多額の補助金と対照をなす林業不振
~日本林業に中途半端な改善は無い~
我が国では、国・地方公共団体ともに林業のために実に多くの人材が従事し、かつ補助金も含め多額の公的資金が投入されている。
また、林業や木材の研究も木材学会、林学会ともに殷賑を極めている。にもかかわらず、その核となるべき林業、林産業は対照的に不振を極めている。我が国林業はどうなるのか、あるいはもうどうにもならないのか。
国産材が健全になるためには、すなわち次の実現が不可欠である。
「林業構造改善」とは文字通り「林業」の構造を改善することにある。「どの程度に改善するか」といえば、それは「国際水準に達するところまで行くしかないのであって、中途半端はないのだ」ということを今回はっきり思った。昨年訪問したニュージーランドでも、またオーストラリアでも、木材業者は日本その他の国に折あらば輸出しようとしている。彼らの達している林業、木材業の水準ならば十分可能であるし、いよいよ競争力は充実してくるからだ。しかも低廉な外航運賃がさらに促進している。
今、林業国が低コスト、優良材の生産を試み、そして着実に、仕組みとしてそれに成功したとき、その林業は強力な競争力が出来る。国外に対してはもちろんだが、国内に対してもである。すなわちその国で林業は経済原理に則って、自己増殖、拡大する。国内需要を満たした後は、我が国をはじめとする輸入国に働きかけることをやめないだろう。
我が国はこれまで木材の大量輸入国であった。これからはかつてのような大消費時代は復活するまい。しかし木材生産国から見たらとんでもない大消費、大輸入国であった「日本」の名は記憶から当面消えるまい。しばらくは我が国林業は国際的競争環境下に置かれるだろう。国産材の振興策として需要拡大以外に、林業そのものの競争力を何とか確立しなければならないのである。
我が国の森林は好きで森林になっているというよりは、古来国土保全上やむを得ず森林にしてあるという一面がある。これは恐らく最善の選択であっただろう。といってこれを国公費ですべて維持するのは不可能かもしくは余りに負担が大きい。管理統制しつつも、経済的に成り立つ林業で維持することが、私たちの先祖が発明し、維持し続けたシステムである。基本的にこの方向を私たちも維持していくことが賢明だろう。
我が国でいま流布している精緻な林業のシステムは、材価が高く、人手がたくさんあり、人件費が安かった時代に構築されたものだ。いま材価は安く、人手不足、人件費が高いという条件下にある。であればその条件に合うシステムを構築しなければならない。林業が悪いのではない。システムが悪い(条件が合わない)のだ。林業をやめるのではなく、システムを変えることを考えるべきである。
戦後植えた大量の林地が主伐期に達しつつある今、事は急を要するのである。伐採後はすぐにも更新が必要である。そのとき競争力のある林業のシステムが出来なければ、持続性ある林業は危機に瀕することになる。
我が国にはもちろん、他の国にはない悪条件がある。しかしまた他の国にはない好条件もあるだろう。他の国(オーストラリア、ニュージーランドなど今や林業先進国といわれる国々)にも好条件とともに悪条件も山ほどあったはずだ。それを様々な人が辛抱強く、時間をかけて解決したのではないか。そのとき適当なところで妥協せず、極めて科学的に、人智を尽くして、追求したものと想像する。
我が国でも遅ればせながらそれをやらなければならない。あらゆる我が国の与えられた条件を否定せず、受け入れた上で、それを科学的に分析し、分類整理し、解決する。それが林学であるはずで、誰も特にこれまで実践しなかっただけで、学問もしくは手法としては国内にあるはずである。単に小手先で対応するのでなく、根本的にシステム的に解決しなければならない。
林業の根幹が解決すれば、一応は近代産業資本である木材工業の改善は比較的容易だろう。優良な原木が比較的低廉に安定的に入手できた時代、手厚い補助もなく外材工場が全国的に盛業を極めた。
真にサスティナブルな林業再構築を
~豪州に学んだ得難い体験~
我が国林業には齢級構成に断絶がある。戦災復興やオリンピックの資材供給など色々原因があったと聞くが、一時的に良材の供給が出来にくくなった。いま七齢級くらいを中心に資源が蓄積されつつあるが、それ以上の齢級のところが断絶しており、林業木材業の苦境も、このことによるところが大きい。美しい木目を愛でる習慣が急激に薄れていったこと、我が国古来の製材技術や、建築技法に大きな変化、あるいは断絶が生じたのも、社会の変化以上に資源の枯渇によるところが大きい。Sustainableでないとは、国土・環境に大きな影響を及ぼすことがよく語られているが、林業・木材・建築産業、ひいては住文化にもこのように甚大な影響を与える。
二度とこのような資源の断絶が無い林業、すなわち持続可能な林業を再構築しなければならないのである。しかし懸念されるのは四齢級から下の蓄積(面積)が既にして極端に少なくなっている。蓄積量の増大が現在の伐採量より大きいことで、持続可能な林業として特に不安はないとされている。Sustainableという考え方は全体の成長量と伐採量の単純な引き算だけではないと考える。
齢級構成がバランスがとれていない現状は、将来の林業・林産業のために懸念するものである。
メルボルンでのホテルは中華街の隣にあり、いざとなればそこで見慣れた料理を食べられるわけで、今回ツアーは海外で感じる飢餓感は少ない方であったろう。北京ダック(らしきもの)も本当に安く、おいしく食べられた。
中華街があるくらいだから東洋人はもちろん多いのだが、不思議と日本人にはあまり会わなかった。
朝はスーパーで食材を買って安く手軽に済ませる要領も覚えた。レストランは店にもよるが、BYO(Bring Your Own)という実に便利な制度がある。その表示のある店ならば、レストランの近くにある酒屋で、飲みたいものを買って持って入れば、店の人は大概愛想よくコップを持ってきて、栓まで抜いてくれる。持ち込み料はただではないと思うが安いものだ。
驚いたのは、皆さん鞄の中に焼酎を相当量しのばせてきており、私の勘定ではその総量は一斗はあったのではないか。毎晩毎晩部屋に集まっては本当によく飲み、かつ論じ合った。
シドニーでは特に事前の視察の計画はなく、比較的フリーに行動できた。よく知っている人の提案で、1902年に建設された、すばらしい木橋(Pyrmont Bridge)を見ることが出来た。この木橋には驚き、そして感銘を受けた。
有名なオペラハウス、サーキュラーキー、ハーバーベイブリッジ、そして木橋など。歩いて、あるいはフェリーや、モノレール、電車で、おそらく市民にとっての誇りであろうこれら素晴らしいモニュメントに出会える。
あの地形の中に、思い切った世界的な土木、建築の施設を作り上げている。地理や気候を有効に最大限に活かしてることに強烈な感慨を持った。
我が国にもかつて満州国という国造りのチャンスがあったことを思い出さないわけにいかなかった。しかしなぜ日本と比較したとき、こんなに土木施設が美しいのだろう。
8人がゴルフを楽しんだ。素晴らしい体験であったらしく、みんな本当にうれしそうだった。聞けば驚くほど安いプレー料であった。
ゴルフに行かないメンバーはヤラ川のほとりの散歩と、その後冬ながら汗ばむほどの午後の陽光の中、川辺のレストランのテラスでのビール、食事を楽しんだ。色々なスタイルで、市民や観光客がそんなに高い費用をかけず楽しめる。
笑ったのは最後の夜、ホテル近くの小さな韓国料理屋でのこと。日本から持ち込んだ焼酎を残らず飲もうと持って行った。お湯割り用のお湯を持ってきてくれというのに、先方の韓国女性もシドニーに来たばかり。こちら以上に英語が通じない。一升瓶をそのまま燗するのかと思ったらしく、たらいに一杯のお湯を持って来た。
こうして13人にとって、それぞれ忘れがたい体験と思い出を持って帰国した。宮地製材の宮地さんは、帰りの飛行機に乗って30分くらい、飛びすさる大地を眺めつつ、なぜか涙が止まらなかったと言っていた。
平成10年10月23日