メールマガジン第89号>会長連載

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
★【会長連載】 Woodistのつぶやき(46)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 6月18日は恒例の高知県立林業大学校での講義である。鹿児島高知間の飛行機の直行便が無いため、直行便のある松山まで行って移動するか、新幹線で岡山まで行って、瀬戸大橋線を特急列車で高知に行くかを選ぶ。

 一昨年は飛行機で松山に行き、道後温泉や松山城を散策してから高知へ向かった。昨年は列車の旅を選び、丸亀市に一泊、翌朝丸亀港から塩飽本島に渡り、江戸時代海運事業で栄華を極めたその跡を訪ねた。

 今年はどうしようと早くから考えたのだが、観光案内でもよく見かける「桃太郎伝説の吉備津神社」を参拝してみようという妙案が浮かんだ。 

 

吉備津神社参拝

 神社の場所を調べると、岡山市内に吉備津神社と吉備津彦神社の二つがある。いずれも近くで、岡山駅から「吉備線」という列車で行けば良いとわかった。

 鹿児島中央駅から岡山駅に到着、ホテルに荷物を置くや岡山駅に戻り、在来線乗り場を見る。岡山駅は山陽本線などの中継駅でもあるが、明日乗る予定の瀬戸大橋線など多くの路線の始発駅でもある。案内板は多彩で、「吉備線」がどうしても見つからない。駅員さんに聞くと「桃太郎線」と表示されているとのこと。もたもたしているうちに、2、3分のことで乗り遅れて、ホームで一時間ほど待つ羽目になった。吉備津駅で降りて、「備中一宮 吉備津神社」を参拝する。

 

神社入り口
神社入り口
吉備津神社参道 「吉備津の松並木」
吉備津神社参道 「吉備津の松並木」

社殿 吉備津作りもしくは比翼入母屋造り
社殿 吉備津作りもしくは比翼入母屋造り

回廊 398mあるという

あじさいが真っ盛り
あじさいが真っ盛り

 参詣を終える。吉備津彦神社はここから歩いて行ける距離なのだが、もう遅くなり、明日の朝に回すことにした。

 

吉備津彦神社参拝

 翌朝再び岡山駅から吉備線(桃太郎線)に乗り、昨日の「吉備津駅」の一つ手前、「備前一宮駅」で降りると、歩いて数分で「備前一宮 吉備津彦神社」に到着、参詣する。

参道入り口
参道入り口
参道
参道

社殿
社殿

社殿

主祭神は大吉備津彦大神

 両神社の祭神はいずれも、大吉備津彦大神(五十狭芹彦命=いさせりひこのみこと)。「吉備津神社案内」という説明板に、「記紀によれば、崇神朝四道将軍の随一として、この地方の賊徒を平定して平和と秩序を築き、今日の吉備文化の基礎を創られた大吉備津彦大神(五十狭芹彦命=いせさりひこのみこと)を祀る山陽道屈指の大社」とある。

 

 竹田恒泰氏の「天皇の国史」に、「第七代孝霊天皇の状に、皇子の若日子建吉備津日子命(わかひこたけきびつひこのみこと)が吉備国を説得して平定したという記述がある」とある。

 

 吉備国というのは当時非常に有力な国であった。現在の岡山全域、広島県東部、香川県島嶼部、兵庫県西部にまたがっていたという。

 先ほどの「案内」にあった大吉備津彦大神がその一人であった「崇神朝の四道将軍」が吉備の国を平定したように他の地方も、この頃大和朝廷に服することになって、第10代崇神天皇の頃に、天皇家を中心としたおおよそ全国的な大和政権が確立されたようである。

 この吉備国が後に備前、備中、備後、美作になる。広島県福山市に、「備後一宮 吉備津神社」があるそうである。 

 

初代阿蘇国造(くにのみやつこ)も第10代崇神天皇の時

 一昨年の晩秋、阿蘇市一の宮町在住、山部林業山部博典氏を訪ねた。その時「国造(こくぞう)神社」をご案内戴いた。          

 「国造神社由緒略記」によると、この神社のご祭神(一ノ宮)は国造速瓶玉命(くにのみやつこはやみかたまのみこと)で、神武天皇の御孫である健磐龍命(たけいわたつのみこと)の御子である。

 

山佐木材ウッディストのたより(メルマガ版)Woodistのつぶやき(41) 2020/3/31 Vol.76)

 

 先述の竹田氏著「天皇の国史」に、「古事記に第二代綏靖(すいぜい)天皇の兄である神八井耳命(かむやいみみのみこと)の子孫について、緻密な記載があって、次に列挙する氏族らの祖であると記載されている」と、いうその多くの氏族のところに、「阿蘇の君」の名がある。

 国造神社参詣の後参詣した阿蘇神社は、主祭神が健磐龍命(たけいわたつのみこと)である。その父命(みこと)が、神武天皇の皇子の神八井耳命(かむやいみみのみこと)であると、神社由来に記載されている。

 国造速瓶玉命(くにのみやつこはやみかたまのみこと)が阿蘇地方最初の国(くにのみやつこ)に定められたのが、先ほどの「国造神社由緒略記」を確認したら、第十代崇神天皇のとき、とあった。今も続く阿蘇神社大宮司阿蘇氏の祖になる。

 

     次回は内子町まち歩き

(佐々木 幸久)