「南日本新聞」平成16年(2004年)6月28日掲載
大隅半島は肝付南部に県の「照葉樹の森」施設があることでもわかるように、今でも代表的な照葉樹地帯である。かつてはまさに森林資源としての広葉樹の宝庫であった。当社の前身は戦前・戦中には「九州樫材高山工場」と呼ばれ、国見山系の豊富な広葉樹、中でも樫などを製材して銃の台尻、スコップの柄木、その他産業用機器の素材として高山駅から貨車で相当量を送っていたらしい。高山町はユスノキを使ったそろばんの産地としても名を知られていた。何と江戸時代から「大隅の樫材は日本一」と言われていたようだ。
大阪で江戸時代の「菱垣廻船(千石船)」の実物大復元工事が行われた。完成間近の平成十年の冬、家内と一緒に大阪の造船所まで見学に行った。保管されていた現役当時の設計図に基づき細部まで忠実に再現されたが、木材についても「舵は大隅の白樫」、「舷側材は飫肥スギ」と当時のままに産地から取り寄せたということだった。船の姿も実に美しく、いわば貨物船をここまで美しく造る当時の豊かさ、経営感覚や美意識に感銘を覚えた。出来上がったのは翌平成十一年、全長三十メートル、積載量千石つまり百五十トンで、実際に帆走も出来る本格的なものである。この船は造船所から大阪市の博物館「なにわ海の時空館」まで大阪湾を一度だけ航海、「浪華丸」と名付けられ展示されている。(※注)
江戸時代地域に根ざした地域独自の林業があり、それぞれ特徴ある銘木があった。これらは用途や目的により全国的に広く使われていたようである。
昭和三十年代以降「拡大造林」と呼ばれる政策が全国的に行われた。広葉樹林を伐採して、その跡地にスギ、ヒノキの針葉樹を植栽した。このように樹種転換の行われた森林を人工林と呼び、森林のうちの「人工林率」は地域の林業に携わるものの熱意の尺度とされごく最近まで各自治体はこの向上を競った。全国的に評価の高かった大隅地区の広葉樹資源は主役の座を譲り、スギ、ヒノキの針葉樹が間伐などの手入れをしつつ本格的出番を待っている状況である。
ところが本格的収穫を目前にしてこれまでの施策に反省の声が挙がり、元の広葉樹林に返せという声が高まってきている。理由として環境、景観、林地保全など挙げられるが、針葉樹材価格の値下がりも大きい。あの時の政策は誤りであった、行き過ぎだったと今なら誰でも言えるが当時は思いもよらなかったに違いない。
林業は国家百年の大計である。あの時点において最良の策として現在の方向に舵を切って既に四十余年、膨大な国費とエネルギーを費やして今のような一千万ヘクタールという針葉樹人工林群を造成、これは国土の三十%という巨大な面積で活用次第で国内の針葉樹需要をほとんど賄える規模である。ところがこれだけの取り組みをしながらさまざまな要因があり、不幸にも林業としては成功しなかった。
だからといって、まともな果実を一回も得ないまま、ここで再び全面的に舵を切り直すのは誤りであろう。スギでうまく行かないなら他の樹種でも同じと十分考えられる。といって個人個人がバラバラに、その時の流行り廃りでいろいろな樹種を植えれば資源としてまとまりに欠け、産業資材としては価値の低いものになり、森林の健全さも守れないことになろう。
原材料である丸太を安定的にしかも大量に集めることが出来なければ近代産業としての木材工業は成立できない。「技術立国」と言われている。じつは林業・木材産業においても「技術立国」が必要な時期に来ている。森林・林業をどうマネジメントし森林の高度活用を図るか。そして林産物をどのように国際競争力のあるものにするか。まさにそれは技術革新そのものであり、欧米ではこのことにほぼ成功し、林業・木材を活力ある近代産業に仕立てあげた。
わが国で立ち遅れているこの問題解決のために、モデルとすべきはヨーロッパであろう。わが国と同じような小規模所有林を統合的に全国規模で管理し、大量の丸太を安定的に市場に出すヨーロッパのシステムとノウハウは素晴らしい。それを背景とした驚くべき革新的な木材加工のシステムが、今のユーロ高にも関わらず最強の競争力を維持している要因である。これら技術革新は、わが国でも関係者がその気になればやれることである。眠れる森の資源を徹底して活用すれば地域振興に対し驚くべき効果を上げることは間違いない。
(代表取締役 佐々木幸久)
(※編集注記)復元された菱垣廻船「浪華丸」ですが、「なにわ海の時空館」が入場者数低迷により2013年3月で閉館となり、今後の行方は白紙、引き取り手が無ければ解体もあり得るそうです。
次号論点「ベンチャー魂をはぐくむ」では、スイスのガレー船復元の話が出てきますが、こちらはきっと有効に利用されたのでしょう。少し考えさせられます。