「前田家林業所(北海殖産株式会社)創立100周年記念誌」(平成24年1月発行)
驚きの初訪問
私の手元に黄色くなった古いアルバムがあります。昭和61年10月1日に、初めて北海殖産様の北海道事業所をお訪ねしたときの写真をまとめたものです。お若い頃の前田様、藤田さん、工藤さんの姿に、限りない懐かしさを覚えます。
この訪問が実現するまでの経緯を述べます。当時前田様が支店長をなさっていた日本郵船と、当社のグループ会社山佐産業の土木部とが仕事の上でご縁が出来ました。当時担当であった私は前田様と何度かお目に掛かるなかで、北海道の森林のお話を承りました。それまで木材部門に関係したことはなかった私ですが、お話の中から雄大な森のイメージがわき起こり、山を見たい思いから逃れることが出来ず、社内を説得しまくり、視察が実現しました。
前田様や私の思いとは別に、両社の実務者たちは、北から南の果てまで丸太を運ぶことに対して懐疑的でした。訪問2日目に森から運んできた木材を、西根製材所さんで試験的に製材して貰いました。一本目の丸太に鋸が入ったとき空気が一変しました。私のアルバムのメモに「きれいな材が出て、一同嘆声が上がった」と記しています。
それからのことの運びは誠に迅速で、翌月には調査のため鹿児島訪問、採材方法の具体的打合せ、荷下ろしの港のヤード、荷役の具体的な打合せが行われました。
結局翌年初夏に第一回目の船が志布志港に入港したのです。このプロジェクトに並々ならぬ関心を持っていた父は、このとき既に死の床にありましたが、材到着のニュースを伝えると喜んでくれました。7月末、父が亡くなり、私はこれまでの受け持ちを離れて、木材部門(山佐木材)の責任者になり、それから二十数年、北海殖産様との有り難いご縁です。
当社の事業、25年間の変遷
その頃当社では、大型木造建築の事業に進出することを真剣に検討していました。当時一定規模以上の建物について木造化が解禁されることになりましたが、部材としては「大断面集成材」を使うことが義務付けられました。
そうでなくても当時の林業事情からは、長さ、径級共に長スパンの建築に必要な寸法の素材を出すことは不可能ではありましたが。このようなことから、大型木造建築に取り組む以上、集成材事業を共にやることは避けられない選択肢でした。
この事業については紆余曲折ありましたが、今年10月満二十周年を迎え、技術の蓄積も進み、仕事も安定的に入るようになり、当社の大きな柱の事業になりました。
北殖材の特徴
材色が美しいことは、試験挽きで初見済みでしたが、併せてかつて電柱材に重宝されていただけに、材が「完満である」ことも構造材として優位な点と理解していました。
実際に使うようになってわかったもう一つの特色が、「乾燥が早い」ことです。スギは水分が多く、しかもばらつきが多くて乾燥コストが他の、例えばヒノキに比較して二倍くらい掛かります。当社では柱など角材は、一本ずつ全数重量を量り、3~4区分し、区分ごとに乾燥しています。その点、北殖材は全て「最軽量」に分類される「初期含水率」の低い特色があります。
乾燥に掛かるコストを全て込みで計算している当社の原価管理システムを改善すれば、北殖材の優位性がもう少し浮上するかもしれません。
これからの経営に期待
今年9月14日社員二人(森田、笹原)と共に訪問し、久しぶりに現地森林を細かにご案内戴きました。あの時から25年、更に素晴らしい森林に育っていて、目を見張るばかりでした。開所以来のオーナー家の揺るぎない信念と、役職員の方々の百年にわたる倦むことのない努力が、このような成果として表れているように思いました。
このような伸びの良い完満な大径材を、普通の住宅部材、3m、4mの長さで切ってしまうのは、価格も安く余りにもったいないと思います。住宅の多様化、近年増加している非住宅の建物でも様々な設計上の要請があり、10mに及ぶ多様な寸法の木材(特殊材と呼ばれます)が必要になってきています。通常集成材に依るしか無いのですが、今回改めて拝見した北殖材でなら、長尺大径の無垢材での対応が十分に可能であると確信しました。
ドイツは国内1,000万haについて120年という長伐期育林の法正林が完成しています。そのドイツの造材方法は図ー1の通りです。
写真で分かるように、どんな長材や特殊な寸法の要望にも応えることが出来ます。
国内でいち早く北海殖産様ではそれが対応可能な林業のレベルに到達しておられます。
このたび百周年を迎えられた御社と永年にわたりお取引戴いていることに、限りない誇りを感じると共に有り難く思っております。
(代表取締役 佐々木幸久)