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★【稲田顧問】タツオが行く!(第51話)
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「これまでのタツオが行く!」(リンク)
51.ブラックホール
私は学生時代から、どうも語学が不得手で苦労した思い出が多くあるが、勿論それをそのままにしておいたわけでは無く、例えば英語で書かれた小説を5冊読めば語学は克服できるという記事を見て、通勤の行き帰り当時流行りであったペーパーバックの米国の小説などを読み漁ったりと、いろいろな無駄な抵抗をしてきたのであるが、ことごとくは不調に終わった。
そのような無駄の一つに英語のテープをウォークマンで聞くというのがあって、やはりよく通勤時間に「CNNが伝える世界の10大ニュース」というのを聞いていたことがある。そのテープに録音されていた10大ニュースの第1位は「ベルリンの壁崩壊」で1989年11月のことであった。
翌1990年、私は会社の負担で約2週間のヨーロッパ視察のチャンスを得た。確かオランダで開催された「CASE、ソフトウェア革新」という技術イベントに参加するのが、表向きの目的であったが、実際には英国、オランダ、ドイツ、スイス、フランスの5か国を訪問する大視察旅行であった。
その際、ドイツでは壁が崩壊したばかりのベルリンを訪問し、西ベルリンと東ベルリンの境界線上に設置された検問所「チェックポイント・チャーリー」を通過したのであるが、この検問所はその1週間後には撤去されるとのことであった。今考えれば、1990年前後というのは世界にとっての大きな節目(転換期)であったのだと思う。
オランダの経産省を訪問した際には、「日本では官と民の役割分担が非常にうまく行っているように思えるがなぜか。」というような質問を受けたが、当時の日本の経済は世界から見れば未だ好調と見られていたのだと思う。今となってみれば1990年の我国は、正にバブル崩壊の直前であったが、勿論当時の私はそんな苦難の時代を経験することになるとは、夢にも思ってはいなかったのである。
現在我々は、1989年以来の大きな世界の節目(転換期)を経験しつつあるのだと思う。ウクライナ戦争のことである。1989年に取り払われた「鉄のカーテン」が復活しつつある。メディアの論調としては、頭のおかしくなった独裁者の所業として説明されることが多いが、本当にそうなのか。つい最近までお手本ともてはやされてきたEU、中でもドイツのエネルギー政策などの問題も複雑に絡み合っており、解決には予断を許さない状況である。
多分30年に一度の大きな波に見舞われているのだと思うが、この波をどう乗り越えて行くのか、大変な課題であることは間違い無いが何とかしなければならない。
そう言えば、30年後は一昨年の10月菅首相が宣言した「カーボンニュートラル」達成の目的年2050年に当たる。CO2排出に起因する気象の変化は深刻であり、英国の気象学者ジェームス・ラブロックはこのまま対策を怠れば2060年には人類が生息可能な地球上の空間は、南極の一部のみに限られると予想している。そのリスクが現実となれば、少ない生存空間を争った大戦争に巻き込まれるのは必至である。
ウクライナに起こっている惨状を見ていると、人類は既に大きなブラックホールに吸い込まれつつあるように感じる。このブラックホールから抜け出し生還できるのか、人類のそして我々の知恵が試されているのは間違い無さそうである。
(稲田 達夫)