欧州における木によるエネルギー・サステナブル戦略の視察(3)

今回の旅で最も気になっていた訪問先の一つが、オーストリア・グラーツのKLH社でした。というのも14年前の2000年(平成12年)に同社を訪問して、初めてCLTというものを見たのでした。

同社がグラーツ工科大学の先生をコンサルタントに、何年もかけて技術開発、世界で初めて商品化したのがCLTです。

2000年当時、当社は10年ほど大断面集成材を使って大型木造建築を数々手掛けていましたが、骨組みは立派でも壁や床が物足りず、飽き足りず思っていたところに、この材料は実に我が意を得たものでした。

2000年当時のKLH社工場内
2000年当時のKLH社工場内
2000年 グラーツ工科大学構造実験棟  当時建築中(完成目前)
2000年 グラーツ工科大学構造実験棟  当時建築中(完成目前)

この視察から帰ったあと、何とか事業化出来ないかと私なりに努力してみました。中古のプレス機を探したら、どういう時の運か四国に探したものが見つかり、トレーラー10台余りで積んできました。

さっそく試作を試み、出来た材料の試験も行って、その木材とは思われない材質に驚きました。CLTは直交して積層するために、「木材の異方性(※注)」が解消されて、強度面での弱点が解消されます。

(注)木材の異方性

木材の性質が長軸方向、接線方向、半径方向の3方向で、強度、たわみ、水分による伸縮などが大きく異なることをいう。長軸方向には多方向に比べて強度が高く、水分の変化による伸縮が少ない。

 

このCLTを設計にも取り入れて戴くように働きかけました。九州のある町の学校校舎に採用されました。個人のお宅に使って戴いたこともあります。大変頑丈な家になって喜んで戴きました。

    2004年 プレス設置 2.1m×14m
    2004年 プレス設置 2.1m×14m
2004年 CLTによる壁試験(熊本県立大学)
2004年 CLTによる壁試験(熊本県立大学)

しかしながら、当時は結局事業化としては成功しませんでした。我が国で広く使ってもらうためには「公的認定」が無いと難しいのです。公的認定は木材の場合、日本農林規格(JAS)の認定を受ける必要があります。

認定を受けるためには、あらかじめ指定された品目、すなわち無垢材、集成材、合板など毎に定められた基準に合致する品質の製品を作ることのできる設備、技術者、ノウハウがあることを認定されてはじめて認定工場(製品)になります。

CLTはヨーロッパで開発された、これまで我が国には存在しなかった商品ですから、我が国には当然規格もありません。規格が無ければ申請しようがないために、いつまでたっても「公的認定」は得られません。

国内に存在しないもののために新たな規格を作ることは出来ない、しかし公的認定がなければ作って売ろうとしてもほぼ間違いなく決して売れない、という私の個人的力ではどうにもならないジレンマにあったわけです。

2007年 校舎の天井にCLTを使用
2007年 校舎の天井にCLTを使用

今は大きな流れが出来て、「我が国では異例」と言われるスピードで、国内に存在していなかった(従って規格が出来るはずがなかった)CLTの規格、「直交集成板の日本農林規格(JAS)」が出来ました。(2013年12月20日告示、2014年1月19日施行)

ただこうして製品としての「公的認定」はされたのですが、これらが広く使われるようになるためには、さらに建築関連の法整備が必要で、これはさらに3、4年の時がかかると言われています。つまり外国で開発、普及されたものを追認する形で規格が出来ることはあっても、「世界で初めて」という建築材料(特に構造材料)は、まず決して我が国で生まれることは無いだろうと思われます。

一方ヨーロッパでは、特に「公的規格」は無いまま、各社の企業責任に基づく各社独自の「技術基準」により、このCLTが広く普及、多くの会社がこの事業に進出、技術面でも、また多様性におけても長足の進歩を遂げたと聞き及んでいます。今や一つの産業ジャンルを構成しているといってもよく、恐らく数百億から一千億近いマーケットを形成していると思われます。

その中でこのCLTを始めて世に出し、ビジネスとするため設立されたKLHは、どのように変化、あるいは進化しているだろうか、というのが大きな関心でした。

KLH本社
KLH本社

私が視察した当時は、事業化して2、3年目という草創期であり、まだ注文は少なく、一つの現場の注文があれば、工場で作ってその場で加工され、出来たものを現場へ持って行く。おそらくは一件一件が思い出深い、まさに物作りとして最も楽しい時期であり、私にも覚えのある雰囲気でした。

今や生産量も桁違いに増えて、同時並行で多くの現場の加工が行われて、出来上がった分ずつが次々にトレーラーに積み込まれていましたが、現場での組み立てを考え、その順番に積み込み順番もかなり神経を使っているとのことでした。外には積み込みを終えた台車、積み込みを控えた次の台車、およそ10台あって、盛業ぶりを伺わせました。

CLTは優れた商材で、極めて合理的であり、また環境重視の時代の流れにも叶っていたのでしょう。この会社が初めて各地に作った建物は恐らく衝撃的な魅力を放ったのではないでしょうか。

その後、製材大手を含めて後続のメーカーが沢山出てきました。製材大手の立場から見れば、商品価値の低い材料がCLTでは十分使えることも魅力だったろうと思います。後発といっても資本力があり、独自に技術開発し、合理的かつ大規模工場を作ってコストダウンを計り、売上を確保していったと思います。供給が増えれば、値段も下がりさらに需要が増えていく、商品の普及期とはそういうものなのでしょう。

諸データから見てKLH社のシェアは、今では数%程度と思われます。資本の論理とはいえ、創業者利得は十分に得られただろうかと、ちょっとそんな感慨にとらわれました。(次号につづく)

代表取締役 佐々木幸久