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★【稲田顧問】タツオが行く!(第24話)
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24.新しい時代「令和」の幕開けと山佐木材
(1)平成から令和へ
私が生まれたのは、昭和26年であるから、当然のことながら戦争に関する記憶は勿論あるわけがない。その意味からも、私にとっての「昭和」とは「奇跡の成長」に象徴される、力強く華やかな成長・繁栄の時代であった。一方「平成」は、「地球環境問題の顕在化」や、「バブル経済の崩壊」、「オウム真理教事件」など、昭和の時代の成長・繁栄の陰に隠れて見えて来なかった様々な社会の歪が露呈し始めた時代であった。それに輪をかける様に、阪神淡路大震災や東日本大震災など、我々の想定をはるかに超える未曾有の大災害が勃発し、多くの困難を味わった時代でもあった。しかし、そのような困難も少なくとも見かけの上では一段落し、最近の自民党政権の経済政策の効果による好景気の影響もあって、2020年の東京オリンピックに向けて、我が国が徐々に自信を取り戻しつつあるようにも見える昨今である。
その様な状況の中で、元号が「令和」と改元され、新しい時代の幕開けを迎えることとなった。令和がどのような時代となるのか、勿論定かではないが、いくつか気になる問題もあるので、ここではそのような問題を中心に、特に以下の2点を指摘しておきたい。
a)少子高齢化
将来予測の中でも人口問題は、最も予測可能な分野と言われる。今後平均寿命の大きな変動は起こり得ず、また出生率が多少変動したとしても、人口の構成に大きな影響を及ぼすのは遠い将来のことであるとすれば、現在指摘されている少子高齢化に基づく多くの問題は、程度の差はあるにしても必ず起こる問題と認識すべきである。
少子化の問題と高齢化の問題は、実際には別の問題である。まず、高齢化の問題であるが、第一に年金・健康保険等社会福祉関連財源の不足の問題が懸念されている。この問題の解決の為には、本当に社会福祉関連の財源が無いのであれば、高齢者は社会福祉関連予算の削減を受け入れるしか無いのである。その代わり、高齢者が社会福祉に頼らず自活できる環境の整備が行われるべきであろう。その最も重要なものは、定年制の撤廃であろう。勿論仕事をやる気のない人等は、職を失うのはやむを得ないが、そうでなければ、現在のような一定年齢に達すると、一律失職というような制度は改められるべきである。
少子化については、「若者一人で何人の老人を養わなければならない」といった話が取りざたされ、高齢化問題のつけが若年層の負担に転化されるといった論調が目立つ。しかし、本当にそうだろうか。少子化は、必ずしも悪いことばかりでは無い。まず若年層の雇用(つまり新卒採用)についてであるが、私は大学教員を暫くやっていたので、新卒採用の好調な現状は本当に良い時代だと思っている。これだけでも自民党政権の経済政策の効果は高く評価されるべきだと思う。
現在の20歳代前半の人口の実数は、私が若かった頃(1970年代)の半数程度に減少している。このような状況では、よほど企業サイドの人事政策の失態が無ければ、今後それほど酷い若年世代の就職難は起こり得ないのではないかという楽観的な予想を私は持っている。後は負担増の問題であるが、このためには負担が増える若年層の給与水準を高めに設定するしか方法は無いように思う。これも経済政策と企業経営者の見識が正しく作用すれば、自然に淘汰されるべき問題と考えている。
最後に少子高齢化の問題が、産業分野に及ぼす影響についてであるが、これは例えば建設業界については、団塊世代がリタイアの時期を迎える中で、熟練工の不足という形で影響が顕在化しつつある。しかし、これは純粋に技術的問題として捉えれば、代替技術を開発することにより解決の可能性大いにあるし、新しい社会の活性につながる可能性もある問題である。
b)人工知能
もう一つ、社会の動向として気になるのが、人工知能技術の台頭である。人工知能そのものは、新しい技術でも何でも無い。1960年代末には、人工知能に関する技術的方法論はほほ出そろい、プロトタイプによる試行も様々に行われていた。その中で実際に成果が認められたものとして、「路線情報」等が挙げられる。その頃、人工知能が社会一般に及ぼす悪影響についても活発に議論が行われたが、実際には悪影響が懸念されるほどの成果は上がらなかった。その理由は、人工知能を本格的に活用するためには、膨大な知識ベースの存在と、それを自由にハンドリングできる超高速のコンピュータの出現が不可欠だったからである。その環境がやっとここに来て整ってきたということなのだと思う。
一般には、例えば「自動車・航空機」や「テレビ・家電製品」のような工業技術は、人類の幸福の増進に大きく寄与してきたことは間違い無い。また、人工知能でも自動運転技術のような使い方をしている限りは、人工知能が社会に及ぼす悪影響については、それ程心配するには及ばない。私が懸念するのは、収益至上主義に毒された軽率な経営者が人工知能を用いることにより、人間の尊厳を無視した人員削減に走り、結果として取り返しのつかないような不幸を社会に齎さないかということである。ここでも、政策の在り方や経営者の見識が試される問題ということになる。
(2)山佐木材と新時代
改元と期を同じくして山佐木材は、社長が佐々木幸久氏から有馬宏美氏に交代することとなり、山佐木材もまた文字通り新しい時代を迎えることとなった。変革の中、今後、山佐木材がどのような変貌を遂げるかについては、期待を持って見守りたいと思うが、ここでは私が深く関わるCLT事業について、少し考えを述べておこうと思う。
CLTは、私が大学在籍中に、海外より導入された新工法であるが、供給体制は国の後押しもあって順調に推移し、全国で数万立米規模の供給が可能な状況にある。一方需要については必ずしも順調とは言い難く、全国的に見ても総供給量の1/3程度の需要に留まっている。CLTの需要が伸びない原因の一つとしては、コストの問題がある。つまり需要が供給量をはるかに下回る現在のような状況では、供給側としては、人件費も嵩み、開発投資額の回収も必要なことから、安易にはコストダウンの要求には応えることはできない。一方需要者側としては、本来想定された競争力を持つ価格に一向に向かう気配のないCLTを採用するのは、経営的にも無理がある。その結果膠着状況に陥ってしまっているというのが、現在の状況のように思う。国の助成金等を活用すれば、供給側と需要者間のコスト的な乖離については、ある程度吸収は可能であるが、助成金はあくまで競争的資金であり、設計段階では必ずしも支払われる保証が得られない以上、採用を躊躇う事業者が多いのもやむを得ないと思われる。
私としては、CLTは例えば5階建て以上の大型・高層の建物で使用するのに向いた材料と考えてきた。また、材積を稼ぐという主旨からは、床に使用するのが最も合理的とする考えについても大きな変更はない。ただ、現在のような状況では理想に拘っていたのでは、問題解決の突破口を見いだすのは難しいことから、今年は少し従来と異なる仕事にも挑戦したいと考えている。
具体的には、2階建て程度を想定した非住宅の小規模建物へのCLTの適用である。この場合使用部位は床には拘らず、建物全体にCLTを活用する建築システムを想定している。山佐木材のCLTはマザーボードの大きさが2m×4mという制限があるが、これはマザーボードから最終製品を伐り出す際の板取の段階で明らかにデメリットがある。一方山佐木材のCLTは幅はぎをしているが、これは地震国日本でCLTを使う場合、せん断耐力の点で大いにメリットがあると考えている。この幅はぎの効果は、それ以外にも、例えばCLTの板相互の接合ディテールを考える際にも自由度がかなり広がるという意味でメリットがある。このような、山佐木材のCLTのメリット・デメリットを良くご理解いただいた、設計者や事業者に対しては、ある程度の戦略的価格でCLTを提供しても良いのではないかと考えており、またそのような働きかけ山佐木材に対しても行っている所である。
そのようなわけで、この連休は新しいCLTの建築システムの開発に明け暮れていたが、これが結構また楽しいのである。いずれにせよ、CLT建築が今後我が国でどのように推移するか、この一年が正念場ではないかと考えている。そして、この問題で我々がどのような成果を上げることができるか、私にとっても正念場の年となることは、間違いないように思われる。皆さんのご協力を是非お願いしたいと心から思う次第である。
(稲田 達夫)
今回のメルマガと同じタイトルで全社員向けに講話
(2019年5月11日 方針発表会にて)