メールマガジン第77号>稲田顧問

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★【稲田顧問】タツオが行く!(第33話)

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「これまでのタツオが行く!」(リンク

33.近況 -テレワーク等雑感-

 多分現在、歴史に残る大事件が進行中である。昔話をしている場合では無いので、今回は近況報告とする。
 横浜と鹿児島を行き来する生活を送って丸三年になるが、ここに来て私個人の生活にも大きな変化が起きている。3月に鹿児島から横浜に戻ったのは3月11日であるが、未だこの頃は、一日置きに打ち合わせの予定が入っていた。それが翌週の3月16日からは、入っていた予定が全てキャンセルとなり、自宅待機の状況となった。
 盆正月でも無いのに、自宅に一週間居続けるというのは、ひょっとすると四十数年前に社会人になって以来、初めての経験かもしれない。翌週は単発的に外出する機会はあったが、夜の飲み会は全くなくなった。考えて見ると、毎日自宅で夕食を摂るというのも初めての体験である。妻との晩酌は続けているが、深酒することは無くなったので、体調はすこぶる良好である。出費も減って悪いことばかりでは無いが、ご無沙汰している飲食店の方々のことを思うと心が痛む。

 

 その後、3月31日に横浜から鹿児島に移動した。丁度その頃、山佐木材にも「新型コロナウイルス社内指針」が制定され、東京出張から戻った者は、2週間程度は他の社員との接触は極力避けるとのこと。それに従って、今まで居た部屋から別室に移動し、マスク着用で仕事をすることになったが、その別室には結果として、よく一緒に出張した同僚が集まっており、中々楽しい空間である。

 

 4月8日に一都六県に緊急事態宣言が発令されると、事態はより深刻さを増す。鹿児島県知事から、東京から鹿児島に入る場合、二週間程度は自宅等で待機の要請が出された。それまでは、社内指針であったが、知事の要請となると重みが違う。どうしたものかと思ったが、考えて見れば、横浜も鹿児島も自宅待機状態であることには、変わりはない。であれば、二週間程度少し早めに移動して悠々自適(「サンデー毎日」というのだそうである)の生活を送るのもまあ良いかと思ったりしている。

 

 さて、そのような中で急激に重要度を増しつつあるのが、テレワーク、中でもテレビ会議システムの存在である。以前、Skype等を使ったことはあったが、画質も今一つで音声が途切れることもあり、その内にあまり使わなくなった。しかし、背に腹は代えられずということで、SkypeとZoomというシステムを使ってみたのであるが、予想外に性能が向上している。
 特にZoomは先方がソフトを準備する必要もなく、資料画面の共有等も極めて容易である。昔の知識からヘッドセットがあった方が良いと思い、鹿屋のヤマダ電機に買いに行ったら、たまたま一台だけ売れ残りがあったので手に入れることができた。その後、ネットショッピングで調べて見ると、納期が今月末以降となっているものが殆どである。思うに、国民の多くが、国の要請に応えて仕事のスタイルを変え始めた結果であろう。

 

 このようになると当然コロナ終息後の世の中も大きな変化が起こりそうである。今までのように東京のオフィスに毎朝夕通勤して過ごす仕事のスタイルは、見直されることになるだろう。テレワークを活用すれば、オフィスの家賃の節約にもなるし、そもそも勤務地に拘る必要もなくなるのだから、田舎に居を移す人も出て来るだろう。

 東京一極集中や地方都市の衰退の問題も、解決に向かうかもしれない。何しろ関東圏の学校は当分休校が続きそうであるが、鹿児島の学校は予定通り新学期が始まっている。教育問題を含め、優位と思われた東京の利便性に大きな疑問符が付く事態となっている。

 

 コロナ終息後の世の中がどう変わるか、早く気が付いた者が大いに儲かる時代の到来かもしれない。例えば、テレワークに適した住宅の在り方や、本社機構の形態の変化(以前よりフリーアドレスのオフィス等が試行されてきたが、一気にその方向に動く可能性は大である)などがすぐに思いつく。それについて、私は一つ要望がある。テレワーク時代のノミニケーション(つまり飲み会)の在り方である。分散オフィスの有効性が叫ばれながら中々普及しなかった要因の一つはこれではないかと思う。

 会社組織や家族が分散する中で、同僚、家族、あるいは友人・恋人どうしが、手軽に遠隔地でノミニケーションができる方式の開発である。例えば東京と鹿児島の居酒屋がテレビ会議システムを介して繫がっていれば、テレワークの抱える一つの問題は解決する可能性がある。自宅待機で暇を持て余している御仁もおられると思うので、是非アイデアを募ってはどうか。これこそが、将来の社会を見据えた格好のテーマであると思う昨今である。

(稲田 達夫)