下住工場一期工事落成に当たって

平成3年10月16日「構造用大断面集成材 工場落成披露式次第」掲載


はじめに

本日は御多忙の所、遠方まで足を運んでくださり、誠に有り難うございました。行事を鹿児島市内でやるという考えもありましたが、「折角だから工場も見てやろう」というお声に励まされ、当地で行うことになりました。

皆様の貴重な時間を頂戴し、御詫びと心からの御礼を申し上げます。本日はアドバイス、御意見を戴ければ幸いと存じます。

又、本席には県内外の産学官各方面より多彩な顔ぶれのお客様をお迎えしております。産学官交流の場にも御活用いただければ一層幸いかと存じます。

面目なく、御詫び申し上げなければならない事は、落成祝と銘打ちながら、事務所棟、工場のラインが完成していないことです。受注工事の作業の合間で、完成へ持っていく所存です。

 

お世話になった方々

合板検査会

この事業をやってみたいと考え始めてから約3年たちますが、平成元年の春頃、門司にある日本合板検査会九州支所を訪ねました。植木所長さん始め職員の皆さんが、初対面の私達に、朝9時から午後4時迄、実に熱心に様々な事を教えて下さいました。この日が私共の事業の第一の原点かと思います。

 

中村徳孫先生

植木所長さんの御紹介で、宮崎大学名誉教授中村徳孫先生に初めてお会いしたのが、平成元年6月11日です。それ以来今日迄、何かに行き詰ればすぐ先生に御相談しました。先生の知恵と知識の袋の中にはどんな物でも入っているかの様に思われたものです。

思えば先生の貴重なお時間を、随分沢山盗んでしまったと思いますが、先生の教えが、私達の頭の中で、そよ風の中の風鈴の様に、いつも鳴っている様な想いがします。

 

高山町御当局

いよいよ事業を具体化しようとあせる心をよそに、土地の買収は思うにまかせませんでした。高山町の有留町長さんに、私共の夢を語り、用地の斡旋方をお願いしたところ、「心当たりがある、ついて来なさい。」と自ら案内して下さったのが今の場所です。私共としては、広さと言い、環境と言い、申し分ありません。

さっそく町長さんが関係の方々に諮って下さり、私共は所定の手続きを経て購入する事ができました。その時の喜びは忘れられません。

 

県御当局

高山町では平成2年度より林業構造改善事業の導入を御計画中でしたが、私共にとって大変幸運だったのは、「株式会社」が初めてこの事業の対象になった事でした。

県、町、農林公庫の皆様方からの御指導で、はやる私にとっては長い道程でありましたが、採択され低利による長期資金の融資が実現しました。折しも高金利時代に入りつつあり、この資金が無ければ私共の夢の実現も、随分困難になった事と思います。

 

木構造研究所様

貝本トリスミ社長様

設計の面でも勉強する必要を感じており、縁あってIWE(木構造研究所)の鈴木雄司氏に顧問として構造設計の御指導をお願いしました。木構造に造詣の深い若手建築家で、建設省や林野庁の幾つかの委員もしておられます。

鈴木先生の紹介でトリスミ集成材の貝本冨之輔社長(当時)に御会いし、体験入社を受け入れて下さいました。

「欧米に比べ、日本の集成材産業は底が浅く、弱い。この業界の発展につながる事だから。」という貝本社長の言葉に感動しました。

同社大阪工場建築課に3ヶ月、そして東京の鈴木氏の木構造事務所に1ヶ月、弊社の國上君が御世話になりました。同君の派遣前後の猛勉強と相俟って一通りの木構造の設計ができる様になりました。

 

お客様

私はこの事業の将来性を確信してはおりましたものの、実際の需要は2年位先からと踏んでおりました。従って設備と人員は最小限でスタート、工場・事務所・倉庫のみキチンとしたものを2年がかり位で作る。その間に、話題作りに努め、自社建物を見て戴いて需要に結びつけよう、というのが私の殆ど唯一の営業戦略でした。

私の見込みは間違っておりました。設計提案力も、生産体制も十分整わない私達に、思いもかけず多くの問合せ、御引合いを戴きました。予想外の事に、対応が十分にできず、随分御迷惑をかけた様です。それでも関係者の御努力で、各地で木構造の建築物が次々に建築されていく見通しです。

最も早かったのが、城山観光ホテル様のビヤガーデンの建築でした。私共の基本設計が採用されたのが今年春、初夏の完工を目指して着工しました。

上棟の時点で同社保社長はその木造の良さに改めて驚嘆され、急きょ設計コンセプトを変更、予定より大幅に遅れたものの、先般9月20日にオープン。大盛況と伺い喜んでいます。

他に民間で熊本県の新産住拓様、佐賀県の佐賀木材様がそれぞれプレカット工場をこの構法で建築するという事で御下命戴いております。

公共工事としては、佐多町の統合中学校の校舎が現在、製造ならびに加工中です。あと高山町で屋内ゲートボール場、開聞町で唐船峡のソーメン流しの施設その他が近く着工の予定です。

これらの御注文を受けた背景を考えますと、一つには新聞、テレビでいち早く報道して戴いた事もあるかと思います。又、鹿児島銀行ではビデオセンターでビデオ化し、全店で流して話題づくりをして下さいました。

あと一つには、会社を、又、町を発展させようと取り組んでおられる経営者、首長の方々のセンスがあると思います。この事業を始めて有難く思っている事に、この様な熱意ある方々と直接御会いし、教えを受ける機会がふえた事があります。

 

鹿児島大学

この程、鹿児島県産業技術振興協会(KITA)の補助を受け、鹿児島大学、県工業技術センターと弊社との協同研究がスタートしました。スギ材の利用がテーマで、製造や、接合部についての研究等が進んでいく事と思います。

更に、藤田教授の肝煎りで、県下木材業界の若手有志の意向を受け、産学官の研究集団である「かごしまウッディテックフォーラム(KWF)」が近く発足する運びとなりました。地元大学のこの様な御取組に私共も意を大いに強くしております。

 

終わりに

昭和46年10月16日、先代社長が55歳の時、第一次中期計画発表会を「企業進発式」と銘打って、当時としては極めて大々的に執り行いました。

奇しくも丁度20年後の本日、平成3年10月16日、皆様方の前でこの様な御披露目を行う運びとなりました。

昭和46年のその式典を行ったあと、折からの高度成長の波に乗った事もあり、会社は驚く程の成長を遂げました。先代社長の「執念」から引用してみます。

昭和46年度を初年度として50年度までの長期5ヶ年計画を策定しました。前年昭和45年の売上は4億5千万でしたが(中略)実際の業績はというと、50年度末に45年度の5倍を上回る23億6千万の業績となったのです。これも昭和23年の創業以来、幾多の辛苦を重ねた冬の時代の企業伸長の願望が、春の息吹をあびた若芽が急にふくように、伸延したものと思います。

(昭和59年10月)

私は今年、当時の父より丁度10才若い45才です。何かしら当時の状況に、今の山佐木材を重ね合せたい気持ちを禁じ得ません。当時の様な高度成長の時代ではないものの、木材加工のこの事業を、あの頃の活況にあやかって、飛躍的に発展させてみたいものだと思うのです。

御臨席の皆様方の今後益々の御健勝を御祈り申し上げます。本日は誠に有り難うございました。

山佐木材株式会社 代表取締役 佐々木幸久