前回は肝属川の源流をたずねて山に入りましたが、今回は肝属川の中流域をぶらりとしてみました。
◇中流域
『柴堰』(しばせき)
肝属川流域は、その水を利用して米作が盛んに行われてきました。中下流域では、3月下旬から4月初めに田植えをし、8月のお盆前に収穫する早期米が主です。初夏の陽を浴びて青々と広がる田園風景から、この地の豊かさを実感します。
しかし、大隅地方一帯の開田事業が実施されたのは江戸時代初期(1660年代から約20年間)であり、それ以前は灌漑施設が無く、大部分の地域では稲作ができる耕作地ではなかったようです。この開田事業の中で造られた堰が、今も大隅には数ヶ所残っており、その中の一つに串良川に残る「川原園井堰」があります。
ここでは日本で唯一「柴堰」と呼ばれる堰き止め方を340年余り受け継ぎ、当時のまま留めている農業用取水井堰です。
特徴は、堰の礎石の上流側にマテバシイの柴の束を川幅いっぱいに立てかけ、その上に筵を敷き並べるという構造にあります。こうすることで川水は下流にも流れ、農業用水の均等な配分がなされたということです。
上の写真は、1月20日現在の川原園井堰です。この時期は農業用取水の必要がない
ため川幅の半分だけ堰き止め、右岸側取水口(写真奥)から消防用水を確保しているそうです。
柴堰は、地元では「しばかけ」とよばれる行事として、監理者である串良町土地改良区と地区の農家の方々により、毎年田植え前の3月下旬に更新されています。
堰の材料としてマテバシイを使うのは身近な里山で楽に調達できることがあると思います。また、もう一つの理由としては葉が落ちにくい樹種であるとのことで、確かに撤去された柴束には、まだ葉が残っていました。
3月には「しばかけ」を見に来たいと思っています。
(M田)
- 取材協力:串良町土地改良区様
- 参考文献:西村佑人様著『川原園井堰の技術とその歴史的変遷』
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