10月27日から11月2日まで、標題の主旨で行われた視察団に参加しました。
今回の視察は、法政大学の網野教授と、トモエテクノの岡本社長のお二人による入念な打ち合わせのもとで視察スケジュールが作られました。
網野教授はヨーロッパで永年暮らし、木造建築について最新の技術研究とあわせて、歴史的建造物の調査・研究、そして社会構造までも考察を深めてきました。
また岡本社長はスイスのシュミット社バイオマスボイラーを我が国で供給していますが、最多の納入実績と内外の多彩な応用事例を熟知しています。
このお二人のコラボレーションにより実現した視察計画は、標題に示す通り、単にバイオマス利用や木造建築の技術の一端を見るのみだけでなく、ヨーロッパの持続可能なエネルギー供給体制を志向している社会的取り組みを見てこようという意欲的なものになりました。
このようなことから、視察先も製材会社からCLTの製造会社、CLTによる5階建て建設現場、エネルギー公社、村の存続を模索し実践している自治体に至るまで、実に多様でした。
その分、早朝から夜まで一時も休憩の無い、かなりハードな日程になってしまいました。そして多くの方から「このような内容の視察は初めてで、意義深かった」と評価されました。
参加者は北海道から九州まで、年代も20代から70代まで、それぞれ仕事や業種、業態も異なる多様な17名の方々が参加されました。旅行の間ご多分に漏れず、いろいろと事件もありました(注)が、初対面も多い中、お互いの連携、協力は素晴らしかったと思います。
メルマガで次号以降、順次ご紹介します。
※注)第一の事件は旅の初日、成田から始まりました。
全員が揃い、挨拶も終えて、搭乗手続きの際、岐阜のSさんのパスポートが期限切れであることが判明。聞けば、新旧両方を保管していて、期限切れのものを手にしていたことに今の今まで気づかなかったとのこと。
当然この時は搭乗出来ず、衝撃のSさんを残して私たちは機上へ。
幸いSさんは航空券の変更が受け入れられ、2日遅れで無事合流、手を取り合って喜んだ次第。
(代表取締役 佐々木幸久)
ヨーロッパ視察にあたり、視察団名を「欧州における木によるサステナブル戦略の視察ツアー」、副題を「木造建築、製材産業、木質エネルギーの活用形態等」と名付けました。
すなわち視察先を分類すれば、
となりますが、これらが単独で存在しているのではなく、全体的に関連していることを見ようというところに、今回の視察団の大いなる特色があります。
そしてそれはハードなスケジュールの中、今回の極めて感性の高い視察団の17名の各位には、しっかり感得されたように見受けました。
自然エネルギー関連は、メルマガのバイオマスシリーズでご紹介していくこととして、その他のことをこちらのブログにてご紹介していきたいと思います。
両替、為替
成田空港でまず両替です。今回家内と二人で参加しましたので、10日間の滞在、買い物、食事などで20万円かな、とスイスフランに5万円、ユーロに15万円替えました。
実は2000年にヨーロッパに行ったときのことですが、ユーロが極めて安かった記憶があります。その時は街に出て買い物をしても、レストランでビールを飲んでも、こんなに安いのか、と驚いたものです。
木材加工の会社に行って、製材や集成材などの価格を聞いて、円貨に換算してみて、もしこれがそのまま日本に入ってくれば自分の工場はやっていけないな、とかなり真剣に悩んだものです。
確認のため、いまちょっとネットで調べてみたら、2000年というのはユーロの最安値時期で、88.87円と出ています。もちろんこの相場は永く続きませんでしたが。
今回両替したときのユーロは138.6円。20万円分の両替は、10日分の二人の昼と夜の食事、ビール、ワインなどの飲み物、ツアーから延長して3泊したかなり立派なウィーンのホテル代、そしてお土産と、この額で過不足無くまかなえました。
ちなみに、13年前の為替相場なら、同じ外貨を12万円くらいで入手できた計算になります。
「恐るべし、為替」
食事、飲み物
ウィーン初日の夕食は、地元の方に予約してもらった、なかなかしゃれたお店で、地元の人たちで賑わっていました。
「さあ、ウィーン名物を」と、「知らんぞ」と言いたげな網野教授を尻目に、皆張り切ってどしどし注文、豚のあばら肉を焼いたもの、ソーセージ、ウィンナーシュニッツェルなど、運ばれてくると、それはそれは大変な量で、相当に頑張ってもなかなか減らず、往生した次第でした。
ビール、ワイン、その他飲み物を入れて、一人当たりの割り勘が25ユーロ。「世界一住みよい街」との網野教授のお話に首肯出来ました。
朝食
パン、シリアル、ハム、ソーセージ、チーズ、バター、ヨーグルト、野菜、飲み物。どれも種類が多く、なかなかな味わいで、毎日おいしく食べました。
愛媛のKさん、関東のHさん、私達夫婦の4人(視察団の中でも高齢組)が、決まって毎朝6時半レストランが開くのを待っての一番乗りで、しかもお互いの皿を見て笑ってしまうくらい沢山取っていました。私の普段の朝食からすれば、カロリーで3倍ではきかなかったと思います。
毎朝の献立をメモしていましたが、毎日ほどんど同じで、朝については3日目でメモをやめました。
昼食
パンに厚切りのソーセージ、ハムなどをはさんだもの。移動中のバスで食べたこともありました。
ご飯やパンと、肉や魚のシチューなど。スイスで鹿肉のシチューもいただきました。その他、パスタ、フライドポテトなどなど。
飲み物は、ミネラルウォーター、ジュース、ビール、コーヒー(いずれも3~6ユーロ)
夕食
ウィンナーシュニッツェル(薄い肉のカツレツ)
コルドンブルー(薄い肉にチーズがあわせてあるカツレツ)
魚(鮭、鱈など)のフライ、ローストチキン、チーズフォンデュ、鹿肉や牛のステーキなどなど。スイスでの最後の夜は中華料理でした。
というわけで、食事面はかなり充実しておりました。
次回は、木造建築の建築現場について書きたいと思います。
(代表取締役 佐々木幸久)
今回の旅で最も気になっていた訪問先の一つが、オーストリア・グラーツのKLH社でした。というのも14年前の2000年(平成12年)に同社を訪問して、初めてCLTというものを見たのでした。
同社がグラーツ工科大学の先生をコンサルタントに、何年もかけて技術開発、世界で初めて商品化したのがCLTです。
2000年当時、当社は10年ほど大断面集成材を使って大型木造建築を数々手掛けていましたが、骨組みは立派でも壁や床が物足りず、飽き足りず思っていたところに、この材料は実に我が意を得たものでした。
この視察から帰ったあと、何とか事業化出来ないかと私なりに努力してみました。中古のプレス機を探したら、どういう時の運か四国に探したものが見つかり、トレーラー10台余りで積んできました。
さっそく試作を試み、出来た材料の試験も行って、その木材とは思われない材質に驚きました。CLTは直交して積層するために、「木材の異方性(※注)」が解消されて、強度面での弱点が解消されます。
(注)木材の異方性
木材の性質が長軸方向、接線方向、半径方向の3方向で、強度、たわみ、水分による伸縮などが大きく異なることをいう。長軸方向には多方向に比べて強度が高く、水分の変化による伸縮が少ない。
このCLTを設計にも取り入れて戴くように働きかけました。九州のある町の学校校舎に採用されました。個人のお宅に使って戴いたこともあります。大変頑丈な家になって喜んで戴きました。
しかしながら、当時は結局事業化としては成功しませんでした。我が国で広く使ってもらうためには「公的認定」が無いと難しいのです。公的認定は木材の場合、日本農林規格(JAS)の認定を受ける必要があります。
認定を受けるためには、あらかじめ指定された品目、すなわち無垢材、集成材、合板など毎に定められた基準に合致する品質の製品を作ることのできる設備、技術者、ノウハウがあることを認定されてはじめて認定工場(製品)になります。
CLTはヨーロッパで開発された、これまで我が国には存在しなかった商品ですから、我が国には当然規格もありません。規格が無ければ申請しようがないために、いつまでたっても「公的認定」は得られません。
国内に存在しないもののために新たな規格を作ることは出来ない、しかし公的認定がなければ作って売ろうとしてもほぼ間違いなく決して売れない、という私の個人的力ではどうにもならないジレンマにあったわけです。
今は大きな流れが出来て、「我が国では異例」と言われるスピードで、国内に存在していなかった(従って規格が出来るはずがなかった)CLTの規格、「直交集成板の日本農林規格(JAS)」が出来ました。(2013年12月20日告示、2014年1月19日施行)
ただこうして製品としての「公的認定」はされたのですが、これらが広く使われるようになるためには、さらに建築関連の法整備が必要で、これはさらに3、4年の時がかかると言われています。つまり外国で開発、普及されたものを追認する形で規格が出来ることはあっても、「世界で初めて」という建築材料(特に構造材料)は、まず決して我が国で生まれることは無いだろうと思われます。
一方ヨーロッパでは、特に「公的規格」は無いまま、各社の企業責任に基づく各社独自の「技術基準」により、このCLTが広く普及、多くの会社がこの事業に進出、技術面でも、また多様性におけても長足の進歩を遂げたと聞き及んでいます。今や一つの産業ジャンルを構成しているといってもよく、恐らく数百億から一千億近いマーケットを形成していると思われます。
その中でこのCLTを始めて世に出し、ビジネスとするため設立されたKLHは、どのように変化、あるいは進化しているだろうか、というのが大きな関心でした。
私が視察した当時は、事業化して2、3年目という草創期であり、まだ注文は少なく、一つの現場の注文があれば、工場で作ってその場で加工され、出来たものを現場へ持って行く。おそらくは一件一件が思い出深い、まさに物作りとして最も楽しい時期であり、私にも覚えのある雰囲気でした。
今や生産量も桁違いに増えて、同時並行で多くの現場の加工が行われて、出来上がった分ずつが次々にトレーラーに積み込まれていましたが、現場での組み立てを考え、その順番に積み込み順番もかなり神経を使っているとのことでした。外には積み込みを終えた台車、積み込みを控えた次の台車、およそ10台あって、盛業ぶりを伺わせました。
CLTは優れた商材で、極めて合理的であり、また環境重視の時代の流れにも叶っていたのでしょう。この会社が初めて各地に作った建物は恐らく衝撃的な魅力を放ったのではないでしょうか。
その後、製材大手を含めて後続のメーカーが沢山出てきました。製材大手の立場から見れば、商品価値の低い材料がCLTでは十分使えることも魅力だったろうと思います。後発といっても資本力があり、独自に技術開発し、合理的かつ大規模工場を作ってコストダウンを計り、売上を確保していったと思います。供給が増えれば、値段も下がりさらに需要が増えていく、商品の普及期とはそういうものなのでしょう。
諸データから見てKLH社のシェアは、今では数%程度と思われます。資本の論理とはいえ、創業者利得は十分に得られただろうかと、ちょっとそんな感慨にとらわれました。(次号につづく)
代表取締役 佐々木幸久
10月30日、スイス北部の町ゴッサウ(Gossau)にある、4つの木材・木造建築関連の会社の「団地」を訪問しました。
特に、約10万m3の原木を消費する製材工場(レーマン社 Lehmann)の歴史は古く、工場の建物は新旧全て木造です。
同一業種が集まった団地ではなく、製材所、乾燥後プレーナー加工して販売する製材加工グループが中核としてあります。そしてそれを利用して、様々な商品に展開しています。
厚い断熱材を入れた建築用のパネルなどの建築資材を作るグループ。
当社が手がけているような大型木造建築、それもかなり特殊な、世界的に話題になっているような、デザイン性の高い難しいものを引き受けているグループ。
■世界初の木造ビル 坂茂の木造7階建てビル、チューリヒに誕生
http://www.swissinfo.ch/jpn/detail/content.html?cid=36226708
里信邦子(さとのぶ くにこ), swissinfo.ch
寒い地域なので道路の融雪剤は不可欠ですが、これは鉄だと錆びるとのことで、木製の融雪剤サイロも作っています。これはあちこちで道路端に建っているのをたくさん見ました。
さらにこれらの工場から出てくる廃材などを利用した、地域熱供給+発電会社があります。
「集成材は巨大な工場が沢山あって、余りに競争が激しく、作るよりは購入する方が得策」との説明でしたが、いずれのグループも魅力的な優れた商品を作っており、付加価値は高いようで、ビジネスとして成功しているように見受けました。余り大きな規模は目指さない替わりに、私達がこれからのモデルともしたい、面白く魅力的な企業集団でした。
(代表取締役 佐々木幸久)
フォアアールベルクの木造建築
スイス、チューリッヒの近くエシュリコン村のホテルに3泊しました。
朝、ホテルをバスで出て、国境を越え、オーストリア・フォアアールベルク州で、1日木造建築を見ました。
スイスとの国境、オーストリア最西端の最も小さな州です。オーストリアでも有数の木造建築の盛んなところで、建築についての規制がオーストリアの中では比較的緩いとのことで、ユニークな建物が多いと言うことでした。
これまで写真で見た多くの建物を実際に見ることが出来ました。
◇ライフサイクルタワー
同州ドルンビルン市。2012年完成。8階建て。
このビルを建設した会社は、木造のビルをコスト、工期などでより有利に建設できるために、新しい工法を開発しました。
木材とコンクリートを併用した床版を開発するなど極めて優れた構法ができました。20階建てまで建設できる木造ビルの建設システムが完成、クレー社という「都市木造ビルを建設する新会社」を設立して事業展開、このビルの中に事務所があります。
それにしても、このような優れた技術が開発されるやすぐに建設が実現し、かつ新しいビジネスとしてこれを事業化できるというのは、建築については規制でがんじがらめ、しかもその規制を変更する(して戴く?)には、膨大なエネルギーを要する我が国では、とても考えられないことです。
我が国でも建築の研究者は非常に沢山おられて、日々様々な新しいアイデアを実用化したいと実験しておられます。規制を超えない範囲の小さな研究をするか、規制に関わるユニークな大きな研究はそもそも実用化をあきらめて、「実験のための実験」と自嘲しながら研究をしている研究者が多いのです。まことに勿体ない残念なことです。
◇ルーディッシュ市民センター
先述のライフサイクルタワーと同じ建築家ヘルマン・カウフマン氏の設計による木造庁舎。2005年完成。地上2階、地下1階建て。
ルーデッシュ市の市庁舎敷地内に、日本で言う「木材協会」といった小さなオフィスがありました。そこの事務局の人が網野教授と顔見知りのようでした。デ・ニーロを三枚目にしたような顔をくしゃくしゃにして喜んで、酒瓶を取り出してみんなに振る舞うというので、遠慮無くご馳走になりました。度の強い、シュナプスという焼酎で、一気に飲まないとむせます。珍しい歓待でした。
美しい村に木造の庁舎が建つ
一つの渓谷に小さな村があり、いずれも村の人口は例えば300人とかの小さな集落です。これらの村にちゃんと住民がそこそこに豊かな暮らしを営んでいて、私達の訪問に元気そうな子供達が集まってきました。
「庁舎」と言っても、執務室は村長1人に、秘書1人というような規模で、庁舎の中に保育園あり、診療所有り、銀行有り、マーケット有りという複合施設です。それらの施設も常時開いているわけではなく、マーケットも、私達が行ったときは閉店時間でした。商品を見たら、結構欲しいものもあったのですが。
案内してくれた村長さんたちが、村の永続的な発展を願い、様々な試みをしていることを熱心に話してくれました。そして自分たちが作った庁舎への熱意、愛情、誇りについても雄弁に語ってくれました。
どの建物でも「エネルギー」については徹底した省エネを貫いています。
寒い地方ですが、暖房のために、化石燃料や電気使用はゼロを貫いています。
我が国の常識では信じられないほどの断熱材を使用する事と、チップボイラーを使って村内の資源でエネルギーを得ていることに誇りを持っておられました。
◇ザンクト・ゲロール村 庁舎
◇ブロンス村 庁舎
◇ラッガル村 庁舎
代表取締役 佐々木幸久
2013年11月2日(土)、全ての視察を終えて朝、3泊したホテルをバスで出発します。朝飯もおいしく、良いホテルでした。
トモエテクノの岡本社長は、シュミット社との打合せもあり、あと2,3日このホテルに滞在するとのことで、ここでお別れです。
この視察のバイオマス関係の計画、段取りは岡本さんがしてくれていて、大変お世話になりました。
成田でのSさんのパスポート事件などは有ったものの、最後まで無事に終わって良かった、とても中身の濃い視察内容だったと、皆で岡本さんにお礼を言い、また別れを惜しみました。岡本さんからも、「これだけの人数のツアーとしては、時間通り事が進みまことに心がけの良い、レベルの高いメンバーでした」とお誉めを戴きました。
「まだしかし、成田に帰り着くまでがありますから・・・」と。
バスでエシュリコンを出発、チューリッヒ空港へ行って、ウィーンへ空路移動です。
チューリッヒ空港でのこと
この旅から帰って暫くして、東京でのことです。同業会社の役員Aさんが「佐々木さん、スイスの空港で何か有ったそうだね」とニコニコしながら、「知ってるぞ」という感じで言うのです。
「旅の恥は掻き捨て」の失敗話が、業界内である程度伝わるのは当然だけど、はて、何だっけ?
そうそう、そういえば・・・・
空港の搭乗手続きで、荷物を預けるとき、女の係員が「ノー」と言うのです。預かり荷物の重量制限が結構厳しく、その制限を何㎏かオーバーしていたようなのです。拒否されたバッグから「あるもの」を持ち込み手荷物へ移しました。これでパスするはずと、試みたら無事通過でした。
何のことはない、ほんのちょっとした手違いだったのですが、同行の誰かからAさんへ伝わるほどの何の話題性があったものか。
実はその「あるもの」が日本酒だったのです。「佐々木は酒を沢山持ち込んで、受け入れを拒否された」という話に転化していったようでした。
これまで同業の方々と海外に行くときは、よくアルコールを持って行きました。鹿児島勢でオーストラリアに行ったときは、同行の人たちも同じ思いだったらしく、確認したら持ち込んだ焼酎の総数が何と一斗(一升瓶にして10本)も有りました。さすが鹿児島県人です。毎晩夕食が終わってから、誰かの部屋に集まって、焼酎を飲んで「反省会」に励んだのです。一週間あまりの旅の途中でこれをすべて飲み干したのですから、大したものです。
その時の楽しい記憶があったので、今回は全国からのメンバーだし、焼酎よりは日本酒がよかろうと思ったのです。ところが旅も終わろうというのに全く消化出来ていませんでした。それだけこのツアーの行程が過酷だったのでしょう。遅い夕食が終わったときはもうへとへとで、とても皆さんと一緒に「反省」する元気もない、と言う有様でした。それで酒が残って、笑いの対象になってしまったようです。
(最終話・後編に続く)
代表取締役 佐々木幸久
11月2日(土)ウィーンにて
空港から市街地行きの列車に乗りましたが、網野教授ほか数人は別の予定があって少し先まで行くとのこと、電車で別れて私達数名はホテルへ向かいました。
電車を降りてすぐ、前を歩いていたYさんが突然硬直、うめき声を上げました。
「バッグを忘れた!」
何とパスポート、財布、カードなど何もかも入っている手回りバッグを、電車に置き忘れたというのです。一同悄然としながらとりあえずホテルに入りました。
すぐに網野教授に連絡しましたが、すでにその電車を降りたところでした。それからは、日本大使館は?カード会社は?警察は?保険会社は?と、皆で手分けして電話をかけまくり、ホテルロビーの一角を騒然とさせました。
その最中、網野教授から電話が。何と奇跡的にも見つかったという連絡です。
網野教授達のお手柄でした。「あの電車は折り返して帰ってくる可能性が高い」と、ひっきりなしに到着する電車の車中を、ホームから目を皿のようにして見続け、そしてYさんのバッグを発見、その車両に飛び乗り、置き引きに間違われないように「有った!有った!」と叫びながらバッグを回収したという実に胸のすくような活躍でした。
一部始終を目撃したSさんは若い人たちのめざましい活躍ぶりに感激のあまり、オイオイ泣いたとか。
Yさんはいかにも九州男児らしい快男児ですが、その怒濤の狂喜乱舞は今でも鮮やかに目に浮かびます。その日は全員がYさんの奢りの口福に預かった次第です。
11月3日(日)、4日(月)
今日の便で帰る皆さんを近くの駅まで見送りました。
私達夫婦は同じホテルにあと2泊滞在します。冷たい小雨の降る中、ウィーンの街を当てもなく終日歩き、また電車に乗りました。
映画「第三の男」で有名なプラーター公園の大観覧車に乗り、シュテファン大聖堂の尖塔に行く何百段かの階段を上りました。家内は登り切ったときには息も絶え絶えでしたが、私は殆ど息が切れることもなかったので、ちょっとだけ胸を張ったことでした。街ではウィーン名物とワインを頼みました。ホテルでは、日本からはるばる持ってきた日本酒を味わいました。
11月5日(火)
ホテルを引き払い、後ろ髪を引かれるような思いで、一昨日皆さんを見送ったホテル近くの駅から列車に乗り込み、ウィーン空港へ。
そしてオーストリア航空の機中、搭乗前に買い込んでいたヘネシーを、うまいなあとしみじみ味わっていると日本人乗務員からおしかりが。「お強そうですけれども、思わぬ悪酔いをすることもありますので、強いお酒はお控え戴けませんか」と誠に丁寧なご挨拶なので、快く了承、潔くテーブルから酒瓶を鞄の中へ。あとは言いつけに従って飲まぬ風に、テーブルの上に酒瓶を置かず、鞄の中から取りだして、飲んだらまたしまう、きれいに飲み終わったらそのまま気持ちよく就寝、目覚めたらもう日本上空です。
成田到着後、最近運行されている成田発LCC便に乗って、鹿児島へ。こうして足かけ11日の思い出深いヨーロッパの旅を、無事終わることが出来ました。(完)
代表取締役 佐々木幸久