論点(11)研究成果生かす林業政策を

「南日本新聞」平成16年(2004年)12月27日掲載


 わが国では政策はどのようにして決められるのだろう。その一端を垣間見たことがある。数年前、ある役所の検討会に委員として指名され出席した。毎回始めに事務局から資料の説明を受け、それに対し委員は意見を言うのだが、いろんな立場の人がいて中々かみ合わない。会合を重ねて策はまとめられていくのだが、いつも不満が残った。しかしながら私も多数の委員の中の一人であり、私と同じく他の人にもまた別な観点での不満があったことだろう。

 一度こんなことがあった。当時丸太の価格が次第に下落、ついに2万円を切り問題化していた。何回目かの会合の時、この問題について私なりの見解と提言をレポートにまとめ、時間をもらって説明した。輸入材の価格から逆算すると、国際的な市場原理から「丸太の価格はさらに下がり1万3千円になる可能性がある」、逆にそこまで行けば「国産材は輸入材に対抗できる(シェア回復の)可能性がある」ことを論証し、「この価格でも成り立つ林業のシステムを構築することに林業行政の基本をおくべき」と提言した。

 この提言に対する反応は役所からも委員からも冷ややかなものだった。そういうこと(丸太価格低落)はあってはならないことで、それを防ぐための検討は必要だが、それを前提とするような議論は不謹慎である、さらには「林業に過大な負担と犠牲を強いるもの」という反発もあった。ただ松下忠洋農林水産政務次官(当時)のみは後日、私の資料を高く評価され、具体化を検討するよう指示されたと聞く。しかし、委員会の大勢は変わらなかった。

 この議論のほんの2、3年あとに丸太価格は私の予測値を大きく越えて一時1万円を切るところまで暴落した。コストと相場の甚だしいギャップに、「これでは林業はやっていけない」という悲鳴にも似た声が上がっているものの、今のところ対策としては対症療法しか講じられていない。

 ドイツでフライブルグ州林業試験場を訪問した。所長の歓迎の挨拶は15分の予定が45分にも及び、きわめて印象的なものだった。言葉からもまた前進にも力があふれ、何よりもまず自らの職務に実に情熱的で、そして役割に確信を持っていると感じた。個人的な資質もあるだろうが、社会の仕組みとしてこの研究所にそれだけの役割と責任が与えられている。

 林業政策立案のため研究所による調査、研究が行われ、その成果を基に担当大臣とごく少数の政策スタッフとによって州の政策や指導方針が決定される。そしてその政策は州の職員(森林官)がこまめに山を回って、わが国で言う「普及」活動を行って定着させる。営々とした永年の地道な積み重ねで一度は疲弊しきったドイツの山は蘇った。今回の視察で同行した神崎康一元京都大学教授はかつてフライブルグ大学で林業を学んだ方だが、「昔に比べて林道の整備が進んでいるし山も随分立派になっている」と話していた。

フライブルグ林業試験場所長(当時)
フライブルグ林業試験場所長(当時)
フライブルグ林業試験場本館
フライブルグ林業試験場本館

 九州には林業の研究機関として九州、鹿児島、宮崎、琉球の四つの国立大学に林学科がある。それに国の二つの研究所と県の林業試験場が各県にあって少なからぬ林業研究者がいる。ドイツで見たような研究機関による調査・研究の成果を基に政策立案の基本を作る仕組みはできないものか。

 関係者による利害・意識調整で物事を決める「調整型」意思決定システムからは、原理原則なしのよく訳の分からない、しかも誰にとっても不満の残る結論になるだろう。本来林業の進展のために森林組合や木材市場などの組織が作られているのだが、「関係者」の議論の中からは林業を守るのか、これら組織を守るのか、ことの本質を見失うことさえあり得る。

 林業や木材業のバックボーンは基本的に林学や林産学という科学・工学にある。「実務と学問は違う」という訓戒が社会にあるが、それは誤りで「乖離はある」かもしれないが「別物」ではない。

 科学・工学手法に則った「目的実現型」意思決定システムに移行すべきだと思う。現場サイドにとって一時的には大変で、不満も募るだろうが、克服できれば最終的に得られる全体利益は大きい。

 さらにわが国には国、県、市町村にドイツなどにも遜色のない多数の林業職員が配置されている。きちんとした合理的な施策が準備され、統一指針が整えばその「普及」活動のための陣容は、質量ともに懸念はないと思われる。

(代表取締役 佐々木幸久)