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★役員からのメッセージ 常務取締役 塩﨑 征男
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2011年(平成23年)3月11日14時46分
皆さんは、その時に自分が、何をしていたか覚えているでしょうか。
宮城県牡鹿半島の東南東沖130km仙台市の東方沖70kmの太平洋の海底を震源とする東北地方太平洋沖地震が発生した時間です。
地震の規模としては、モーメントマグニチュード (Mw) 9.0で、発生時点において日本周辺における観測史上最大の地震。震源は広大で、岩手県沖から茨城県沖までの南北約500km、東西約200kmのおよそ10万km2という広範囲全てが震源域とされており、最大震度は宮城県栗原市で観測された震度7で、宮城・福島・茨城・栃木の4県36市町村と仙台市内の1区で震度6強を観測したと言われています。
もう5年が経ち、地元の方々でさえその生々しい記憶が、徐々に薄れていっている人もいるといったニュースを見たりしますが、私ははっきりとこの時どこにいて何をしていたかを覚えています。というのは、その時、出張で長野に行っており新幹線が止まり帰れなくなったので急遽、宿を取り部屋でニュースから流れる映像をみていたということと、もう一つ、その翌日の朝大きな地震に遭遇したことも関係しています。
栄村大震災(さかえむらだいしんさい)という2011年3月12日午前3時59分に発生した、長野県と新潟県の県境を震源地とするマグニチュード6.7、震源の深さ8キロ、最大震度6強という大地震です。震度6強という大地震であるにも関わらず、東北大震災の翌朝ということもありまた人口2000人ほどの小さな村ということもあり以外と知らない人も多いかもしれません。
さて前振りが長くなりました。
こうした災害は被災された方々にとっては、悲しい出来事となってしまいましたが、その教訓は忘れられることなく次世代への教訓や法制度となって伝えられていきます。
東日本大震災でのひとつの例ですが、震災後、ボランティア活動に対する保健衛生上の規制や支援車両に対する道路交通法の規制など、現在の法令による制限が復興の障害となっていることが明らかになったこと、復興の遅れにより経済や生活に二次的な被害が生じているため関係自治体では災害特区指定や特別立法への期待も大きいと言われていること。
また、私の仕事の関係としては、大きな地震被害が今日の建築基準法における耐震設計を向上させてきていて、より安全な建物が建てられるようになってきたことなどもその例と思われます。
長い前振りと大きな事例の後ですが、私たちの生活・仕事の中においてもよく言われますが、「同じ失敗を繰り返さない」という言葉があります。言うのは簡単でもっともだと思うのですが、しかしこれを実行することは、意外と難しいこともご存知かもしれません。
私自身もいろいろな失敗の度に、これからは気をつけようと思うのですが、いつかまた繰り返してしまうことも多々あります。私自身の話になってしまいますが、こうした事を無くす(無くならないかもしれませんが・・)ことを意識して(時々ですが)自分のやってしまった失敗や困った時のことを思い出したりしています。そのことで「同じ失敗を繰り返さない」ことの予防になるのではないかと思ってやっているわけです。
起こってしまったことは仕方のないことと思うのですが、そうならない様に考えて仕事・生活をすること、起こってしまった後にどう対応出来るか、そして起こってしまったことを反省し今後の教訓としていくこと。こうしたことの心構え、そうした意識について少しだけでも考えてみてもよいのではないかと 3月11日心の中で黙祷をしながら考えていました。
前の話に関係は無いかもしれませんが、最近の話で、ア~またか?と思ったニュースがありました。
終わったと思ったら また火がついた、いや火を点けられない 新国立競技場
いやはや どうなるのでしょうか?
私たちが、どうこうと言える問題ではないのですが、こうした事が、私たちの会社の中で起こらないようにと、自分たちの周りを振り返ってみることも大切です。
①規定、基準を順守 VS IOCは、聖火台は原則としてスタジアム内の全ての観客から見える場所に設置すべきだと定めている。JSCは知っていたが、A案・B案の選考の項目には入れていない。
②大きなプロジェクトは、報連相が大切 VS JSC、大会組織委員会、文部科学省 他
③過ちは即座に確認・反省、素早い対応 VS 責任の押しつけ合い
何はともあれ、早く解決して2020年に向けて、スタートしたいものです。
昨年4月1日から大分県より山佐木材(株)技術本部に出向いただき、業務や社外でも一緒に過ごした1年はあっという間の時間でした。一番助けられたのは、言うまでもなく私でした。各種事業や業務の補佐どころか、先頭に立って遂行していただき、どれほど助けていただいたことでしょう。この誌を借りて御礼申し上げます。
山佐木材(株)としては、大変優秀なメンバーが1名減となることになります。西胤さんがいなくなったから・・という理由は言えません。一人一人が更に研鑽してその分を補っていかなければなりません。(これは、自分に言い聞かせています)
また西胤さんにとっては、山佐木材(株)で体験された事が、今後の仕事における糧になるならば、私たちとしても嬉しく思います。
大分県に戻られた後の益々のご活躍を期待しています。
ありがとうございました。そして See You !
(常務取締役 塩﨑 征男)