尊敬する中島社長とは昔初めて会って以来、思えば永いお付き合いになりました。中島さんは眼光炯々体躯も大きく、胆力に富み豪放果断、天衣無縫で時に乱暴とも思える痛快な語り口の快男児ですが、一方において実に繊細で愛情深く、まじめで配慮に富んでいます。
そもそもは岐阜県立工業高校土木科を卒業、家業の建設業を引き継ぎました。高度成長期であったことと氏の優れた経営手腕が相まって、一時期土木だけで施工高が百億円を超えたことがあるとのことで、あの僻陬の地に本社をおきながらと驚きを覚えます。
土木事業に付随して必要な関連事業へも熱心に取り組みました。生コン、間知ブロックの生産、重機の整備工場、鉄骨工場など早い時期から整備し、それぞれが副業の域を脱し、地域業界でもトップレベルの水準にあります。
本拠地が交通不便で遠くから調達していたのでは間に合わないこと、事業の季節性、繁閑時期を調整するため、そして更に地域雇用の場を創造するなどの事情からと思います。同じような地域事情にある当社でも、彼ほどの徹底性は欠きますが、志向してきたところです。
中島工務店で住宅事業を手がけたのは自ら進んでのことではなく、何代か前の加子母の村長さんからの強い要請によるものでした。村で生産される「木曽五木」(※注)の銘木は今は木材としてそのままで売れているが、いずれ時代の変化でそれには限界が来る、都会で村の銘木を多用する家を建てて、末永く村の産業を振興するようにと諭されたそうです。
※注 木曽五木 ヒノキ、アスナロ、サワラ、コウヤマキ、ネズコ
村長さんの情理を尽くしたお話に、中島さん生来の義侠心、郷土愛が目覚めて一肌脱ぐ決意をしたのでしょう。今では更に寺社仏閣事業まで広がり、何と現時点で40件の現場が動いているとのこと、住宅事業と併せて同社の重要な事業の柱になっています。
時代の趨勢を見通し、新しい産業モデルをもって中島さんに村の発展を託した村長さんの慧眼と人物に感慨を覚えます。
「雇用の場を維持する」という中島さんの意志は徹底していて、永らくの建設不況から事業不振もしくは後継者難などから、維持が困難になった会社をいくつも引き受け、鉄骨工場、砕石工場、川砂採取船、建設会社などが新しく傘下に加わっていました。スーパーマーケットさえ、閉鎖になっては村の人々が困るし、雇用の場を守るということから引き受けています。
いずれの職場でも、従業員の方々は中島さんの意気に感じて、まさに自分のこととして頑張っているように見受けました。
中島工務店と加子母の末永い発展を心から祈念するものです。
(「加子母をたずねて」完)
代表取締役 佐々木幸久
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