木構造建築の展開

社内報「やまさ」平成3年7月号掲載


大断面集成材による物件第一号

本誌今年三月号に「集成材事業のスタート」を書いてから、四か月経ちますが、その後の状況の展開がありますので報告します。

まず当初の私共の予想よりもはるかに多くの関心と、引合いが寄せられました。その一つ一つに、私共としての設計提案をする必要があります。

どのお客様も、この構法への強い期待を持っておられ、私共が十分対処しきれぬ点が多々あり、またいっぺんに集中した為、遅れ気味であり、各方面に御迷惑をかけております。

遂次案が固まり決定へ向かっている様です。更に私共の能力も高まっていけば、より早く、より良い提案ができる様になると思います。御理解、御了承賜ります様、誌面を借りお願いする次第です。

本誌表紙の写真の通り、本構造による請負物件第一号である、城山観光ホテル様のビアホール(注記:このあと9月20日に「ホルト」としてオープンする)の木造部分が出来上がりました。施工に携わっている社員達が、完成の暁には家族をつれて行きたいと言い、また既にこの建物を指定しての忘年会の予約が何件か入った、というような話を聞き、嬉しく思っています。

一日も早く全体が完成し、木造建築の良さを市民の皆さんに肌で知ってもらいたいと願っています。また同ホテルの御繁昌に少しでも役立つことができるならば、言う事はありません。

年内にはこの様にして、次々と特色ある建物が建つ予定ですので、期待して戴きたいと思います。

木構造建築についての体験発表

さて、この構法を進めていくには、解決すべきテーマが沢山あります。

先般県工業技術センター木材工業部のY部長から、木構造建築についての体験発表をせよとの御指示がありました。これはある意味で大変良いきっかけでした。

ベイマツについては、アメリカが集成材の先進国だけあり、製材所で、製材から乾燥、加工、グレーディングまで行っており、我国でもそれらを入手することができる為、国内の殆どの大断面集成材メーカーでも、かなり使われています。

しかし、今後私共が使用しようと考えているスギについては、集成材としての使用のルートが確立していないため、原木から製材、乾燥、加工、グレーディングその他の、ラミナ材になるまでの工程をすべて自ら行う必要があります。歩留り、コスト、作業上の具体的基準などデータが不十分でありました。

お話があってすぐ、折角の機会だからトコトン取り組んでみよう、そしてこれは幹部候補生スクールの一環として行う、という事に決め、約20名で担当をふりわけました。

試料はやや多くなりましたが、40年生、55年生、65年生、85年生のスギ4種類について、各100枚ずつの実大ラミナ材としました。皆が短い期間の中で作業を行い表に纏めてくれました。中村徳孫先生も三日間つきっきりでデータ整理の徹底した指導をしてくださり、20ページ近い試料集ができました。

私の発表の出来不出来は別として、自分達の手でこれだけの成果を纏め得た事に深い喜びを感じました。

まだまだ沢山の課題が残っているものの、一つの足がかりになりましたし、当日御臨席の、大学や試験場の方々も、今後の協力を約束してくださいました。

 

ウェアハウザー社

去る2月7日、日本集成材工業協同組合の主催で、大断面集成材についての技術研修があり、中村先生と共に4名で参加し、有益な勉強会ができました。同組合の貝本理事長(当時)にも久しぶりにお会いし、色々お世話になっている御礼も申し上げ、また学界、業界の著名な方々にも御挨拶ができ、大変有益でした。

この日、世界最大の木材会社であるウェアハウザー社の集成材事業部長であるポール・ゴーベル氏が、ゲストスピーカーとして来ておりました。通訳付きで約一時間、講話がありましたが、わかり易く、納得性のある内容だったと思います。

一日の勉強会が終わって懇親会があり、ゴーベル氏も通訳の人と共に参加されました。お二人を囲む沢山の人の輪は少なくなった頃合いを見て近寄りました。

私達としては、必ずしも平静な気持ちではありませんでした。三月号の巻頭言、あるいは昨年6月号「日米構造協議」に書いたように、アメリカの集成材メーカーの力、コスト競争力については色々と話を聞いておりました。一昨年暮れから昨年4月下旬まで続いた、いわゆる日米林産物協議の経過については、この新規事業の死命を制する事として、私としては重大な関心を払い続けて来ました。どんな形かわからないものの、この事業に進出した以上は、アメリカのメーカーと何らかの関り合いができる、もしくはつくる状況が生まれないでは済まないと思っていました。そして新聞記事等から受けるイメージから言って、この関り合いは余り愉快なものではない予感がしていました。

いずれにしても挨拶だけは通しておこう、そういう気持ちでした。通訳の人に名刺を差し出しました。名刺をしげしげと見ておられましたが「ないな、高山な。あたや大根占やっど。」という言葉が返ってきました。この方は、ウェアハウザージャパン社の長浜部長でした。

何と同じ肝属郡の隣町、大根占出身という事です。あの時の驚きを、恐らく一生忘れる事は無いでしょう。ひとしきりお互い自己紹介し、共通の知人を確かめ合った後、同氏が、私達4人をゴーベル氏に紹介してくれ、にぎやかな事になりました。極めて遠い存在だった同社が、一気に身近な感じになりました。人との出会いの不思議さ、玄妙さ。

 

アメリカ訪問

それ以来、何度かのやり取りを経て、この余りに大きな会社とささやかな取引が始まりました。

家具の山佐は海外との直取引に永年の実績を積んでいますが、木材としては初めての経験でした。長浜部長には随分力を入れて戴きました。過疎と言われる郷里で頑張っている我々を健気と思ってくださったのか、或いは皆の真剣さだけは買って、今後更に伸びると見てくださったのか。

そうこうするうちに、アメリカ行きの話が急浮上して来ました。いささか好意に甘える懸念はありましたが、私としては是非行きたい、そしてそれは私一人ではなく、担当者もつれて行きたいという判断でした。私を含め5名のメンバーによる視察は成功だったと思っています。

仕事上の事は勿論ですが、アメリカ社会の健全さ、暮らし易さという事を知ったのも有益でした。物が極めて豊富でしかも結構つましく、礼儀正しい社会生活。色々な問題もあると聞きますが、しばらく住んでみたい気持ちになる、そういう体験をした一週間でした。

木造の校舎、庁舎を壊して、次々に鉄筋コンクリートに置き換えてきた日本のこの何十年かと思いますが、もしそれを近代化と言うならば、日本の方がはるかに近代化と言えるでしょう。しかし、ホテル、レストラン、空港ビル、工場の建物、はては道路のガードレール支柱まで沢山の木造建築物の中に取り巻かれた環境に寧ろホッとした、異郷にも関わらず懐かしさを感じる程でした。

 

山佐木材はいま何をすべきか

この10月で山佐木材としての第一次三ヶ年計画を終了し、いま長期十ヶ年計画の策定にかかろうとしています。良い時期に訪米したと思っています。国際分業という言葉も、これまで言葉でしか知りませんでしたが、これも現実の事として取り組む社会環境下にあります。同時に私達が取り組んでおり、更に促進していくべき地元スギ材の需要拡大、これ等についても大きなヒントを得たように思っています。

21世紀に向けて、意識の面でも、行動の面でも大きく脱皮をしていく時期にさしかかっている事を認識し、私達はいま何をすべきか考え、そしてそれを一つずつ着実に実行していかなければならないと考えています。

社内報「やまさ」平成3年7月号掲載

代表取締役 佐々木幸久