メールマガジン第33号>社長連載

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★【社長連載】 Woodistのつぶやき(1) 熊本地震について         

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熊本大地震

 熊本で大きな地震があってからもうすぐ2ヶ月がたちます。

 今では「前震」と呼ばれる14日、私は奇しくも熊本市内に宿泊していました。少し風邪気味で、早めに夕食を済ませていて、地震の起こった時間には熟睡していました。激しい揺れに飛び起きましたが、停電もありません。カーテンを開け外を見ましたが、家の倒壊、火事も見られず、信号も動き車の往来もあって特に変わった様子にも見えません。

 それでも服を着て靴を履き、余震に備えました。時に余震でゆるゆると揺れて、まるで船の上のようでした。ホテルから、閉じ込められないよう部屋のドアを開けておくこと、エレベーターを使わないことなどの連絡がありました。フロントで毛布を借りて車中泊にする人もかなりいたようです。

 翌朝は熊本市内での用事をキャンセルしましたが、この時はそれほどの大事とも思えず、まだ移動手段はありましたので、予定の別の場所へ移動しました。

 後に「本震」と呼ばれた翌々日深夜の地震の方が、揺れはもっと強く、被害も大きいらしいことが分かってきました。当社のY熊本所長は数日の車中泊を余儀なくされ、I相談役も2週間もの断水に見舞われたとのことでした。

 

災害救助の実態   日本経済新聞「風見鶏」(2016/5/1付)による

 熊本出身という、編集委員坂本英二氏の「風見鶏」の文章が、愛する郷里の悲劇に心を痛めつつも、再建を願い、今後の震災に備えるため、大変冷静に震災の現況を取材し、分析しているように思われます。

 同文中には、「熊本の家族や友人達と連絡を取りつつ、東京での政府の動きを取材した。」とあります。その記事の一部を紹介します。

 

与党幹部は今回の危機対応について「初動は早かった。過去の教訓が生きた」と語る。(中略)

危機は去っておらず検証はまだ早いが、すでに浮き彫りになった課題は多いと感じる。

安倍晋三首相や菅義偉官房長官は連日、被災地の情報を確認しながら矢継ぎ早に指示を出した。

「支援物資は要望を待たずプッシュ型でどんどん届けろ」「救助活動の自衛隊を2千人から2万人に増やせ」。(中略)

 

一方で自治体の対応は遅れが目立った。県庁などに緊急物資が山積みになり、被災者には届かない「ラストワンマイル」の壁が今回も立ちふさがった。(中略)

熊本県の関係者は一時18万人を超えた避難者数は想定外だったと認める。「九州地区は火山がよく噴火してエネルギーが発散されているから大地震は来ないというおもいこみがあった」(中略)

 

 端的に状況が活写されていて、さもあらんと頷くことでした。また行間に生まれ育った地域への深い愛情が感じられました。

  

熊本城の被災と復旧   再び日本経済新聞「風見鶏」による

 この記事は「小高い丘の上の熊本城は市民がいつも仰ぎ見る誇りであり、」という書き出しで始まり、文末は熊本城再建へのエールで終わっています。熊本市民にとって如何に熊本城が大事な存在なのか理解できます。

 

(再び同欄から引用)

1960年に外観復元された天守閣は損傷が激しく、崩れた石垣は鉄筋コンクリートの重みが原因との見方もある。長い時間を要してもこの際、城郭全体の木造での再建にあえて一歩を踏み出してはどうだろうか。(文章完、引用終り)

 

 熊本城をあのまま放置することは出来ないでしょう。どのような形であれその修復は避けて通れないことです。

 ほかにも、名古屋市では名古屋城改築が具体化しようとしています。これもコンクリート造りになっているものを再び木造化しようという動きだと仄聞します。

 

 鹿児島市でも、鶴丸城ご楼門の復元が関係者の熱心なお取り組みで実現の運びになりつつあります。 

 地域創生、観光、町おこしなど様々な名目ではありますが、恐らく全国的にこの動きが強まるように思われます。悪いことではないと思いますが、そのとき建築資材、特に大量に必要な木材の調達はどうするのでしょうか。

それは次回に。

(代表取締役 佐々木幸久)