メールマガジン第35号>西園顧問

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★【西園顧問】木への想い~地方創生は国産材活用から(17)

  「鶴丸城御楼門の復活再建と木材利用」

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 鹿児島には現存している歴史的価値の高い木造建築物が少ない。薩摩藩政時代に建てられたが、その後諸々の事情で破壊された木造建築の復興再建を、木材業者はもっと声を大きくして訴えて欲しいと私は言って来たので、今度「鶴丸城の御楼門再建計画」が実現する事は誠に喜ばしい。(「鹿児島城」は「鶴丸城」と呼ばれる事が多いので、今回は鶴丸城と統一して書く。) 

1873年の焼失前に撮られた鶴丸城城門
1873年の焼失前に撮られた鶴丸城城門

 

 島津家の歴史は源頼朝の御落胤と言われる惟宗忠久が、都城周辺の島津荘園を治めた事から始まり、その後5代までは出水の木牟礼城を居城とした。そして東福寺城清水城を経て、現在の鶴丸城の内城の建設へと変遷して来た。島津家当主第18代家久(16代義久の婿養子で、島津藩主としては初代)が、関ヶ原戦後の慶長6年(1601)に築城を始め、3年後に完成している。

 当時の日本の城のほとんどが天守閣と高い石垣を備えたのに比べ、背後の城山を後詰め山城として、天守閣は無く石垣の高さも標準的で、本丸と二の丸は共に屋形造りの層閣無しの日本でも珍しい平城である。

 これは島津家が外様大名なのに所領替えを受け無かった事に対し、対徳川幕府への恭順の意を示す対策として、又「城を持って守りと成さず、人をもって城となす」との薩摩藩の精神的思考法を示した築城法と言われる。鶴丸城は内城として、他に藩内に113外城を置き藩全体で城とする考えであり、郷中教育の精神を表わしたものである。鶴丸城は海岸線に近い事から、17代当主義弘は築城場所としては海からの防御に不適と反対したそうだが、260年後の薩英戦争の時に英国艦隊からの被弾を受けた事が、義弘の心配が当たった訳である。(甲斐の武田信玄の躑躅ヶ館には天守閣が無かった事で知られるが、時代が少し早い事と後から甲府城が作られている。)

  

鶴丸城完成模型
鶴丸城完成模型

 鹿児島県建築士会が御楼門復元を目指して作成した「鹿児島城(鶴丸城)址 御楼門復元調査研究報告書」と、完全に残されていた礎石遺構を組み合せて復元図面を作ると、二重二層の武家門造り3尺角と太い柱が建ち、中央間口5間に両脇戸(潜戸)付きであった。上層屋根は本瓦葺きの入母屋式で正面に連子窓(格子)が有り、下層は四方葺き降り屋根で外壁は上部漆喰塗り仕上げ、下部は芋目地なまこ壁となっていた。二層の屋根高さ16.7m、鯱までの高さ20m、2階部分の全体の柱間横幅は19.7mと、日本でも代表的な歴史的価値の高い城門で、天守閣が無くとも城全体の威厳を感じさせる木造建築門が、今回復建できる事になる。

 

 平成25年に鹿児島経済同友会が復活再建の音頭を取り、鹿児島経済5団体が連携して主体となり県と鹿児島市が協力すると言う、民主導官支援の「御楼門復元実行委員会」が設立された。28年3月末までに法人から約45,000万円と、個人から約5,000万円の民間資金が既に集り、残りを県市が負担する計画となっている。(引き続き寄付金は受付継続中との事です。)

 御楼門完成に続いて、鹿児島県が南隅櫓県単事業で復元する事を決めており、鹿児島の「歴史と文化ゾーン」の仕上げを目指している。

 

 歴史的な木造建築物の復活は、伝統技法「なまこ壁」や入母屋造の歴史的木造建造物の技法復元の継承、更に鹿児島県産材の地材地建の促進も期待される。しかし直径1mを越えて、材長10~7mの大径ケヤキ材を、本県内で20数本も集める事は無理な話である。有難い事に、宝暦治水工事(1754年・木曽三川改修工事を平田靱負が指揮)の縁から、岐阜県が御楼門復元支援PJ」を立上げて、ケヤキ材の一部寄贈収集情報の提供を申し出て頂いた。

 計画が完成すれば新幹線で到着した客を、偉人の町加治屋町から天文館、西郷銅像、鶴丸城御楼門、そして篤姫像や薩摩義士碑から城山へと、維新の城下町の面影を秘める歴史遺産を訪ねる楽しみが増える。更に鹿児島港のウォーターフロント地区や桜島桟橋へつなぐ新しい人目を引き付ける観光スポットが繋がり、回遊性の高い街造りが期待出来る。 

 

 完成予定は当初、明治維新150周年記念の2018年の完成を目指したが、鹿児島国体開催(東京オリンピックに引き続き開催される)の2020年へと、目標は少し先延びとなっている。

 五大石橋や各地に残る石造の土木施設、世界文化遺産に指定された反射炉跡尚古集成館の石造建物、鶴丸城の石垣等と、「鹿児島の石加工技術力」は高く評価されているが、更に木造による新しい「鹿児島の街のシンボル造り」が始まる事は、「歴史的価値の高い品格ある街造りには、木造建築は欠かせない」事を、県民へ知らしめる機会となる。

 このチャンスを木材関係者は、次なる木材需要拡大に活かして貰いたいと希望する。

 個人的には、鹿児島と中国との2カ所にしか設置されていなかった「琉球館の復建」にも挑戦出来れば、薩摩藩が南の海へと広く交流していた歴史的価値を、更に高められると期待する。

 所で鶴丸城は築城後270年の間には、数度の火災焼失と南国特有の激しい白蟻被害による倒壊例も有ったと伝わるだけに、今回の御楼門建設と維持には万全な耐久性向上対策を提案したいと思う。

(西園)