19年ぶりのニュージーランド
NPO法人ホウ素系木材保存剤普及協会という団体があります。理事長は荒川民雄氏、ボロンテクノロジー代表。私も理事会の末席を汚しています。
その荒川理事長からニュージーランド視察の企画を聞いたとき、これは是非とも行かねばなるまいと思いました。ひとつは荒川先生の防腐防蟻関連の視察が久しぶりだったこと、それともうひとつは20年近く前ニュージーランドに旅行した時の印象がとても良かったのです。
この時は堤寿一先生(当時九州大学農学部名誉教授)のご案内で、今回のようにオークランド空港に到着後、ロトルアを中心に、堤先生が練りに練った計画を作ってくれて有意義に視察を行うことが出来ました。そのようなことでお話があってすぐに1週間の時間を作る段取りを始めました。
帰国後 同行のNさんからメール
実は旅行から帰ってから、同行のAFM Japan社のNさんから以下のようなメールを戴きました。
Nさんのメール
(前略)帰国後、ガイドいただいた松木さんのサイトを検索中に、佐々木社長の平成9年の「ニュージーランド視察記」を見つけ拝読いたしました。
視察前に読んでいれば相当に視る目が違ったのにと残念です。
20年近く前の森林・木材関係の事情も大きくは変わっていないようで、ただ、所有形態が政策により民間化が進んでいるようで、松木さんのレポートの内容に理解がつきます。
訪れたSCIONが森林総合研究所が前身と聞きましたが、当時にもNZ森林総合研究所を訪れておられ、案内の仕方も次々と担当から担当に引き継がれるとの文章に、今回も同様であったなと思いました。
松木さんが属したフレッチャー社も訪れておられ、時期的にどこかでお二人のニアミスがあったのではないかと思われてしまいます。(後略)
私もNさんに言われて、改めて自分の昔のレポートを再読してみました。もうこの歳になるとあまり勉強もはかが行かないのですが、当時は見るもの聞くもの新鮮で、しかも堤先生の実に懇切な解説付きですから、こと細かに記録しています。当社ホームページでも検索できますので、興味を持った方は読んでみて下さい。
■ ニュージーランド視察記(社内報「やまさ」平成9年8月号~11月号掲載)
故 堤寿一先生をひそかに偲ぶ旅に
私にとってニュージーランドは即ち堤先生でした。先生はニュージーランドを愛し、この国の林業研究や研究者たちに深い尊敬の思いを抱いておられました。今回の旅行は堤先生を偲びつつ、20年間の変化や推移を観察できれば、と考えていました。
荒川理事長からは参加者全員にそれぞれの視察先について分担してレポートを提出するように指示があり、そして佐々木には「レッドウッドフォレスト」が割り当てられました。
今回のレッドウッドフォレスト山行中、私は不思議としか言えないことに出会いました。それが耳に入ってこのテーマを私に割り当てたのでしょう。 従って今回は順番を飛ばして、まずレッドウッドフォレストの山歩きからレポートし、その他は次回にしたいと思います。
さてその山中での不思議なことについて述べる前に、今少し20年前の旅行のことを述べることにします。
堤先生は九州大学で木材理学の研究室で永年研究、指導をしておられました。若い頃ニュージーランド国立林業研究所に留学、ラジアータパインを主とした材質の研究をされました。そしてその材質の特徴について、正確な知識、情報を初めて我が国にもたらした方です。ラジアータパインの製材JASは他の樹種のそれに比べて妙に学理的ですが、先生の情報を元に作られたものです。
先生はニュージーランドが大好きで、毎年のように行っておられたと思います。九州大学退官後あるとき、今年もまた行ってくるとお聞きしました。先生の滞在中に私もお邪魔させて下さいとお願いして、約1週間の視察が実現したのでした。シーズンもたまたま今回のツアーとほぼ同じ時期です。
この絶好の機会に自分だけで行くのは勿体ないと思い、関心のありそうな方々に声を掛けてみました。急な日程の中、都合がついたのが、当時当社で技術指導をして戴いていた中村徳孫先生(当時宮崎大学名誉教授)、鹿児島県工業技術センター遠矢木材工業部長のお二人でした。ちなみに3人とも自費での参加です。
あの時のニュージーランドはこんなにも過激に、と思うほどに急速な民営化のただ中にありました。国有林も民営化されましたし、二日間にわたって訪問した林業研究所も、民営化直後で雰囲気も如何にも慌ただしく、良くない影響が出なければ良いがと思ったような気がしたものです。
先生の昔からの滞在先のお宅に私たち三人もホームステイさせて貰いました。気むずかし屋のご主人と、昔モデルだったというのが信じられない、おしゃべりで世話好きの奥さん。お茶はいかが?としょっちゅう言われるのに閉口しながらも、堤先生ご夫妻、親戚づきあいとも言うべき宿のご主人夫妻と、朝夕の楽しかった思いでがよみがえりました。
当時ニュージーランドは物価が大変に安かったのです。消費税は当時からとても高く、20%近い税率だったと記憶します。ただ税込みで値段を聞くとそれでも安くて、満足しました。昔のレポートにその辺も記録しています。
今回驚いたことの一つが、ニュージーランドの物価高でした。まさにニュージーランドはバブルの真っ最中、と言える状況です。
当日午後の予定としてまず間欠泉の見学、その後レッドウッドフォレストの視察という見学コースがありました。
私はより多くの時間をこのレッドウッドフォレストで過ごしたいと思い、間欠泉の見学はキャンセルしました。英語の堪能なM女史と、ホウ酸塩防腐処理事業をシステム化して全国展開しているA社長が賛同、3人でのツアーとなりました。
森の中での不思議な邂逅
この公園は元々国の林業研究所の施設で、重大な目的のために設置、目的を果たして公園となったものです。ニュージーランドの人工林草創に当たり、どのような樹種を選択するかまさに国家的取り組みをした、若い国故にこそ、どこの国もここまで徹底して取り組んだことのない、まさに林業研究の革命でした。世界中から有望そうな樹木、日本からもカラマツ、スギなども苗木を取り寄せて植林し、成長性や地域への適合性、材質など仔細に調べられたと聞いています。
私たちは2時間コースを選択、巨木の森を歩き始めました。暫く歩いている内に、この森の中で先に述べたまさに不思議としか言いようのない出会いがあったのです。地元の人と思われる高齢の紳士が、後ろから早足で歩いてくるので、ゆっくり散策している私たち3人は道を譲ろうと脇へよけました。すると追い越しざま、「日本の方ですか」と片言の日本語で語りかけてきました。いろいろ話す中で、Mさんが私たちは木材関係の視察団で、と達者な英語で紹介しました。
くだんの紳士も日本との関わりを話しました。自分も林業関係で、九州大学で昔林学を教えた、宮崎や秋田にも行った、筑波のクロダとは一緒に仕事をした等、どうもただならぬ成り行きになりそうです。
そこで「堤教授を知っていますか」と聞いてみました。地元の日本びいきの老紳士と日本からの観光客とのたわいない立ち話が、ここでがらりと局面が変わりました。襟を正して深林での名刺交換の仕儀となりました。
さて貰った名刺には、Dave Cown
な、なんだって! カウン先生!
堤先生のお引き合わせか
一瞬総毛立つような気がしました。もうこれは堤先生のお引き合わせとしか思えません。九州大学に集中講義で招聘したのも堤先生なら、南九州の木材工業を案内して回ったのも堤先生(その際当社も訪問)。先述したラジアータパインの解説書「ニュージーランドパインユーザーガイド(堤、黒田監修)」の原著者の一人でもあります。
改めて名刺をよくよく見ると、かつてのFRIの後継組織SCION、そこのSenior Scientistという肩書になっています。
道々お話ししながら公園の中を歩きました。お近くにお住まいのようで、公園を出たところの駐車場に車が止めてありました。固い握手を交わし、「お元気で!」。
車で出発するCown氏を見送り、私たちは再び山へ。
どこかで道標を見失ったか、それとも正しいコースだったのか、約2時間の彷徨を経てやっと最初の公園入り口に帰り着きました。間欠泉→レッドウッドフォレストのメンバーと合流、皆さんのバスに乗せて貰って無事ホテルに帰還となりました。
もう一つ密やかな関心がありました。当時は電柱の半分以上が木製(集成材が主)、ガードレールの柱はすべて木柱、羽の部分は鉄と木と半々、街中の交通区分帯に使っているのも集成材の円柱などだったのです。それがどうなっているだろう。
その結果ですが、ガードレールの柱は今でも多くが木製でしたが、当時半分はあった木製の羽は皆無、そしてずっと車窓から注意深く見ていましたが、あの独特の形状の集成材電柱は全くありませんでした。すべてコンクリート製に変わっていました。
次号予告
さかのぼって出発時の成田での大騒動。珍道中の始まりです。
(佐々木 幸久)
出発、成田にて
平成28年6月6日16時30分、成田空港HISカウンター前に集合。当日CLT協会総会の日でしたが、塩﨑常務に参加して貰い、余裕を持って成田へ。おかげでこちらには多分一番乗りの到着。
さて旧知、初対面含めて参加予定者が全部そろい、いざ搭乗手続きというとき、荒川団長が「パスポートを家に置き忘れてきた」と爆弾発言。団長からは旅の注意事項や現地の気候情報などと共に、再々「パスポートだけは忘れないように」と、注意喚起のメールを戴いていていつも何か忘れ物をする私なども十分心していたのでしたが、当のご本尊が忘れてしまったとは。
航空会社と話がついて荒川先生のみ翌日便に変更、団長抜きで視察団は出発することとなりました。旅は早くも波乱含みの予感です。
飛行時間10時間30分の時間は実に長いと感じました。行きは夜行便でありかねての晩酌に比べてビール1杯ワイン2杯は少な過ぎ、また余り遅くまで読書灯をつけるのも憚られ、眠れぬ夜を持て余しました。帰り便でさほど感じなかったのは昼行便であり持って行った本をゆっくり読むことが出来たからでしょう。しかしもう海外旅行も考え物だなと感じたことでした。
防腐防蟻は50年保証
今回の視察で最も感じ入ったのは、防腐防蟻の保証期間は基本的に、Life Time(家が存続する限り)とういことです。
ニュージーランドの規格では、 内装材 5年、 外装材15年、 構造材50年 と決まっているというのです。
住宅建築中
木材はすべて保存処理している
大半がホウ酸塩(多分DOT)
ホウ酸塩はピンク色に着色。
(当社でも処理材はピンク色使用)
一部水掛かり部分をCCA処理
なお、CCAはニュージーランドでは禁止されていません。住宅の一部、雨掛かりなどで使用されますし、外構材ではタナリス等とともに非常に多く使用されています。
様々なメーカーにおいて様々な薬剤や処理技術が開発され、メーカー同士の競争もあるようですが、基本的に新築の際にはすべての木材に加圧注入されます。我が国でよくある農薬の現場塗布や、土台根太など構造材の一部処理ではなく、住宅に使用される木材すべてに加圧注入による保存処理が行われています。
それにしても我が国では何故農薬の塗布処理というような永続的な効果が期待できないやり方を、優秀な専門家がそろっているはずの薬品メーカーが推奨して恥じないのだろうかと疑問に思います。
保存処理費は60~75$/m3ということでした。NZ$であれば、5000円~6500円ということになります。家1棟分の木材が、造作材、合板も含めて30m3あるとすれば、1棟あたり15万円から20万円、十分容認できる必要経費だろうと思われます。
当社としても「保証期間」50年と決めるのは時期尚早としても、長期の耐朽性能について真剣に考える必要があるように思います。
その手法についていろいろあると思いますが、家1棟分すべて処理する人にはm3当たり処理費を安くして全棟処理を強く推奨する。
ホウ酸処理マニュアルを再度チェック、温湿度管理が出来る養生室を整えてしっかりした養生を行う。
以上のようなことを検討すべきだと考えました。
ポールコンストラクション構法
防腐処理した丸太を穴に立てて、コンクリートで埋める。
その丸太柱の上に桁を乗せて建物にする。
ニュージーランドやオーストラリアでよく見る。
帯のこ。幅が広く、身も厚い。
背にも刃がついている。
木造の防火用水タンク。二つの工場で見る。
防腐処理(CCAもしくはCuAZ)した木材で作る。
長い鉄筋で絞る。下が水圧が掛かるので、
下に行くほど段々鉄筋の距離が近くなっている。
次回予告
ニュージーランドでの食事その他について
(佐々木 幸久)
オークランド空港到着
朝8時過ぎオークランド空港に到着。検疫で食品持ち込みには大変厳格とのこと、申告に少しでも虚偽があれば即刻罰金300$と脅かされました。ほんの少しばかりのおつまみを「食品あり」と書き込む。係官はカードを見て、「これは何か」と確かに聞かれました。何とか答えて無事通過。
両替所で日本円30,000円をニュージーランドドル(NZ$)に両替。手数料10NZ$を引いて356NZ$とコインが何枚か。1NZ$当たり84円。以前来たときも似たようなレートだったと思います。大きな額の札をすべて10$、20$に替えて貰いました。
お土産1万円と、5泊なので1日当たり4,000円、これで十分だろうと踏んだのですが、あに図らんや予想は外れました。
オークランドにてニュージーランド最初の食事
ニュージーランド最初の食事(昼食)はチーズ、ベーコン、目玉焼きのハンバーガーとコーヒー、15NZ$。ペットボトルの水が4.5NZ$(400円弱)だったのにはびっくり、さすがに買う気になりませんでした。同行の皆も目を丸くしていました。
ニュージーランドは住宅バブル
バスの途中で日本人の現地ガイド(運転手兼務)に話を聞きました。家を1件作ると数千万円、水辺など景観の良い場所になると1億円以上掛かるとのこと。
オークランドは人口150万の大きな街ですが、うち中国人が10%近くを占めていてしかも更に流入が続いており、彼らの投機買いも含めた旺盛な住宅購入意欲に煽られて住宅価格が高騰しているようです。
オークランドは最も初期に入植が始まったところの一つであり、数々の名所旧跡がありました。
ロトルアへ移動
途中で休憩 マタマタの町のインフォメーションセンター
映画「指輪物語」「ホビットの冒険」ロケがこの町の郊外で行われた由。 映画好きガイドさんの話。
19年前もロトルアを本拠にしてあちこち行ったものです。
市内の「ポリネシアンスパ」の話が出て、その前も通ったのですが、19年前には宿から歩いてそこに入浴したのです。数日滞在した場所が分かるかなあと思いましたが、記憶は蘇りませんでした。
酒屋でワイン購入
ホテルに入る前ガイドさんが気を利かせて酒屋に寄ってくれました。ニュージーランドのワインは安くて質が高いとのこと。これには皆大喜びで私もシャルドネ系のニュージーランドワイン2本を仕入れました。
伝票を見たら、10.99NZ$と、12.99NZ$、合計23.98NZ$ですが、Rounding 0.02NZ$で、改め24.00NZ$となっています。「丸める」とは日本でも言いますが、大概は小さいところを切り捨てることが多いのですが、こうして足すこともあるのですね。面白いと思いました。しかしそれだったら、最初から10.99などという半端な値付けをしなければ良さそうなものと思うのですが。
ホテルに着いてから早速味見してみましたが、さわやかなおいしいワインでした。この2本と、鹿児島から持ってきた焼酎小鹿5合入紙パック×2本が、これから数日の夜の友になります。
初日の夕食
ホテルから歩いて数分のところに、その名も「EATSTREET」という飲食街があって、滞在中重宝しました。初日の団長抜きの夕食は皆で連れだってホテルを出ましたが、全員での会食は団長が到着する明日の夜にしようと一決。
看板を見ながら小ぶりな食堂街を行ったり来たり、何となく好みで3、4組に分かれました。私たちは気の良さそうな美人店員さんのお誘いで数人、とある店に入りました。ビール、ワイン赤白、料理は数皿を皆でシェアして、一人頭40NZ$。
そのままホテルに帰って二次会に。それぞれ部屋から先ほど入手したビール、ワイン、つまみを持ち寄り、それに焼酎のお湯割り。焼酎5合があいたところでお開きになりました。
(佐々木 幸久)
ニュージーランド2日目(2016年6月8日)
アグロドームで羊の毛刈ショー
午前中希望者で「アグロドーム」に行くことに。牧畜や農業の国ニュージーランドの情報発信基地として効果的な施設です。広大な敷地があって、体験農業的な事も出来るそうですが、私たちは観光施設の木造館へ。ここで羊の毛刈りなどの出し物を見ます。
観客は中国、韓国、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド国内。日本人は私たちだけで、全体で最も少ない10人。それぞれの言語の同時通訳者がつきます。ガイドさんの紹介で日本語担当者に挨拶。
弁士が立ってショーが始まりました。この司会が大男で芸達者で、早口で良くしゃべる。それを同時通訳が必死で訳すのを、我々はイアピースから聞くのです。いささか野卑な盛り上げぶりで観客も大喜び。
ころころと羊を転がしながらの毛刈りも自ら実演、19種類の羊のお披露目、外に出ての牧羊犬による羊の追い廻しなど、大したエンターテイナーぶりです。
驚いたのが、仕事としての羊の毛刈り。
羊の毛刈りは大変儲かる仕事だというのです。
その刈り賃は1頭当たり2NZ$とのこと、えっ150円?その値段で本当に儲かるの?
弁士によると毛刈り職人は1日9時間労働で600頭の羊の毛を刈る、つまり1頭当たり1分かからないわけで、その効率に2度目のびっくりです。確かに600頭やれば、1頭2ドルでも1200NZ$、10万円以上の日当になります。年100日なら1000万円、150日なら1500万円以上の年収で、確かに「儲かる仕事」と言えそうです。
しかし1人1日当たり600頭で、年間150日の仕事量を確保するには9万頭の羊が必要です。こういう人が何百人もいて、それぞれが十分な所得を得ているのならば、畜産から食肉、繊維までの巨大なサプライチェーンが出来ていることになります。圧倒的な効率を背景にした、圧倒的な国際競争力が背景になければ出来ることではありません。もっともそれが出来ているから国際競争力が出来たとも言えるのでしょう。
しかし一頭の羊を1分で丸裸に出来るとは。労賃はわずか150円とは。それで1日10万円も稼ぐとは。感嘆しつつもまた慨嘆することでした。
羊の毛刈りを我が国林業に引き比べてみる
我が国でも戦後植えた木が概ね伐り時を迎え全国で伐採が盛んになってきました。伐ったあとには当然植え付け(再造林)をしなければなりませんが、植え付けの人の確保が難しくなっているのです。歩掛かりとしての植え付け費は決して安くないと思うのですが、植え付けの仕事が儲かると聞いたことがありません。
実は一人が1日に植え付ける本数が、主たる林業国の中では我が国が一番少ないのです。あちこちで聞くのですが、最も多いところで1日1人400本、一般的に200~250本でしょう。
一方海外ではどうか。私の聞いた限り、どこでも不思議に同じで1日1000本なのです。
1本当たり植え付け費が100円であっても200本植え付けなら、1日20000円です。一方1000本植えれば、100000円の日当になります。仮に単価が半分でも、50000円。
例えば大学生が、1人ではいやだがサークル仲間数人と休暇中に挑戦したとします。1日50000円で20日働いて100万円になります。
例えば初めての仕事で大変でしょうが、夜の飲食店のアルバイトに比べれば健康的です。やっただけの収入が保証されるのであれば若さで乗り切れるでしょう。
次の課題が生まれます。5人で1日5000本。20日間だと10万本。現状だとまず苗木の供給が追いつかないと思います。
次に植え付けの場所ですが、1ha当たり1000本植えなら5人分の作業場所として100ha、1500本植え付けで75haが必要ですが、誰がこれを継続的に、かつ広範囲に確保できるかです。
我が国では林業が儲からないことになっているので、造林から間伐まであらゆる作業に補助金を付けています。補助事業の受け払いは極めて複雑な事務作業であり、専門教育を受けた林業技術者が多数これに携わっています。ベテランの技術者が本来の業務たるべき林業の技術や構造的問題の改良に携わるいとまもない有様です。
国際的に見て我が国林業は劣勢にあり、施業面積は伸びません。単価は高くても作業量が少ないので、結果的に従事者の全体所得は他の林業国に比べて問題になりません。人手不足はやむを得ないでしょう。
本日の整理
・国際競争力を確保できる商品価格を設定する。
・それに見合う労働単価を設定。 一頭2ドルとはまた何と安い!
・単価は安いが、仕事は継続的にいくらでもある。
・本人の技倆と頑張りで、沢山の仕事をこなす。 一人で1日600頭とは!
・少しでも効率を上げられるよう、配慮する。
・平等になどとの配慮から所得の頭切りなどしない、 1日10万円!
・継続して高い所得を上げられるなら、人材は集まる。
(メモ)
・午後は、初回に紹介した「レッドウッドフォレスト」
・昼食 インドカレー 10NZ$
・夕食 荒川団長1日遅れで到着。団長を交えての合同夕食会 75NZ$
サツマイモのポタージュ、ラム肉ステーキ、デザート
ビール、ワイン
(佐々木 幸久)
19年前にニュージーランドに行ったときは、既にニュージーランドの国立林業研究所(NZFRI)が民営化され、そしてすべての国有林と国営木材加工工場が、フレッチャーチャレンジに売却されていました。
今回訪問したSCIONは、民営化されたFRIの後継組織であったことを知りました。フレッチャーチャレンジ社の巨大な工場も今回見学したRED STAG、その他の会社に分割されたということでした。これらの経緯はよく分かりませんでしたが、激しい国際的競争原理の中で様々な最適解を求めて変遷していったのでしょう。
20年以上前のあの大胆な民営化は、当時の政権による国柄を替えるほどの行政改革の一環と受け止めていました。もちろんそれは事実でしょう。
ここからは私の想像です。かつてニュージーランドは林業を以て立国すると決意しました。その決意の下、関わった林業研究者たちの覚悟はすさまじいものでした。世界中からこれはと思われる樹木を探してきて、広大な試験林にその苗木を植えました。その遺跡が今回ツアー2日目に訪ねた「レッドウッドフォレスト」です。
気候風土との適性、林業面での経済性、木材加工原材料としての適性など、あらゆる面から科学的合理的多角的に検証検討して、結果的に外来樹種であるラジアータパインを選定しました。
そしてそのラジアータパインにも矢継ぎ早に品種改良を進め、様々な目的にかなう多数の品種が作られました。
このラジアータパインを国木として決定し、国有林を初めとして全国的に造林しました。そして伐採できるまでに成長するや、このやや特異な材質を持つ木を、きちんと合理的に利用するノウハウを確立するために、ついには国営による巨大な木材加工会社まで設立しました。
まさに近代日本立国を図った明治の功労者たちの如くにです。この時期のニュージーランドの行政官、研究者達が何と志が高く有能で、そして果断であったことか。
私たちが訪問した約20年前というのは、恐らくその目的をほぼ完全に達していて、おそらくは達成感に満たされた中、激しい民営化の流れに潔く静かに身を委ねていたという状況にあったものと思い至っています。
これらのプロジェクトが進行中あるいは完成期の頃に、この地に身を置かれたのが九州大学の若き学徒であった堤寿一先生だったのだと思います。先生は謹厳で武士的雰囲気のある方でしたが、まさに林業立国のために取り組んでいるニュージーランドの林学研究者たちの志に傾倒し、共感と深い敬意を覚えておられたのではないかと思うことです。それに比べると自国の林業、林学の世界は一体どうしたか、と歯がゆいものがあったに違いないのです。
今回の旅行で今のバブルの様子を見ていて、直感と想像から思い切って言うのですが、この国はあの頃を分水嶺として、武士的な国から商人的な国に転換したのではないか、ふっと沸いてきた感想です。
(記憶に残る昼食)
○スバイシーポーク+ご飯
アジア系の店 砂糖でベタ甘、辛い、汗があふれる 10.8$
○インドカレー
インド人が多いのだろう。様々な種類があって、うまかった。3度食べた。広大な野菜畑があったが、カレーの具材としてインド人達が作ったものだという。 10~13$
○昼なのにモーニング!
煮た豆とソーセージ、炒り卵、ベーコン、バターを塗った食パン
安くてうまかった 9.9$
(記憶に残る夕食)
○マオリ観劇と食事
ディナー料金69$+ワイン割り勘10$
他に団長外からワイン差し入れ
料理は、鶏、豚、羊肉、魚、芋、野菜の蒸し焼き。カレー、シチュー、麺、サラダその他
ディナー料金はホテルに付け、ということになった。翌朝ホテルでこの分精算しようとしたら、「既に支払い済み」と言う。??? 誰や彼や問い合わせて、何と荒川団長がぼそっと「俺が二人分払ったかも知んない」。えっ!!??。だって英語はすごく堪能な人なのに。
マオリ劇に皆さん参加して、楽しそうだった。ちなみに有名な戦いの前の儀式、「カマテ、カマテ、カオーラ、カオーラ」とは、「生きる、生きる、死ぬる、死ぬる」という神聖なもの。コマーシャルなどで使うのは罰当たりなことのようである。
○オークランドにて最終晩餐 レストラン「モリタ」 日本人経営
120$
ニューシーランド最後の夜。心残りの無いように、まさか割り勘負けをしないようにと言うわけでは無かろうが、みんなまあ良く呑むわ呑むわ、ついに料金一人頭120$に。
参加者中ただ二人の女性、M女史と父娘で参加された宮崎県M木材の娘さんとは、二人ながら英語も堪能で、いつも笑顔でありながら気品があって、とかく放縦に流れがちな男どもの気を引き締めて、視察団の品位を汚さない上で大変功労があったことを記して、この報告記を閉じることにします。
(「ニュージーランド再訪記」完)
代表取締役 佐々木 幸久