論点(7)ベンチャー魂をはぐくむ

「南日本新聞」平成16年(2004年)8月6日掲載


 先回、菱垣廻船復元のことを書いた。偶然にも大阪での見学の翌年、今度はスイスでガレー船の復元作業を見学する機会を得た。違う意味でこれにも大変感銘を受けたので紹介したい。このようなプロジェクトをなすに当たっての彼我の違いが見えて面白い。

 スイスでは当時、記録的な建設不況が続いていた。このガレー船復元プロジェクトは職を失った建築技術者、例えば大工の仕事を確保しようと、地区の有力者たちが出資して事業を始めたものだという。ローザンヌの近く、レマン湖畔のモルジュの町に復元のための仮設造船所が置かれた。

 船の大きさは190トン、ルイ十四世当時の図面に基づき正確に復元するが、若干の近代文明の恩恵を取り入れている。例えば水濡れ防止のために板と板の継ぎ目に合成樹脂を詰めたり、キール(竜骨)に集成材を使ったりなどである。

 事業のためにスポンサーを広く募り、応募した企業の大きな看板が十以上も掛かっていて、電動工具で有名な「マキタ」の看板も見えた。現場では当然、同社提供の工具が使用されただろう。

 見学料5ドルを支払う。作業場内の食堂では見学者たちもワインや簡単な食事が取れるし、売店でさまざまな記念グッズも買える。最も人気が高く、人が群がっていたのは漕ぎ手募集の受付ブースで、既に二千人が申し込んでいた。歴史的戦艦に乗ってアルプス山中の湖で櫓を漕ぐ。実に魅力的なロマンあふれる話で、私たちの同行者からも二人が思わず申し込んだ。

 体験乗船は有料で建造費に充てられる。抜け目のないことに、結構な値段でイベント後のこの船の売却交渉を進めているという。仕事のない大工たちに仕事を、そして人々に得難いガレー船体験を与え、投資は利回りを得て回収される。何というベンチャー魂だろう。

 一方、菱垣廻船の復元も誠に意義深い試みであった。ただこのプロジェクトは徹底して官の論理で行われた。資料への忠実さはガレー船の場合より上だったが、当然ながら建設費はすべて税でまかなわれ、膨大な金額に上った。

 完成後にかつての航路を就航させたいと願う人たちは陳情や運動を熱心に行った。実現したら大勢の人たちが応募したはずだ。それは貴重な歴史体験、感動となっただろう。しかしこの試みは諸々の法規をたてに許されなかった。もちろん万一事故が起こったら一大事だし、マスコミも大騒ぎだろう。とはいえ、あれだけのものをただ博物館に飾るだけというのは国家的損失だったと今でも惜しい。

 回転ドアで子供が死亡するという痛ましい事故があった。事故の後の反応はすさまじく、関係者は激しい非難を浴びた。鹿児島でもあの雰囲気のなか県内すべての回転ドアが閉鎖されたことだろう。

 いち早く「ガイドライン」なる文書が発表されたという。まだ母親の涙も乾かぬこの時期。子供のしつけや親の責任など、誰にも言えない。限りない安全性の追求、それには誰にも反対できない。しかしながら、そこにおのずからあるバランスが必要だろう。危ないからと、すべての池にふたをすることはできないのだから。

 十数年前、木造建築の基本的解禁という、政策の大きな軌道修正が行われた。わが国でこれほどの大きな価値観の転換に至ることは少ない。同じ価値観の延長線上で法律の修正や手直しで物事は進んでいく。そしてことはより細かく次第に閉塞していく。この法令改正の影響は非常に大きく、わが国建築の風景が大きく変わった。

 たくさんの魅力的な建築が木造で造られ、多くの技術の進展やビジネスチャンスをもらたらした。この選択肢は正しかったといえるだろう。しかし、この軌道修正は内発的なものでなく強い外圧によるものであった。外圧無くして現在がないとするなら、国民の真の願いはどう実現できるのだろう。

 どういう社会が私たちにとって本当に好ましいのか---この近代民主国家として絶対必要と思われる議論を総合的、具体的に行う役割をわが国で誰が担っているのか。

 新しい材料、工法はわが国では主として実績が無いなどの理由で拒否され、認可のハードルは極めて高い。さてその結果、画期的な発明の多くは海外でなされ、ビジネスとして確立した後、その実績を元にわが国で認可される。こちらは後の祭りである。

 私たちの社会や生活の在り方についての本質的な考察と議論の場が必要だと提言する次第である。

(代表取締役 佐々木幸久)