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★【会長連載】 Woodistのつぶやき(52)
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先月号では山荘での暮らしの様子を紹介した。照明などどうしても必要な電気は最小限頼らざるを得ない。それ以外のエネルギーは周辺の山で容易に採取できる薪を基本にしていることを述べた。
20年くらい前だったろうか、新潟地方で大きな地震があった。テレビなど報道では村の生活の悲惨さを取り上げ、早く道路を復旧せよとの大合唱である。もちろん生活に不便をきたし村人が孤立して困窮している。早急な災害復旧は重要だ。ただ交通の遮断により、山奥の村で石油が届かず凍えている、との報道には、不謹慎ながら思わず笑ってしまった。
なにしろ山の中に村がある、家の隣にいくらでも燃料があるではないか。何も中東から持ってきた石油を燃やす必要はあるまいにと、テレビ画面を眺めるばかりだった。
かねてせめて半分でも薪を使う昔ながらの習慣を残していれば、こんな時に困ることも無かったのだろうにと思う。今からでもエネルギーの自活やリスク管理のためにも、そのような方向に誘導すべきではないか。
10人くらいの視察団で、ドイツの森林や林業を見て回った事がある。州政府森林局の方の案内で、伐採現場や山の状況を見て回った。山の中に明らかに薪と思われる集積があった。日本でも使う掽木(ハエギ)のように木枠を作ってその中に薪を詰めてある。その上に波トタンをかぶせ、風で飛ばされないようにだろう、上に石がのせてある。聞くと時期が来れば町の人が取りに来る、という事だった。
我が国では全輪駆動の軽トラックが発達していて、田舎の人はまず必ず持っている。ドイツの街ではこういう軽便なトラックを見ることは無く、乗用車が車輪付きの荷物運搬具を牽引しているのをよく見かける。かねて取り決めの林家の山に行き、こういう牽引具付きの車で取りに行くのだろう。
ドイツの自伐林家(山を所有し、その立木を自分で伐採して出荷する)の林業事情を見聞したとき、その林家のお宅の倉庫に、手頃な薪ボイラー(温水器)が据えられ、大量の薪が貯蔵されていた。話を聞くとこれがなかなかの優れもののようだった。薪を日に何回かくべておくと、24時間お湯が供給できるようである。
私が使っているボイラーも中々優秀なのだが、基本的に産業用としてつくられてるもので、薪を焚いているときの燃焼性や熱効率は悪くないのだが、火を落としてからの保温性が低いように思う。
夕方入浴して、まだ湯温が70℃以上あっても、火を落として10時間以上経った翌朝は冬場だと40℃以下になっている。寒い朝に熱いお湯が出てくれれば幸福を感じる。一晩は持つほどの保温性は家庭用には不可欠なのだ。
写真はヨーロッパで広く普及している薪焚きボイラーの一つだが、スマートで家電製品のようだ。燃焼制御と保温性に優れているように感じる。当時おおむね1万ユーロ程度だと聞いた。我が国でもこのような薪焚きの温水器が供給され手頃な価格で買えれば、中山間地域ではエネルギー自立のために非常に有効だろう。
自然エネルギーへの傾斜から多大な負担金が発生し次第にその比率が増えつつあるが、若干の補助金でこのボイラー開発、その取得、安価で良質な薪の供給体制などの整備を図ることは有益だと思う。
このような工場が各地にあって住民が手頃に薪を手に入れられるようになれば、山の様子もずいぶん変わってくるだろうが。自分の山を持っている人は、無尽蔵に近い薪を採取できる。
SDGsという言葉が溢れている。それを推奨するおしゃれなバッジが出来ていて、木材業界で付けている人も多い。結構な趣旨であり反対するいわれも全くない。ただ二酸化炭素排出の抑制というイデオロギーは強烈で、石炭、ガソリン車、重油などを排除する、という極論に進行しがちである。
ただ我が国はほんの数十年前、エネルギーの枯渇に直面した歴史を持つ。石油の一滴は血の一滴に相当するとされ、教師の父は学童たちを連れて松の木から、石油代替の松根油(しょうこんゆ)の原料の松脂採取をしたと聞いたことがある。エネルギーの枯渇は人の生命を脅かす。単一のイデオロギーに思考を占有されることなく、真の叡智を以て国民の命と安全を守るエネルギー政策であってほしい。
自然エネルギー先進国のドイツ、オーストリアでのエネルギー自給、バイオマス利用については、当メルマガでかつて詳細に報告しているので、興味のある方はご参照願いたい。
(佐々木 幸久)