メールマガジン第69号>会長連載

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★【会長連載】 Woodistのつぶやき(35)

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一週間の愛媛、高知の旅

 高知県立林業大学校で昨年から講義を受け持っている。今年は6月14日が講義の日と半年前から決まっていた。鹿児島から高知は遠い。せっかく行くならその機会を楽しみたい。鹿児島から直行便のある松山を経由して高知に行くのはどうだろうか。家内に声をかけると松山にはまだ一回も行ったことがないという。善は急げとか早速旅行計画を組み、航空券とホテルを予約。

 

   行きたいところの一つが久万高原町で、家内はかねがね久万高原町町営美術館に行きたがっており、私は20年前に建築された久万統合中学校の校舎、特に当社が関わった体育館をそれこそ20年ぶりに見たい気持ちがあった。

  そして「心(こころ)」の釜揚げうどんを食べたいし、家内にも食べさせたい。ひたすら麺を打ち、ゆで上げるあの無口なおじちゃんと、愛想のよいおばちゃんは元気だろうか。

 


松山市で梶原康太郎氏と夕食

 鹿児島松山便は1日一本、松山空港から道後温泉行バスに乗り、道後温泉駅で下車した。駅周辺はずいぶんあか抜けた様子で、観光客も大勢いる。近くのホテルにひとまず投宿すると、もうすでに夕方5時。

 

道後温泉駅
道後温泉駅
道後温泉駅前広場 からくり時計台
道後温泉駅前広場 からくり時計台


久しぶりに松山市内在住梶原康太郎さんと夕食の予定である。梶原さんは製材の専門家で、当社もいろいろご指導を受けた。2013年にヨーロッパ視察ツアーを企画したときに、呼びかけに応じて参加されたが、その時氏は70歳代後半で、視察団員中最高齢であったが、二週間のハードスケジュールでも全く問題なく、もっともお元気な一人であった。

 

下記引用文中「愛媛のKさん」が梶原氏である。 

山佐木材ウッディストのたより(メルマガ版)2013/12/16 Vol.3

朝食 

パン、シリアル、ハム、ソーセージ、チーズ、バター、ヨーグルト、野菜、飲み物。どれも種類が多く、なかなかな味わいで、毎日おいしく食べました。 

愛媛のKさん、関東のHさん、私達夫婦の4人(視察団の中でも高齢組)が、決まって毎朝6時半レストランが開くのを待っての一番乗りで、しかもお互いの皿を見て笑ってしまうくらい沢山取っていました。私の普段の朝食からすれば、カロリーで3倍ではきかなかったと思います。

 

    昨年食事した氏の行きつけの店がたいそう気に入って、今年もそこに予約をお願いしていた。

 松前町(まさきちょう)の「割烹矢野」に行く途中、松山城の下の公園を通ったが、そこから右手に見える二の丸櫓が実にきれいで、もう一日はあらかじめ計画していた大洲、内子ではなく、松山城に上ることに一決した。


松山から久万高原町に入る

   翌朝JR松山駅からJR四国バスの「久万高原線」に乗車。松山市内から次第に山間部に入り、走ること約70分で久万中学校前バス停で下車。ここから美術館まで歩いて約15分。

 

 久万高原町は林業の非常に盛んな町であるが、井部造林株式会社井部栄治氏が、氏の美術収蔵品(井部コレクションと称されていた)を一括して久万町に寄付、平成元年に久万町立美術館として開館したものだということである。 

 データベース「えひめの記憶」書籍一覧(市町村誌(史))久万町誌人物編で、井部栄範、井部栄治お二人の紹介がなされている。これを読むとお二人ともけた外れの大人物ということがわかる。

         

美術館入り口 顕彰碑「井部栄治先生を讃えて」
美術館入り口 顕彰碑「井部栄治先生を讃えて」
美術館内部
美術館内部


河野忠康町長様を訪ねる

   再び歩いて久万中学校へ引き返す。正門の門扉が閉まっていた。何が起こるかわからない今のご時世、それもやむをえないことだろう。

 そこから十数分歩いて、昔よく訪問していた久万高原町の役場に。入口の案内で町長さんにご案内を乞う。幸い河野忠康町長さんがおられて、私の突然の訪問に驚きつつも、歓迎して町長室に迎え入れてくださる。久しぶりにお目にかかり、無沙汰をお詫びしごあいさつを申し上げた。

 

 久万中学校の建設の約20年前当時、河野町長のご父君故河野修氏が町長であられた。河野現町長は愛媛県県議を何期か務めてのち、ご父君退任後、お二人の町長を挟み、その後現職についておられる。

 久万中学校にはその場で河野町長さんが直接校長先生に電話してくださった。

 


河野修元町長様の事

   河野修氏は久万地区の発展のため、就中久万林業の発展にまさに身命を賭して尽くされた方である。氏の周辺には優れた専門家たちが集まり、氏の夢やロマンを実現すべく熱心に取り組んでいた。先述の梶原康太郎氏もそのおひとりである。

  私は河野修氏には大変親しくして戴いて、何かとご相談にあずかることがあった。そのようなことで、この町には何度も何度も通ったものである。何とも魅力的な方だった。またいずれ氏のことは詳しく語ることがあるだろう。

 


久万中学校を訪ねる

念願であった役場近くの「心」に行き、昔ながらの店(その頃でも相当に古かったが)はそのまま、まだ11時半であったがほぼ食卓はふさがっている。店の人(若い、あの老夫婦の孫の年代か)が先客に相席を頼んでくれて、私は「大盛り」、家内は「普通」。二人ともすっかり満足して久万中学校へ。

 

 河野町長のお電話があったおかげで、校門のところに先生方がお迎え下さっていて恐縮した。小田哲志校長と教頭先生が直接案内して下さった。  

 20年余前学校建設が計画されると、大切な子供たちが学ぶ大切な学校に、町内の素晴らしい木材を使って建設しようと、多くの町内林業者の方々がそれぞれ自分の山から立派な丸太を寄付、それらを柱などの材料に加工して建築されたものである。当時の皆さんの心がこもっているだけに、学校でも手入れに心がけておられて、実に美しく保たれている。

 

 当社が関わった体育館も、久万町産の木材を当社で加工、木工事を行ったもので、完成時と変わらぬような状態を保っている。聞けばその後照明器具などは電力消費の低い機種に替えられたそうである 

 外側に表れている柱については今後も注意を払い、時に保守のための処置をしてほしいものと思った。

  小田校長は何かしら風格がある。先述の久万町史に表れる井部氏など久万町の先達や、河野町長父子の系譜につながるような何かを感じた。 

    

久万中学校校舎
久万中学校校舎
体育館
体育館


以下は次号へ

 久万中学校バス停から再びJR四国バスで松山へ帰り、愛媛武道館を訪ねると、ちょうど松山市中学校総合体育大会が行われていて、盛況であった。こちについては来月号でレポートする。

 

次回テーマ

愛媛武道館を訪ねる

松山城に登る

高知県林業大学校

(代表取締役会長 佐々木幸久)