていないのではないか。」と言われたので、私は「そうではない。むしろ僕くらい会社のお金のことを真剣によく考えている社員はいないはずだ。」と反論したところ、「なるほど、確かにそうかもしれないが、言い方を間違えた。君は、会社のお金について、いつも出口で考えている。入り口で考えたことは無いだろう。」と言われたので、私は思わず「確かに、そうかもしれない。」と応えてしまったのであるが、その場に居あわせた同僚達も「なるほど、そうだ。うまいことを言う。」ということになり、なんとなく居心地のよくない状況になったのを覚えている。
 しかし、今になって考えてみると、そもそも建築分野というのは、他人の(これは会社も含めて)お金をいかに有効に使うかをアドバイス・提案するのが仕事のはずである。先輩のおっしゃることも間違っているとは思わないが、「出口で考える」ということについてそれほど悪いことではないようにも思えるのだが、どんなものだろうか。

(稲田 達夫)