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★【西園顧問】木への想い~地方創生は国産材活用から(31)
「東京の木造駅舎と戸越銀座駅」
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平成時代に入ってから鹿児島県内で建設された木造駅舎を探すのは難しい。鹿児島の古い木造駅舎で話題となる嘉例川駅や大隅横川駅等は、肥薩線が開通した明治36年(1903)に出来た駅舎を今でも使用し続けていて、築後114年も経っているから人々の高い関心を呼ぶのである。二つの駅とも設計やデザイン的には特別の話題性には乏しいし、主材料の木材も普通の一般材が使われているに過ぎない。他に鹿児島で平成時代の建築で話題となる木造駅舎では、JR九州の「七つ星」等のデザインを担当した水戸岡鋭治氏による「オレンジ鉄道の阿久根駅のリフォーム例」位しか思い出せないので寂しい気がする。
公共施設に木材を積極的に大量に使用している、宮崎・大分・熊本県の最近の挑戦する姿勢や実績に比べたら、鹿児島県も努力はしているが人口や財政規模からすると、かなり格差が有る事に鹿児島県人は気付いて欲しいと私は考える。また地方の鹿児島等に比べ、東京の木材利用駅舎例は少ないと思い込んでいる人が多いが、東京に行った時に気を付けてアチコチ探してもらえば、予想外に木造駅舎に出会える事に気付くはずである。
9月下旬、東京へ出掛けた際の空き時間を利用し、西郷隆盛と互いに尊敬し合い、江戸城の明け渡し交渉で江戸の街を戦火から救い、首都東京の基を築いた「勝海舟の墓」は、山手線五反田駅と蒲田駅の間を走る「東急池上線の洗足池」に在るので私は訪ねてみた。西南戦争で敗れ賊軍扱いとなっていた西郷隆盛の名誉回復のために、鹿児島県人よりも先に積極的に動いたのは勝海舟と庄内藩の旧幕臣達だった。現在の葛飾区東四つ木の菜妙寺境内に明治16年(1883年)、勝は西郷の遺徳を偲ぶ「留魂祠」を建立している。勝が晩年を過ごした洗足池畔に勝夫妻の御墓所が在るが、遺志により留魂祠を大正2年(1913年)に隣に移設させている。今回、維新の両雄が相並んで我が国の招来を見守っている慰霊碑を、私は参拝した訳だ。
その沿線の途中駅の戸越銀座駅舎が、昨年12月末に東京都産の木材を上手に利用し完工したと、ニュースで報じられた事を思い出し、帰りに下車してみた。
国道一号線沿いの品川区内に在る戸越銀座駅は、昭和2年(1927年)に建設された古い木造駅舎をリニューアルする事になった。駅前の戸越銀座商店街は、人との繋がりを大切に運営して来た「長さ1400Mに400軒の商店が立ち並ぶ街」だが、駅舎改築計画担当者から計画への意見を求められた商店街連合会の幹部は、「日本を代表する商店街に相応しい駅舎作りとは何か」と話し合った。その時に商店街のキャッチフレーズとして来た「住民と想いをつなぐ」と、長年「街のシンボル」として又「商店街の玄関口」として親しまれて来た「古き良き木造駅舎」を、次世代に継承していく事が地域住民と連携できる要素だと考え、木造駅舎計画に賛同したとの事だ。
都会人ならではの考えから、「地球的な環境保全対策」や「木のぬくもり溢れる街造り」を目指し、更に東京都産木材の活用の機運も盛り上げたいと多摩産材を利用する事となった。
施工前のコンセプトを「木(気)になるリニューアル」と決めて、「木材の原産地ツアー」や、環境を学ぶ機会として「多摩の森の勉強会」等も開催した。そして東京都森林・林業再生基盤作り交付事業を活用して建設コストも抑える事が出来た。
駅舎の天井や壁材等には、杉の幅広集成材をクロス状に組んだ「シーザーストラス工法」を採用し、利用者に圧迫感を与え無い様にと柔らかいデザインを採用している。駅前の説明案内板には、「多摩産の天然木材120㎥(丸太換算で約470本)を使用、CO2を100トン削減、東京都の森林・環境保全に寄与している」と書いてある。田舎者の私には少しシツコイ説明とも思えたが、都会の人達には逆に「環境問題へ貢献出来た」と、満足感を持ってもらうための適切な表現なのであろう。
プラットホームに据え付けられたベンチの座板は、旧駅舎で長年使用されていた「スギとヒノキとケヤキとクリ材」の再加工時に、座面は更に座り易い様に仕上げられている。各樹種とも幅広の、今では簡単に入手出来ない様な一枚板が今回は再利用されているが、鉋を掛ければ新品同然の木材と何等変わらない状態となり、むしろ新しい製材品より風格を感じさせる所が木材の特徴であり素晴らしさでもあると思う。
イス座板を支える脚部には新しい杉の大断面材を使っているが、物作りにはデザイン力が大切だと教えられた。ベンチに座って気持ち良さそうな人達は、他の駅の樹脂製ベンチが冷たく感じるのに比べ、戸越銀座駅のベンチは「木材だからこその暖かさ」と、適度な重厚感があるからだと思った事だろう。
説明板に「木製ベンチ」は、地域住民参加型で設置出来たと書かれていたが、「木材だからこそ、住民参加が出来た」訳で、これからの駅の利用者は「私達の手で造り上げた駅舎」との思いが篭り、先々長く大切に使われるだろうと思われた。
駅舎の木製壁に目線の高さで取り付けられている、レーザー彫りの「木の説明板」を3枚だけ紹介しておく。
① 多摩産材を使っています ―― 駅には東京都多摩産材の木材をふんだんに使用し、CO2削減や林業活性化に貢献しています。
② 「シザートラス構造」の屋根 ―― ホーム屋根には木造シザートラス構造を採用しています。木と木を組み合わせて織り上げられた姿が特長です。
③ 温もりのある「木のベンチ」 ―― かって戸越銀座駅に設置されていた木のベンチが復活です。底面にはケヤキ、ヒノキ、スギ、クリを使用しています。
昨年末の駅舎落成記念日には、加工廃材で作られた「木(気)になるキーホルダー」が、記念品として配布されたとの事だ。今年の「10月8日の木の日」には、東京都木材団体連合会と東京都が共催で、「木を育てたい。だから木を使う」のタイトルを掲げて駅前通りで、「木と暮らしのふれあい展」を開催するそうだ。まさに地域の木材利用の象徴的木造駅舎を会場としてのイベント開催は、参加者への木材需要拡大のPR効果が高いと思った。(どこかの県で開催している、RC造の県民交流センター前の広場に、木材業界関係者が声掛けして集めた参加者が多いのとは、木材需要拡大への影響は大違いだろうと思った。木材業関係者以外の一般の人々へのPRが重要であり、そして木材を部品として利用するだけに留まらず、身近な大型木造施設を具体的に見せる事の方が、実需の拡大に繋がるのにと思った。)
「東京で一番長い商店街」との説明に釣られて、商店街を歩いてみた。とにかく長くて賑やかな商店街で、「駅舎改造工事と同時に電柱の地中化」も施工されたそうで、人通りの多い割には商店街が広くすっきりと感じられた。その上に普通の舗装道路ではなく、年代物のレンガタイルで整備された歩道が素晴らしかった。関東大震災では銀座のレンガ街が倒壊したが、その「廃棄レンガ」を戸越商店街の道路整備に転用した事から「戸越銀座商店街」と名付けたとの事だ。災い転じて、話題性豊かに覚えられ貰い易い地名が名付けられた訳だ。
「木造駅舎」と「レンガの舗装通り」が地域のランドマークとなり、リサイクル資材により話題性の高い活用事例となった。地元の人達の自慢である「試食品のつまみ食いウォークの街」のキャッチコピーも、庶民の街に相応しいネーミングと思う。
通りを歩いていたら、「薩摩国」の看板が目に付いたので入ってみた。最近開店したばかりとの事だが、甑島の薩摩揚とキビナゴのテイクアウト商品として店舗内で揚げ立て食品を販売していた。机の一つでも置き店舗内で食べられる様にすれば、もっと客足が増えるだろうと思った。
説明板に、『前に木造駅舎』だったから、『今度も木造駅舎に』との考え方で計画を進めたと書かれていたが、都会ならではの考え方だと感心させられた。木造駅舎を造った事で、地域の商店街との新しいコラボが生れ街の品位を高め、「新・木造駅舎」を核にしての沿線開発の魅力を高めたいと東急電鉄は言っているそうだが、木造施設が街造りの方向の決め手となりそうだとは嬉しい話だ。
東京近辺の他の木造駅舎も纏めてみる。JR高尾駅は明治34年(1901年)に開業した社寺風の木造駅舎で、昔から山岳信仰の対象だった高尾山の門前町である事を今に伝えている。その影響を受けて京王線の高尾山入口駅も最近木造化されたそうだ。JR国立駅は、大正15年(1926年)の開業だが「赤い非対称の三角屋根」が印象的な駅舎で、学園都市としての落ち着いた街の中核施設となって来た。近年の利用者増と立体交差改良事業から、大型駅舎ビルへの改造計画案が出されたが、開業当初からの貴重な木造駅舎を「文化財として保護」をとの運動が起きたので、解体再築方式等が検討されているそうだ。
JR山手線の原宿駅は関東大震災の翌年、大正13年(1924年)に再建された望楼型塔屋を具えた木造駅舎である。明治神宮の参拝客と竹下通り等への乗降客の増加と高架化計画から、東京オリンピック前までに新駅ビルをとの計画案が出ている。明治神宮との一体感や、木材を多く使うデザイン案を採用した新国立競技場とのバランスを考えて、新駅舎の内装には木材が多く利用されるはずである。
中央線の武蔵小金井の木造駅舎も高架化計画から改築案が出されたが、反対運動等が起きなかった事から近日中に消えて無くなる運命の様だ。他にもJR日野駅や奥多摩駅等のローカル線や私鉄沿線にも、未だ多くの木造駅舎が残っている。
江戸時代から「木の街」として親しまれてきた木場に在る地下鉄木場駅は、開業当初から木材の多彩な利用例の展示が話題となっている。新宿駅ビル内「ルミネ新宿」の店舗内にも「東京都多摩産の木材を多用している」と表示している店は多い。「上野の森」の噴水広場前のカフェテラスも木造施設で周囲の緑とマッチし、訪れる人々に癒しを与えている。
斯様に見渡せば、東京には話題性の高い木造駅等が数多く残っているし、更に木材利用面での新しい挑戦にも積極的である事を、地方は見習う必要がある様だ。
JR鎌倉駅西口には明治時代の木造駅舎が残り、同様な木造駅舎の江ノ島電鉄鎌倉駅と隣接しているので、鉄道マニアにはお勧めの場所である。途中の湘南海岸の江ノ島駅は明治35年(1902年)に開業しているが、周辺の景観に溶け込んだ木造駅舎として、昔懐かしい風景のドラマ等に良く取り上げられている建物の一つである。又東武伊勢崎線の堀切駅は、テレビドラマの「3年B組金八先生」の学校に隣接していた駅である。
更に、いよいよ建設を始めたリニア中央新幹線の新品川駅の内装には、木材を多く使うデザイン案が発表され関心を呼んでいる。
東京以外で近年建設されて話題となった木造駅舎には、秋田杉をふんだんに使った秋田駅の新駅舎は旅行客に好評で、又北海道新幹線の木古内駅は道産カラマツ類を上手に使った木造施設として地域の特色を良く表している。
九州では熊本駅プラットホームの木造大屋根と太い柱群は見た人は迫力を感ずるだろうし、大分駅前の木製キャノピーも暫し見惚れる木造施設だ。日田駅や湯布院駅や日向市駅も木材活用で街々の特徴を現しており、地場の林材業産業のPRの場を提供し、訪れる旅人達に安らぎを与えてくれる。木造駅舎は電気絶縁効果も高いことから、施設の安全対策も兼ねているとの話も聞くし、最近話題となった「トヨタの木製自動車」を、私は未だ実物を自分の目で見ていないが、新しい木材の使い方として「最先端の資源」に化ける時が近いと期待している。
鹿児島県にも、隣県と同じ様に、「平成時代の木造駅舎を造る運動」が湧き起きる事を期待する。上町地区再開発の中核として話題を集めている鹿児島駅の改装計画では、「他県では駅舎建設に積極的に木材を多用しているJR九州」に早めに働きかけて、今回こそ「鹿児島にも木造駅舎」を実現するチャンスとしたいものだ。
近年の人口減少時代は特に地方の減少が厳しい。地方の人口流失を補うには、都市部からの旅人や、インバウンド客等による交流人口を増やす必要があるが、地方経済の活性化を達成出来なければ、地方の中小都市は生き残れなくなる。地域間競争が益々激しくなる時代だからこそ、先々を見据えた街々の再生計画の内容が重要である。
鹿児島県では「観光産業の推進」が話題となるが、その前に「都会の人達が訪ねたくなる様な街造りこそが必要条件」と思う。これからの地方の街造りには、都市部と違う特徴を創り出し、今まで積上げて来た歴史を感じさせる街造りの基盤整備が出来なければ、生き残れないと思う。そのためには今までのRC造建築を中核とする街造りよりも、木造施設の出番だと考える。木材の需要拡大対策としても「木を売ろう」との姿勢よりも、まずは「人目に付く所にその地方の特徴を表し、地域と良く馴染む様な自然観溢れる風情を作り上げる木造施設を数多く見せる事」から始まると思う。多くの人々が集まる場所の木造駅舎や、木造化が遅れている木造消防署を実現する事が、木材需要拡大対策の入口と考える。地方の生き残り策と木材振興の両方の目標を達成するためには、掛け声だけではなく具体的な建築の実績で示したいものだ。
(西園)