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★【稲田顧問】タツオが行く!(第19話)
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「これまでのタツオが行く!」(リンク)
19.続・コンピュータに纏わる思い出
第18話では、私が三菱地所会社に入社した頃のコンピュータ環境に関する思い出を書いた。当時のMELCOM3100について、懐かしい思い出がある。三菱地所は程なく、メインのコンピュータをMELCOM3100から、当時としては最新鋭であるMELCOM/COSMO700にリプレースすることになる。その時、同僚と3人で、MELCOM3100を会社から譲り受けることができないかということを画策したのである。
確か勉強会と称し、会社の保養施設である箱根大平台山荘に3人で合宿した際に、その事について真面目に話し合ったのである。確かに大型コンピュータを個人が入手するということについては、いくつかの障壁があった。
一つ目は買取価格の問題である。しかしこれについては、いずれにせよ廃棄する機械なのだから、情報システム部の同僚と相談すれば、何とかなるということで意見は一致した。
二つ目は設置場所である。しかしこれも例えば2DK程度の公団アパートを借りれば、なんとかなりそうということになった。
三つ目は輸送手段ある。しかしこれも、通常の引っ越しだと思えば、大した事ではない。例えば日通あたりに相談すれば、なんとかなりそうということになった。
最後の一つが、電力の問題である。これについてはそもそも、公団アパートに来ている電力程度で、汎用の大型コンピュータを動かせるのか、もし可能としても電気代はいくらかかるのか。この辺まで来て、誰かが「やっぱり無理だよ」と呟いて、この話は立ち消えになった。そもそも、大型コンピュータを公団アパートに持ち込んで一体何をしようとしていたのか、何も覚えていないというのも今となっては面白いと思う。
いずれにせよ、我々は「構造計算」を生業としていたので、計算するということについては、いろいろと拘りを持っていたのだと思う。私が人生で最初に電気式の計算機を手に入れるのは大学の3年の時である。「TOSCAL mini」という電卓を37,000円で入手したのである。(写真1)これも何のために買ったのか、記憶は定かでは無い。大学4年になって、卒論のために研究室に配属になった時によく使ったのは、「タイガー手回し計算機」である。(写真2)機械式の計算機ではあるが、加減剰徐はもとより、平方根なども解くことができた。もっともこの計算機はハンドルを回すと「チンチン」と騒々しい音がするので、よく先輩から「うるさい」と叱られたものである。会社に入ってからは、暫くは「TOSCAL mini」を使っていたが、先輩から見ると「最近の若造は電卓などを自分で買い込んで勝手に使っている」ということで、「変な奴だ」ということになったのだと思う。
いつの間にか「マンピュータ」というあだ名がついて、稲田と組み合わせて私のことを「イナマン」などと呼ぶ者もいた。その頃どうしても欲しいと思ったのが、ヒューレットパッカード社の「HP25mini」である。(写真3)逆ポーランド法という表記法を使うようにできており、49ステップのプログラムも組むこともできた。我が国では日本橋の三越本店のみで販売されており、80,000円であったと思う。買うとき三越の店員から、興味深そうに「どんなことにお使いになるのですか。」と聞かれたのを覚えている。ちなみに、逆ポーランド法とは、例えば(5+3)×(4-2)の計算をするのに、当時の電卓ではメモリーや括弧の機能もなかったので、(5+3)と(4-2)を別個に計算し、結果を紙に書き写し、最後に掛け算をするという手順を踏む必要があった。しかし、HP25miniでは5(enter)3(+)4(enter)2(-)(×)とキーを打てば計算ができてしまうので、極めて重宝であった。ちなみに(enter)は「エンターキー」のことである。このHP25miniはものすごくよく使ったと記憶している。最後に壊れて動かなくなったので、三越本店に持って行くと、修理をしてくれるという。連絡を待っていると電話があり、「一応修理は終わって動くようになったので取りに来て欲しい。ただ電極が殆どすり減ってしまっているので、すぐに壊れるかもしれない。」とのこと。恐る恐る修理代を聞いてみると、「よく使って下さったので、無料で結構です。」とのことであった。
これらは、いずれも結婚する前の話であるが、独身時代最後に買い込んでしまったのが、コモドール社製の「PET2001」である。多分世界最初の個人向けパーソナルコンピュータと言って良いのではないかと思う。BASIC言語でプログラムを組むことができ、第18話で書いた計算法を使えば、応力解析も振動解析も問題無くできそうである。当時PET2001は、なぜか池袋の西武デパートのみで販売していた。確か30万円だったと思う。MELCOM3100に始まった私の自前のコンピュータを入手しようという野望は遂にここに完結するかと思われた。しかし一つ問題があった。PET2001は米国製の機械であり、安く作るということに徹したこともあって、耐久性においてやや問題があった。PET2001は8Kbyteのメモリーを積んでおりそれ自体は私がやりたいことを実現するのに何の問題もなかった。また、計算速度も、どのような計算でも2~3時間で終わったので、それも大きな問題ではなかった。ただ、計算が終わると、発生した熱のためにメモリーが1Kbyteづつ壊れて使用不能になってしまうのである。当時メモリーは、1個(1Kbyte)で2000円した。1回計算すると2000円が飛んで行ってしまうのは、少し残念であった。
そんなことをしている内に、私は結婚し、パソコンもNEC社製のPC98の時代となり私のPET2001は瞬く間に無用の長物となった。妻は、PET2001は邪魔なので処分するようにと事あるごとに迫ったが、私の大事な青春の思い出である。長く頑張って所有し続けて来たが、福大を定年退職するとき同僚の教員が、もしよかったら、引き取って新しくできる建物の歴史コーナーに展示しても良いと言って下さったので、福大に寄贈することにした。尤も、本当に歴史コーナーに展示して下さったのかは、確認してはいないので、定かではない。
(稲田 達夫)