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★役員からのメッセージ 取締役 神田 稔
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ふるさとの山から思うこと
ふるさとの森林はそこで暮らす人々の営みに様々な恩恵をもたらしてきた。
動植物が生きるために不可欠な酸素を供給したり、森林に蓄えられた雨は地下水となり湧水として飲み水に利用されたり、雨露をしのぐために建物を造る材料として利用されたり、寒さから身を守るため、料理を作るための薪・炭としても利用されてきた。
我々が暮らすふるさとの国有林は戦前過剰に伐採され荒廃したため、国家事業としてスギ、ヒノキ等針葉樹が植林されてきた。今年の3月末、ふるさと活性化事業の一環として国有林である中岳(別称吾平冨士)の登山道が整備され、整備に携わった地域の人たち、鹿屋市長・職員の皆様、登山同好会の方々と初めての登山をした。
前岳・中岳(標高677m)・後岳と4時間の縦走だったのだが、そのとき異様な光景を目の当たりにした。植林され大木に成長したヒノキが全て枯れていたのである。
想像であるが、広葉樹を伐採した後にヒノキが植樹され、その後数十年は萌芽する広葉樹も切られていたが、その後手入れされずに大きくなった広葉樹がヒノキの生長を阻害したのではないか。あるいは広葉樹を伐採した樹間にヒノキが植樹され、陰樹であるヒノキは広葉樹の生長にかかわらず数十年かかり大木に成長したが、広葉樹の枝が横に生長し、風で揺れる広葉樹の枝がヒノキの枝を徐々に打つようになり最後はヒノキの枝のダメージが大きくなり枯れ死に至ったのではないか。
この現象は竹が杉山に侵入すると起こる現象である。が真実は不明である。
2020年東京オリンピックが開催されることになった。1964年の第一回東京オリンピックから56年後ということになる。日本の木の文化・日本の資源を世界にアピールできるように紆余曲折の結果、新国立競技場等数件が木造になった。1998年の冬季長野オリンピックの競技場も木造であった。1994年開催されたリレハンメルオリンピックのスケート会場は、屋根のセンターキール部分が500mを超える壮大な木構造デザインで度肝を抜かれるものであった。鹿児島大学の塩屋教授が考案されたSAMURAI集成材ならば、あのようなデザインも可能なのではないかと思っているが東京オリンピックには間に合わないのではないか。残念である。
何はともあれ東京オリンピックで木材が大量に使われることは木材を扱う企業としては喜ばしいことである。戦後植林されたスギ、ヒノキ、カラマツ等が使われ、この植林事業を企画立案し、植林手入れ等の事業に携われた幾多の方々に感謝の念を表さずにはおられない。
リオから東京へ
4月末から5月の連休にかけて男の一人旅に出た。大学校時代の友人達と会うことも計画し、なかには40数年ぶりに会う人もいた。ほとんどが第一線を離れ気軽に会える境遇になったことも大きい。
その中に小生が木材関係の仕事をしているということで手ぐすね引いて待っていた友人がいた。その友人の婿殿がリオオリンピックの25mRFP(ラピッドファイアーピストルで検索)に出場することが決定し、4年後の東京オリンピックに向けてピストルの銃床(木製)を新たな材料に替える研究をしたいという。
実は、山佐の前身は九州樫材株式会社という会社で、戦前は銃床になる樫の木を国見の山から切り出していた。そのゆかりの山佐産業株式会社に入社し、会社人生の最後の方で東京オリンピックに採用される集成材やCLTに関わることができている。さらに採用されるかもしれない銃床とは。「自分を褒めてあげたい」とオリンピック出場者で言った人がいたことを真似たい。因果応報かなと。
(取締役 神田)