メールマガジン第83号>稲田顧問

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★【稲田顧問】タツオが行く!(第39話)

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「これまでのタツオが行く!」(リンク

39.日本工業倶楽部会館の建築計画

 第38話の最後に、旧丸ビルの歴史調査で経験した建築構造史的なものの見方が、その後の私の仕事のスタンスに大きな影響を与えたということを書いたが、まさにそのことを地で行くような事態が生じることになる。日本工業倶楽部会館の建て替え計画である。

 

 日本工業倶楽部会館は、旧丸ビルが解体された後、東京駅前地区に最後に残った歴史的建築物と言われていた。勿論、東京駅前には東京中央郵便局あるいは国鉄本社という超大物が残ってはいたが、いずれも関東大震災の後に竣工した建物であり、いずれも言わばモダン建築である。
 優美な装飾が施された民間建築としては、東京駅を除いては工業倶楽部会館は確かに最後の歴史的建築物であったと思う。意匠設計は松井貴太郎氏、構造設計は横河民輔氏が担当し、旧丸ビルより早く大正9年に竣工している。大正12年に勃発した関東大震災を被災し、震災予防調査会報告によれば最も損傷の激しかった建物の一つに数えられる。特に会員専用談話室の中央に位置する柱の座屈破壊は有名で、その影響で上階の床が10cmほども沈下していたとの記録もある。
 工業倶楽部会館の意匠的価値は、例えば正面玄関に配置された「装飾が施された独立円柱」や、屋根周りに張り巡らされた繊細な彫刻群など様々上げることができる。しかし、何と言っても工業倶楽部会館の意匠的魅力はその内部空間にあったと思われる。私が工業倶楽部会館に思い入れを抱いていたのには、実は訳がある。


 入社当時工業倶楽部会館では、ドイツ大使館の主催で鍋島元子さんのチェンバロコンサートが開催されていた。チェンバロという楽器は、ピアノと異なり2~3曲の演奏が終わるごとに音程がずれて調律が必要となる。調律は演奏者である鍋島さんが行うのであるが、その時間にドイツ大使館からドイツビールが振舞われる。チェンバロの演奏に魅かれたのも勿論だが、ドイツビールも大きなモチベーションとなっていたのは間違いの無いことであった。そのような理由から、クラシック音楽が聴けてビールも飲めるということで、柄にもなくクラシック音楽を理由に倶楽部会館を何度か訪れていたのである。
 その当時、倶楽部会館についてどのような歴史を持った建物であるかについては全く知識が無かったが、それでもその内部空間のエレガントさには深く感銘を受けた記憶がある。

 

 建築計画の初期段階でプロジェクトの方向性を決めるキックオフ会議が開かれ、会館を管理していたゼネコンから倶楽部会館を耐震診断した結果、耐震規定を満足していないので、歴史的価値があるとしても建て替えざるを得ないのではないかという説明がなされた。
 会議参加者の大勢は、建て替え已む無しとの意見でまとまりつつあったが、私は旧丸ビルの体験から、耐震規定を満足していないからと言って直ちに建て替えというのは短絡的である。建物の歴史的価値を認めるのであれば、まずは補修の可能性を検討すべきではないかというようなことを主張したのである。しかし他の参加者の中に私の意見に同調するものは皆無であり、「稲田が面倒くさいことを言うのであれば、プロジェクトから外してしまえ」というようなことになってしまった。
 私としては、多少不本意ではあったが、考えてみれば丸ビル開発を担当させてもらっているだけでも有難いのであるから、そちらに専念しようということで、割り切ることにした。
 会議に出席していたある先輩からのアドバイスもあった。「君の言っていることは、実は世の中の常識から言えば一理あるが、今は受け入れられないのはやむを得ない。しかし、一旦正論を口に出して言ってしまったのであれば、それは安易に訂正しない方が良い。妥協せずに頑張った方が良い結果が出ると思う。」というようなことであったと思う。

 

 正直工業倶楽部会館のプロジェクトの参画に私は未練を持っていたが、その理由としては、この建物であれば免振レトロフィットができるのではないかということがあった。免振レトロフィットとは、耐震性が不足している建物を取り壊すことなく、免振建物とすることにより耐震改修を行う技術である。この方法の問題点はコストがかかることだが、この工法を採用すれば、内部空間をそのまま保存することが可能になる。内部空間に特に価値があると言われる工業倶楽部会館の改修には、正に相応しい工法と思われたのである。
 この工法を旧丸ビルに適用することは規模が大きすぎることから中々難しいと思われたが、工業倶楽部の場合には規模もそこそこであり、免振レトロフィットが可能であるという腹積もりを持っていた。

 そうこうしている内に、一度担当から外されたものの、1から2カ月位経つとなぜかまたプロジェクトに戻れということになった。日本建築学会等から保存要望が出る中で、内部空間の継承のため、当初は貴重な石細工や彫刻を、一度全て取り外し、建て替え後また元に復元するという工法を考えていたようなのだが、それでは建築費がかかり過ぎるとのことで、むしろ稲田の主張する免振レトロフィットの方が、建築コストの観点からは有利ではないかという意見が出てきたこともあったのだと思う。プロジェクトの方向性は建て替えから保存再生へと徐々にではあるが変わりつつあったのである。

  

日本工業倶楽部会館外観全景(建て替え前)
日本工業倶楽部会館外観全景(建て替え前)
会員専用談話室の柱の座屈状況
会員専用談話室の柱の座屈状況
工業倶楽部の内観(大食堂、建て替え前)
工業倶楽部の内観(大食堂、建て替え前)

(稲田 達夫)