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★【社長連載】 Woodistのつぶやき(23)
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1.新永智士君の入社
先月号のメルマガで新永智士君の入社が紹介された。(4月号メルマガ「着任挨拶」リンク)
新永君の入社は、私からの2年に及ぶ慫慂に基づく。ただいささか因縁めくのだが伏線として十数年前の出会いがある。
話は14年前にさかのぼる。当時富士通総研にいた梶山恵司氏(現バイオエナジー・リサーチ&インベストメント(BERI)株式会社代表)が、さる農林系金融機関の依頼でドイツの林業・木材産業の調査をすることになった。調査団の正式メンバーとしては、同氏と京都大学農学部神崎教授、森林総研M氏の3人だった。梶山氏から私にも声がかかり、費用は自己負担という条件でこの視察に同行した。
3人の碩学とともに過ごした正味一週間のこの時の見聞は有意義で、私の林業に関する考え方の起点になった。
この時親しくなった神崎教授はルーツが鹿児島、それも大隅とのこと。ルーツ探しと当社訪問が実現した。その時教え子を同行したのだが、それが当時学部4年生だった鹿児島出身の新永君である。
頭が良くてひたむきな礼儀正しい青年だった。その時も随分話し込んだように思う。そのあと新永君が主導したのだろうか、学部、大学院合同の卒業旅行が鹿児島になり、会社視察、そして夜は十数人の学生さんたちと拙宅で焼酎の1升瓶を蹴倒すほどの大宴会。
4年程前このメルマガで彼の大学時代の研究成果の一部を引用した。一別以来十年余、メールがあった。以来交流が復活、この度の次第となった。
2.林業会社の設立
地方の山は見放されている。戦中戦後生まれの今の持ち主が亡くなれば、跡継ぎのいない膨大な山が幽霊化する。今非常に盛んに見える林業だが、実はこの伐採は、どうせ幽霊化するなら立木だけでも生きているうちに現金にしようという、やむにやまれぬ心情から来ている。つかの間の活況、と私には映る。
手入れの行き届いた、これまでしっかり管理されてきた山から、恐らくはげ山になっていく。遠くから見て緑が残っているじゃないかと山に入っていけば、そこは持ち主不明、売りも買いも伐りも出来ない山だった、ということがあり得る。
何とかせねばと考えていたのだが、新永君の入社が固まって、林業会社設立のアイディアが具体化した。
社名は「(株)やまたすく」。
山をたすける。山がたすける。
昔、中村徳孫先生(故人、元山佐木材技術顧問、元宮崎大学農学部教授)が、お世話になり始めた頃、「山佐木材」の名前を見ながら、「マウンティンヘルプか」とぼそりと呟いたことがある。もちろん「佐」には補佐するなど助けるの意味がある(律令制 カミスケジョウサカン=守介掾目=将佐尉属)。
先生には独特のユーモアのセンスがあった。山佐を「マウンティン ヘルプ」と読むのもかなりのユーモアと解され、いつもの私なら気が利いていると大いに笑っただろう。しかし何か粛然とした雰囲気で、いつもと違う雰囲気。とまどいつつ先生の顔を見つめるのみ。以来長く私の胸中にあった。
会社設立の話し合いを持ったとき、先述の名前を提案、賛同を得た。
ちなみに中村先生はアイディアマンでもあった。当社の名刺にはこれまで手がけた建物の写真を添付して永く好評である。じつはこれも二十数年前の中村先生のお勧めによるものである。
3.伊万里木材市場 南九州営業所第2土場の落成式
伊万里木材市場さん、その関連会社であるさつまファインウッドさんには当社もお世話になっている。両社の林社長は伐採から植林の循環型林業、林業から木材加工、流通までのサプライチェーン構築の代表的理論家にして実践家である。
好調な同社南九州営業所の集材能力向上のため、このほど第2土場を建設された。落成式にご招待を受けたので、有馬常務と参加した。
(代表取締役 佐々木 幸久)