メールマガジン第72号>稲田顧問

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

★【稲田顧問】タツオが行く!(第28話)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「これまでのタツオが行く!」(リンク

28.復職に向けて

 最初に、9月3日から今年度の日本建築学会の全国大会(北陸)に参加したので、それについて少し触れておきたい。

 2日目の9月4日、9:30から防火委員会主催の「高層木造建物への夢と課題」と題するパネルディスカッションが行われた。建築学会としては珍しく分野横断的テーマの研究集会である。私の経験では、大学関係者が多く、専門分野縦割りの建築学会では、この様なテーマの研究集会には、あまり参加者は集まらないという偏見を持っていた。しかし蓋を開けてみると驚くことに会場は満席であり、立ち見席が廊下に溢れ出すほどの盛況であった。

 主旨説明をされた原田寿郎さんを始めとし、パネリストの方々も存じ上げている方が多く、主題解説等の内容も違和感の無いものが殆どであった。「超高層ビルに木材を使用する研究会」の活動を続けて来た私としては、大変興味深く討論の進展を見守ることができたと思っている。

 

 もう一つ、9月3日の夜、大会の懇親会に参加した。東大の神田先生や、東北大の吉野先生、あるいは梓設計の梅野さんや安井設計の森高さん等、今年も懐かしい方々とお会いすることができた。一方で少しずつではあるが、見かけなくなった方々もおられたのは、やむを得ないことなのかもしれない。特に日大の安達洋先生や、中西先生など、毎年必ずお会いしていた方々と、今年はお会いすることができなかった。偶々のことなのかもしれないが、来年は是非、お会いできることを心より願っている。

 

 さて、話を前回紹介した、MJKへの出向と三菱地所への復職の話に戻す。出向も3年を経過すると、そろそろ復職の話題が上るようになっていたが、その頃よく聞かれたのは、戻ったら何をやりたいかということであった。私としては、それは会社の人事が決めることなのだから、何を言われたとしてもそれに従い最善を尽くすしかないのだという、サラリーマンとしては当然の考えを持っていた。しかし、内示を受けた1月16日のさらに一カ月ほど前、実は地所の上司から、「何をやりたいか、またどの部署に戻りたいか」と希望を聞かれたのである。1週間ほど考えて、「構造設計をやりたい」ことと、具体的な部署の名前も申し上げたのを覚えている。その時は、少し流れを変えてみようかというような軽い気持ちであり、あまり深刻に悩んだ記憶はないのだが、今となって改めて考えてみると、やはり大きな人生の転機だったのではないかと思う。

 その頃、そろそろ地所に戻ることになったので、もう一度原点に戻って構造設計をやり直してみようと思っていると言うと、かなり多くの方々から、やめた方が良いのではないかというアドバイスを頂いた。多少気にはなったが、その年の1月17日の阪神淡路大震災の惨状を見て、多くの構造設計者が自らの経験に疑問を抱き自信を失う中、ひょっとするとこの様な時代だからこそ僕の経験が求められるのではないかという、根拠の無い自信が沸き上がって来たように感じたのも事実だったのである。 

(稲田 達夫)