利用現場から見た丸太素材について

一般社団法人 日本木材学会九州支部「木科学情報」28巻2号(2021)掲載


はじめに

 平成元年(1989年)当時、構造用集成材とこれを用いた木造建築(非住宅大規模木造建築)事業を始めたいと真剣に検討していた。その頃幸運にも大学を定年退官されたばかりの中村徳孫先生(宮崎大学名誉教授)に、さる人の紹介で出会うことができた。2、3度工場にご来訪戴き、引き続き長期的定期的なご指導をお願いしてご快諾いただいた。このような第一級の指導者を得たことが、わが社事業進捗に当たって、幸運の第一歩だったと考えている。

 社内検討会で集成材の樹種をスギにしたいという声が上がった。かつて若い社員たちを中心に作った社是の中に、「地元に密着した仕事を通じて郷土に活力をもたらす」という一条があり、これに叶う提案として真剣に考慮していくことになった。ただこれは中々に面倒なことだと後に思い知った。構造材としてスギを使うのは鹿児島県、宮崎県の一部でしかなく、構造用集成材としてのデータは無かったと言っても過言ではなかった。ラミナ製材の歩留り、乾燥歩留りなどのコスト面、材質など様々なデータを自分たちで作るしかなく、中村先生の指導が実に不可欠だった。

 

1. 樹種と材質

 まずスギの材質が、構造用集成材に適するか否かが重要課題の一つだった。

 当時工場に搬入される丸太はおおむね30年生から40年生くらいのものが中心だった。これらの丸太から作ったラミナは、当時のJASで、集成材の外層ラミナに適するものが十分に得られず、しかも内層にも使えない材質のものが、10%近くもあっただろう。

 樹齢が高くなれば材質が高まることは、当時でも現場の知恵として共有されていたので、いざとなれば外層部分には樹齢の高い材を使えば良いではないかと調べたのが【図1】である。

【図1】樹齢別ヤング率データ(山佐木材調べ 平成元年)
【図1】樹齢別ヤング率データ(山佐木材調べ 平成元年)

 

 なお、試験体数が少ないので、【図1】の縦軸、横軸の数字は外している。

 この時の調査で、スギでも100年生くらいになれば、ヤング係数が100を超えるだろう事は十分に推測できた。

 現在の林業では樹齢50年前後で伐期が来たとして、ほぼすべてを皆伐し、再造林するのが、「伐って植える」という表現で、資源循環の代表的なものとして奨励されているようである。

 ただ私はこれに3つの理由から異論があって、せめて半分程度は長伐期施業にした方が良いと考えている。理由の一つは先述のように、スギの50年生はまだ若過ぎて、その性能を十分に発揮できていないとういことだ。もう少し山に置いておいてくれれば、実力を発揮できるのにと、スギの木が悔しがっているような気がする。理由のあと一つは樹齢数十年を超えても、適度の密度管理が出来ていればだが、100年前後まで樹木は旺盛に生長し続けるということである。理由の三つ目は、人手不足はこれからもますます強くなり、植栽まではどうにか出来ても、施業方法が抜本的に改良されれば別として、その後の保育はまず実施不可能になると思われる。また現場では若樹木の獣害が甚大であると聞く。皆伐を半分程度に抑えて、せっかく先達が苦労の上植林してくれた山を択伐して稼ぎながら長期に育成した方が、収益性を含めて森林林業木材産業が長期的に有利と考えるものである。

 

2. 構造用集成材樹種スギでJAS認証

 当社は樹種をスギとする構造用集成材でJAS認証を受けたが、奇しくもこれは全国で第1号となった。この時一つのエピソードがあるのだが、認定機関の担当者から、アドバイスがあった。最初からスギで申請すると、スギ構造用集成材としてこれが全国初の認定となり、審査の先生方が興味半分、心配半分で、様々な意見を出され、認定上は本来必要でないデータなど相当の要求をされるだろう、それはとんでもない手間と時間が掛かる、最初は一般的なベイマツで認定を受けて、その後樹種追加でスギを入れる方がよいというのである。現実的にはベイマツのJAS認定も必要だったので、アドバイスに基づき本申請を行い、その後樹種追加することで、認証作業はスムーズに進行した。

 ただ当時のスギの丸太価格は高く(※参考)、それを製材して作るスギラミナはベイマツに比べて非常に高いものになった。生材粗挽き時点のスギラミナとベイマツKDS4S(乾燥後4面をカンナ仕上げしたもの)ラミナと、m3単価がほぼ同じになってしまう。これを乾燥してカンナ仕上げした後比較すると、ベイマツの倍近くになったのである。材質も含めて輸入のベイマツラミナとまるで勝負にならなかった。

 それでも町有林などを伐採してスギで作るという事例が時にあった。しかしこれはあくまで少数派で、注文の殆どはベイマツ仕様だった(あるいは予算上ベイマツにせざるを得なかった)。

 ただスギ利用については、当時スギ林の量的質的充実が話題となっており、その利用に関して行政や林業関係者の関心も高かったのだろう、連日全国から工場視察者が絶えなかった。今では想像もつかないが、年間2000人近くの人が訪れた年もあった。自治体などの内証も今よりずっと余裕があったのかもしれない。

 本格的にスギ利用が始まったのは、スギ丸太価格が輸入材とほぼ並んできた平成20年(2008年)あたりからであったろうか。スギの材質が輸入材に比べて低いことから、使用材積が若干多くなる(20%ほど増える)のだが、当時のスギユーザーには、その増加分くらいは費用負担しても構わないという許容性があった。

 この時期鹿児島市内で集成材の専門家の方が講演されたのだが、スギの構造用集成材利用について、「今思えば、先見の明があったといえる」と発言された。つまり当時それほどスギ利用が専門家には意外だったということだろう。ちなみに当社が手掛ける木造建築は、現在スギ仕様がほとんどである。

 

※参考 

 試験に用いた丸太と、当時の入手価格 平成元年(1989年)

 40年生 32,000円

 55年生 35,000円

 65年生 36,000円

 80年生 41,000円

 

3. 適正な年間伐採量について考える ー有効林率と再造林率-

 数年前九州の林業地(過疎地)において、九州の経済団体が主催する林業研究会があった。この頃九州地区における活発な伐採の現況は、ひょっとして過伐状態にあるのではないかとの懸念が一部にあったようである。この懸念を踏まえてこの研究会の指導者の方が提示されたのが、【図2】であった。

 

【図2】 九州林業県の針葉樹生産量

 

 そして現状評価として、「1ha当りの伐採量が10m3を切っている。1ha当りの年間成長量は10m3を超えていると考えられるので、現状過伐とは言えないのではないか」と発言された。これに対し私はその場で挙手して疑義を申し上げた。それは私の地元の森林組合幹部から、「7割の森林では積極的な林業活動は行われていない。森林組合が補助金や手入れの話をできるのは、山主の3割くらいだろう」とかねがね聞いていたからである。しかも状況は年々悪化しているという。

 後継者不在や相続の不備から、「森林のきちんとした所有」という森林保全上きわめて重要なことが、実は地方の過疎地では既に崩壊しているのである。一見すると普通に森林の姿をしているけれども、実際には伐りも出来ぬ、手入れも出来ぬ、売りにも出来ない山が、私有林のなんと7割を占めているというのである。森林組合がかねがね連絡できている3割の森林が実際に活きた山で、これを「有効林」と呼べばいいのではないかと考えていた。

 その有効林という言葉で提案者の先生に、分母を全人工林面積ではなく、有効林面積を置くべきではないか。その有効林面積から毎年生産される数量で伐採量の適否を検討すべきではないかと申し上げたのである。

 余り参加者の関心を呼ばなかったようで、その時議論にはならなかったが、私は「持続可能な林業」にまで考えを進めると、有効林率に更に「再造林率」をも併せ考える必要があると思うに至った。

 

 持続可能な森林は人工林だけで考えると、次のような形になると思われる。

 ◇持続可能な森林面積=人工林面積 × 有効林率 × 再造林率

 

 この考え方を基に、持続可能な森林がどのくらいあるのか、検討出来るのではないか。ただ私には実態を調査する能力も手立てもないので、あくまで机上の検討である。

 

 検討の前提

 有効林率:私の地区の30%は余りに低いと思われるので、一応50%で仮置き。

 再造林率:鹿児島県は40%台だが、やや過小と思われるので、一応80%に仮置き。

 ◇持続可能な森林面積=人工林面積 × 有効林率50% × 再造林率80%

 

 これを基に【図2】を書き換えてみたのが、次の【図3】である。もしこれが事実に近ければ、明らかに過伐と言える状況になっている。そして先ほど仮定した再造林率80%は、特別な地域を別にして、一般的地域ではここまで高率ではないだろう。再造林率を高めることと並行して、有効林率を高めることも考えないと、再び国産材の枯渇という残念で深刻な事態を、割と近いうちに招くのではないかと懸念している。

 研究者の方々にはこのような視点もぜひ併せ持って戴きたいと願っている。

 

【図3】 九州林業県の持続可能林からの木材生産量(佐々木仮説)

 

4. 研究者の方々への小さな提案

 30年余り木材会社の経営に携わってきた。経営には当社のような小企業であっても、今を見る目と、先行きを見る大きな目が必要である。

 先行きを見る大きな目を、私は「ヴィジョン」という言葉で把握すると良いとある時考えた。ヴィジョンという言葉を使ったのは、先行きが眼前にありありと見えるほどに思い浮かべることができる、というほどの意味合いである。先行きが眼前に浮かぶためには2つの要素が必要である。一つは予測であり、これは情報(大量の)とその分析から成立する。もう一つは決断であり、これは判断と決心から成立する。分析と判断は似ているようだが、全く異なるもので、分析は客観的で、冷静沈着で、透徹していなければならない。判断は好き嫌い、自分あるいは自社に向く向かないを含めて甚だ主観的である。これを混同することで、しばしばことを誤る。予測と決断の二つに加えて、人生をかけて悔いない「ロマン」を足せば、私の言う「ヴィジョン」の出来上がりである。

 もちろん研究の世界が事業と同じであるなどと主張する気は豪も無いのだけれども、2つ目が必要なのは共通するように思う。

 林学木材学の研究者にとっての大きな目は、我が国林業木材業の行く末や、圧倒的に劣位にある国産材の国際的な競争力をどう高めるかなどの大テーマを見るもので、これを地図か海図で表し、林学木材学の研究者間で共有する必要がある。その大きな地図の中で、それぞれの研究者がその立ち位置を確認、その上でそれぞれが専門的、分野別に高度に先進的な研究が進歩して行けば良いのではないかと思う。

 先般の研究会でいくつかの質問を受けながら、専門分野では活発に研究活動が行われながら、林学木材学全体像の中で、少し自らの立ち位置を見失っておられるのではないかと感じた。その感じから敢えて蛇足を付したことをお許し戴きたい。

(佐々木 幸久)