メールマガジン第59号>社長連載

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★【社長連載】 Woodistのつぶやき(26)

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山の神祭り(やまんかんまつい)のこと

 

山佐木材での山の神祭り

 昔盛んだったのに中断していた山の神祭り。「またやろや」と言う声が上がったのはいつのことだったろうか。社内の酒飲み達が呑み騒いでいる中で、昔の記憶がある者が発した一言がことの始まりだったろうと思う。

 山仕事に携わる人たちの祭りだから、現在の製材、集成材などとは本来関係性が薄いのだが、私が子供の頃の山佐産業では、仕事ももっと山と近しく、大変賑やかな祭り=のんかただった。

 今は昔に比べると上品と言うか、熱が薄いというか、一口二口料理をつまむと帰る人も多い。最後までつきあう人が20人から30人か。寝袋を持ってきて、泊まり込みで呑み語らう豪の者が若干名いるとか。

 

料理

 3人から4人が料理当番を買って出る。だいたい顔ぶれや料理が決まってきた。かくいう私、ぶらり旅の洒脱なブログで高名なM田部長。若き建築技師のN君。

 事務所で材料代を受け取ってまずは買い物から。料理に掛ける時間は私の場合、前日夕方から手の込んだ料理の時は前々日夕方から、当日開始時間少し前まで、料理道まっしぐらとなる。

●佐々木 夏はローストポーク、冬はおでん、もしくはビーフシチュー

     初めて今回天火で焼くときに出る肉汁とにんにくで焼き飯をした。

     米1升分を何度かに分けて中華鍋を振る。売れ行き良好でホッとする。

●M田部長 タンドリーチキン、ポテサラが定番。いつもの人気メニュー。

●N君   ラーメン屋台 本格的なたれ、スープを準備。その場で麺をゆでながら一杯ずつ調理する。

      大人気で、文字通り行列が出来る。 

 


由来

 旧暦1月、5月、9月の16日に行う。正五九(しょうごく)の十六日祭り

 ちなみに今年の新旧暦日は

  旧暦1月16日は、今の暦で3月3日

    5月16日      6月29日だった。

    次の9月16日は、10月24日に当たる。

 

1月の十六日祭の意味

 春を迎え山作業に向かない時期となり、山を離れて暫く田畑の仕事につくことを神様にお知らせし、これまでの山作業の無事を感謝する意義がある。

 

5月の十六日祭の意味

 木材の伐採に向く時期が再び訪れ、近く山に入ることを神様にお知らせし、無事な作業を祈願する意義がある。

 

9月の十六日祭の意味 

 山仕事の真っ最中である。信じられないほど激しかった昔の山仕事。疲労もピークに達している。いつ事故にあってもおかしくない。神様にお願いして、無事故をひたすらお願いする。仕事に従事する者もお供えのお下がりを頂戴し、暫し骨を休める意義がある。

 


昔の山の神祭り

 「引き寄せはしても決して先延ばししてはいかん」。時期が近づくと年寄り達がつぶやき始める。事務所に厳かに申し入れる者も出てくる。ちゃんと祭らないと神様が怒って悪さをなさるかも知れん。実は待ちきれないのは、神様ではなく人間の方である。 

 私が育った家は典型的な田の字型の家で、家の二面を廊下(広縁)が回っている。4部屋を仕切るふすまを外し、縁側の障子を外すと広い座敷が出来る。60人の宴会が出来るのだ。 

 50人の従業員と、ゲストに町や警察、営林署の人たちが加わることが多かった。コンクリート土間の広い台所があって、手伝いのおばさん達が料理に大わらわで、子供達も他に居場所もない。私は焼酎のお燗番を受け持った。 

 何は無くとも焼酎だけはふんだんに準備される。家や事務所の鋳物やアルマイトのやかんを総動員して、焼酎をお湯で割る。だいたい焼酎8に対し、熱湯2くらいが良いとされた。あの頃は薄い焼酎を出すと「もう焼酎がねごっなったか」と大目玉だった。焼酎だけはけちってはならない。ちょっと杯に取って味見をして、やかんを次から次に運ぶ。 

 あの頃の焼酎はくさかった。焼酎を入れたやかんは洗ってもにおいがとれず1週間くらいはお茶を飲んでも残った。 

 


あの頃焼酎は高かった

 なぜ大人達はあんなに、死ぬほどに焼酎を飲むのだろう。もちろん実際には死人は出なかったが、悪酔いした大人達の中にはけんかを始める者が毎回いた。

 親方の家で思い切り焼酎が飲める、あのもの不足の時代、男たちには待ちきれないほどのことであったに違いない。1日中身を粉にして働いても、一日の賃金よりも焼酎1升の方が高かった時代だった。 

 酒飲みの家の子は夕方になると、母親から渡されたお金を落とさぬように握りしめ、空き瓶を持って二合か1合半の焼酎を買いに行くのが日課だった。1升瓶の焼酎を買うと抑えが利かなくなることを当の父親も恐れて、毎日1日分を量り売りで買うのである。厳しい労働を終えてその労苦を労り、家計のぎりぎりのところここまでは許されるという夫婦間での了解があったものだろう。 

 家族に気兼ねしながら呑む毎日のだいやめ(晩酌)。一転この日は、親方の家で誰に気兼ねすることなく、心置きなく、いくらでも、無礼講で飲めるのだ。

 


あの頃のだいやめ(晩酌)の一情景

 私が二十数歳のころ土木の現場で一緒に働いていた中に「時義じい」と呼ばれる年寄りがいた。石工の職人で、無口な鶴のように痩せた人だった。当時の私より30歳近く年上で、今の私よりも十数歳若かったはずだが、何と年寄りに見えたことだろう。彼は昼飯が済むとそれ以降は、真夏といえども茶も水も一切口にしない。

  仕事が終わって帰れば、風呂もそこそこに茶碗に焼酎を注ぐと、そのまま口に含み、飲み込む。きつい焼酎は乾いた口を灼きのどを灼つつ、胃に届くとはじける。目を瞑ってこれに耐える。次第に腹に落ち着いたら、また茶碗からぐびり。決まりの量を飲み干すと殆ど食事もしないままことりと眠る。 

 翌日は又何事もないように黙々とこつこつと仕事に励むのだ。呑むときの小食を責めて何か口にするようにうるさく勧めても、「いらん、食えば吐く」とぼそり。奥さんも「いっもこえなふじゃっど(いつもこんな風だよ)」。

 それでも特に健康を害することもなく、そこそこの長命を得たと聞いた。

 (代表取締役 佐々木 幸久)