M田のぶらり旅・さつまの国「加世田 かあちゃんのお昼ご飯 辻食堂」

第4回 南さつま市加世田 かあちゃんのお昼ご飯 辻食堂

 国道270号線は、日置市を南に抜けて、南さつま市金峰町にはいる。

 この町の東、大坂地区にある「金峰2000年橋」をまずご紹介したい。山佐木材が施工し、2000年1月に竣工した木橋だ。上を走る車道を湾曲集成材のアーチで支える形式では最大級で、幅8.5m、長さは42m、設計荷重は25t。ダンプカーも通行している現役の県道である。橋、その向こうの大鳥居、その奧に見えるご神体の金峰山、この3つがつながる風景にはなかなか出会えない。ぜひご覧になっていただければと思う。

 

竣工当時の写真
竣工当時の写真

 

 さて、国道270号線、車は金峰山を左手に眺めながら、広大な田んぼの中を南に向かって走る。ここは3月末には田植えがおわり、7月中頃収穫する「超早場米コシヒカリ」を特産としている。春先、田起こしをしているトラクターのうしろをたくさんの鷺たちがついて歩く姿に、つい気を取られそうになるかもしれないが、くれぐれもよそ見は禁物、安全運転で行きましょう。

 ゆったりとした田園風景をあとにして万之瀬川を渡ると、市役所の置かれている加世田市街地にはいる。

南さつま市は、旧加世田市、金峰町、大浦町、笠沙町、坊津町が平成の大合併で新設された。どの地区にも歴史の教科書に登場しているようなエピソードが残されているので、訪れたときを機会にして、あれこれ調べてみたいところだ。

 市役所に行くと一般向け向けのマガジンラックに「島津日新公(じっしんこう)いろは歌集」という薄水色の折り冊子が置かれていたので一冊もらってみた。最終ページに

 日新公とは、名を島津忠義、髪を剃って「入道日新斉」と称した。「いろは歌集」は人間として社会に生

 きる道(中略)を説いたもので、四百余年以来子弟教育の教典となった。

という説明書きが付いている。

 

 

 日新公・忠義は、伊作(現在の吹上町)生まれ、伊集院駅の騎馬武者銅像のモデル島津義弘の祖父に当たる人で、島津家の内紛で勝利をおさめ「島津中興の祖」といわれているという。晩年加世田に隠居して、現在の竹田神社にまつられている。神社の左手に延びる小径には、いろは歌四十七首を一つひとつに刻んだ石碑が「い」から順に並んでいる。

 

四十七の歌碑がならぶ「いにしへの道」
四十七の歌碑がならぶ「いにしへの道」

 

 せっかくなので、歌集の最終「す」の諫めを読んでみよう。

 

 (大意)まだ少し足りなくても満足するがよい。月も満月になれば翌日からは十六夜(いざよい)の月となって欠け始

  める。

 なにごとも、足を知るべし。欲深の身に染みてくる教えだ。春盛りの木漏れ日を浴びながら小径を歩くのは実に心地よい。

 

 加世田の町に、この教えどおりの食堂がある。「辻食堂」といい、スマホで検索すれば、場所は知ることができるが、看板は出ていない・・・。というより看板には間口を同じくする電気店の名前がはいっているのだ。おもてに食堂らしいのれんがかけてあるだけ。

 

 

 

 

 藍色ののれんをくぐると、右手に厨房とカウンター、左手と奧に二間のテーブル席。ひとりなのでカウンターについて、メニューはと壁を見回すと、あの はらたいらのモンローちゃん付きのサインが架かっている。これはいいなぁと見ていると、まだ注文していないのに入店後1分でご飯とおかずが目の前に並ぶ。

 


 

 辻食堂の昼食は、日替わりの単品一色。これしかない、これでいいのだ。まさにいろは歌「す」の教えの通り、足を知る店としての矜持というものが現れている。

 だけど、料理はまったく素朴で飾り気なしのおいしさだ。なんだか懐かしい味。そうだこれは昔、土曜の半ドンで家に帰り着いて食べた母ちゃんの昼ごはんの味だ。

 それもそのはず、料理を作っているのは、ほんとのお母ちゃんなのだ。「今年6月で86歳になるんだよー」と厨房の中から明るく笑ってくれる女将さんだ。

 

86歳になるお母さんと自称25歳の娘さん
86歳になるお母さんと自称25歳の娘さん

 

 お客は、地元のひと、工事関係の人、役所関係らしいひとなど次々に訪れ、ささっと食べては満ち足りた顔で出て行く。常連さんもいて、二人と楽しげに話がはずんでいる。

 この日は、かき揚げうどんに蓮根のきんぴら、白ご飯に昆布の佃煮がのせてあった。手作りの浅漬けもさっぱりと旨い。

 美味しさと懐かしさ、元気をいただきました。ご馳走さまでした。

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辻食堂

昼定食 600円

営業:土・日定休

住所:南さつま市加世田本町39-2

電話:0993-52-3018

(M田)