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★【シリーズ】バイオマスについて(26) 代表取締役 佐々木幸久
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一月一日
一、
年の始めの例(ためし)とて
終わりなき世のめでたさを
松竹(まつたけ)たてて門(かど)ごとに
祝う今日こそ楽しけれ
二、
初日の光差し出でて
四方(よも)に輝く今朝の空
君が御影(みかげ)に比(たぐ)えつつ
仰ぎ見るこそ尊けれ
今年の元日は気候も穏やかで実に心地よいお正月でした。
九十歳の母、妻娘ともどもおとそ、お雑煮をおいしく戴きました。それから地元の「四十九所神社」、「護国神社」の初詣、そして父のお墓参り。
午後は母を訪ねてくれる弟家族との歓談。子供たちもいつの間にか酒の強者になっていて、酒の品評などしている内についつい過ごしてしまうおとそ。いつもの穏やかで幸せなお正月でした。
さて、巷間「今年の新年は温かくて正月らしくなかった」という話が出ました。年々お正月らしくないと感ずる人が増えているように思います。それは「例年になく温かい」からではなくて、正月らしい装いやしつらいを誰もしなくなったから、正月らしくないと感ずるのだろうと思います。
小さい頃「新生活運動」という動きがあって、例えば門松などの「因習」は廃しようと推奨していました。松や竹を無駄に切らない、大事にしようということで、誰も反対できない至極もっともな話でした。
その結果松や竹が繁茂する立派な山になったかと言えば全く逆で、松は松食い虫で全滅、竹ははびこりすぎて国がお金を出して「駆除」するという始末です。新生活運動がすべての元凶とは思いませんが、伝統の全否定は誤りだろうと思います。