メールマガジン第96号>稲田顧問

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★【稲田顧問】タツオが行く!(第52話)

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「これまでのタツオが行く!」(リンク

52.新型コロナに思うこと

 新型コロナウィルス感染症の騒動も、今やっと落ち着いてきた感がある。横浜港に停泊していた豪華客船ダイヤモンドプリンセス号における大規模なクラスターの発生が、大変な社会不安を引き起こしてから既に丸2年を超えた。最初の頃は、未知の感染症の襲来に大きな危機感に見舞われたが、それが一段落すると次は、医療体制の逼迫を危惧する報道が急激に増えるようになった。我が国の医療体制は世界でも有数の規模を誇ると言われてきたがこれまでの所、我が国は7回の感染拡大の波に襲われたが、未だにこの問題は一向に改善されたという情報を聞かない。今後また、第8波に襲われることがあるとしたら、同じように情報に混乱させられるのかと思うと憂鬱である。

 

 昨年4月私は、新横浜のかなり大規模の公的な総合病院で、白内障の手術を受けた。当時は感染拡大の真っただ中であり、横浜の街は救急患者の引き取り先を探す為右往左往する救急車のサイレンの音で溢れていた。行政からは不要不急の手術等はできるかぎり見合わせ病床を空けるよう要請があった。私の手術は間違いなく不要不急であったので、延期せざるを得ないかと覚悟を決めていたのであるが、結局は何の問題も無く手術を受けることができた。実はその時、日本の医療体制の特徴を少し理解できたような気がしたので、ここでは少しその話を書く。

 私が入院した病院は白内障の手術だけでも朝から15分置きに何十件もこなすような専門の病棟を持っており、医師と看護師で専門のチームが構成されていた。私の入院した階の病室の殆どが白内障患者で占められており、殆どの人が二泊三日で退院して行くので、入院した割にはあまり深刻な雰囲気は感じられなかった。

 私は小学2年生の時盲腸炎で、長野市内の桑原病院という小さな外科病院に入院したことがあった。桑原先生という方は市内でも名医ということで名が轟いていたとのことであるが、入院したのは病院というよりは、普通の日本家屋の2階の和室で、お医者さんの家に泊めてもらっているという感じであった。その部屋には私以外によくわからない病気で長く入院している男性患者が居られたが、その患者の回りには、毎晩彼を取り囲み多くの人が集まり酒盛りをしていた。話を聞いているとなかなか面白く不愉快ではなかったが、今考えてみれば、白内障の専門病棟とは対極のわけのわからない病院であった。しかし、特に根拠はないが桑原病院ならば、新型コロナのような病気に対しても、かなり逞しく対応が可能なのではないかと感じる所がある。

 近年医療は飛躍的に高度化し、それを支える専門家集団の活躍により、日本人の平均寿命は世界でもトップレベルまでに延伸することができた。しかしその医療専門家というのは、我々が漠然と描いている「お医者さん」とイメージとはかなりかけ離れた存在なのではないかと、昨年4月の入院で感じた次第である。私は当時不要不急ということで白内障の手術を断られるのではないかということを恐れていが、全くの杞憂であった。そもそもあの時私を治療してくれた専門医が、感染症の対応に駆り出されるというのは、どうもイメージできない所がある。

 

 さて話は、建築の世界に変わる。私が建築の仕事に関わることになってから、概ね50年になる。その間、建築分野の技術レベルは医療分野と同様高度化し、耐震安全性なども飛躍的に高まっている。それを支えるのは日本建築学会を初めとする専門家集団であるが、状況は現代の医療体制と同様の所があるのではないかと思う。

 私は7年前、山佐木材の佐々木社長(当時)と意気投合して、「超高層ビルに木材を使用する研究会」を立ち上げた。漠然とではあるが、私は「鋼木混合構造」を前提として研究会を進めてきた。しかし最近になって少し感じるのであるが、この「混合構造」という技術は我が国のような専門家した体制においては、やや不得手な技術分野なのではないかと感じることがある。言わば、白内障の専門医と循環器系の専門医が協働するような困難さがあるのではないかと思うのである。ひょっとすると桑原先生のような存在が必要なのではないかと思うのだが、勿論私がそんな役割を担うというのは難しいことである。しかしまあ困難だからやりがいもあるし面白さもある。取り敢えずはあまり難しくは考えないで、この研究会を盛り立てて行ければと思っている次第である。

(稲田 達夫)