論点(9)「地材地建」運動で地域おこしを

「南日本新聞」平成16年(2004年)10月18日掲載


 地域の活性化は地域に住む私たちの心構えや意欲に負うところが大きいだろうと思う。地域産業に携わる私たちが元気で頑張り、それが地域の活性化にささやかながらでも貢献できているとすればやりがいもあるというものだ。

 一方、世に面白い言い方があって「魚を捕ろうと思えば魚のいるところに行くしかない」という。ビジネスの一面の真理を突いている。ただこの考えの行き着くところ、「魚のいない」地域はますます厳しくつらいものとなる。

 ひと昔前に比べると、地方の暮らし向きも相当に向上し、快適になった。このことは私と同世代、その上の世代にはまず異論あるまい。ただすう勢は都市部への人の流れはやまず、少子化も相まって田舎から人はどんどん減っていって、街によっては近い将来の道筋も見えないほどの状況だ。

 上京の際、本屋に行くと田舎暮らしや農業のコーナーがあってこれが結構充実している。都会暮らしが長いと田舎暮らしに渇望の思いを抱く人も多いらしい。私の知人にも首都圏の生活を畳んで長野県の高地に移り住んだ人が人がいる。

 どこか適当な土地があり、価格もそこそこ手ごろなら、「移り住みたい」予備軍は結構な数になるに違いない。しかしいざ探すと、よほどのつてがあってもおいそれと手ごろなものは無く、またいざ買いに入るとこれが結構高い。

 逆に郷里を離れているなどの事情で田舎の土地や山を売りたいという人が、売る段になると捨て値同然を言われ呆然とする。これらのことを「売値、買値」といい、売り買いの際の理不尽なほどの二重価格の現状を言い表している。売るに売れない買うに買えない現状で、真に困っている人は多い。

 「売りたい人には売りやすく、買いたい人には買いやすい」公正なマーケット。その必要性は山だけでなく、農地や中古住宅についても同じかもしれない。

 地方の暮らしが望ましいとしても移り住むためには現状ではかなりの決意を要することは間違いない。たつきのための仕事のチャンスが決定的に少ないのである。

 ヨーロッパの山中をバスで移動していたとき、あるかなり大きな村落で、村中の家が屋根も壁も薄い、鱗のような石板でふかれていた。独特のデザインが私の目には一種異様な風景に映り、強烈な印象を受けた。休憩でバスが止まり、しばらく眺めているうちに「家造りというのはこういう事なのだ」と豁然と悟るところがあった。

 その地域に豊富にあるものをふんだんに使って、代々その地域独自の家造りをする。それがその町独特の風景になり、独自の住文化をつくるとともに、地域の人たちのなりわいも形成する。

 旅行者の印象ではあるが、ヨーロッパの田舎では暮らしを守り支えようとする、何かきわめて強固な、頑固なまでの意思を感じる。

 最近よく耳にする「地材地建」という名文句は、当時の県庁林業振興課長が林業振興や間伐促進のため発案された言葉と聞いている。従って出自からこの「材」は木材の材である。「認証かごしま材」という地材供給システムもこの延長から作られた。

 しかし当然のことながら、家は木材のほかにも瓦、煉瓦、石材、タイル、土、畳、建具、紙など沢山の材料で出来ている。これらの建築材料を「地材」として、全県的に「地材地建」運動をすすめれば地域おこしとして効果的だろう。かつて家造りは地域の材料を用い、地域の技能者で作るなど典型的な地域産業の一つであった。

 「地材」としての品質規格の制定や競争力向上のために県の研究機関の支援も必要だろう。運動を進める行政からの仕掛けとして「地材」使用を奨励するシステムを構築できる。「地材」の使用率から「地材率」という指標を作り公開すれば建設会社の地域貢献度合を判断する尺度となるだろう。

 街頭でたばこを吸うことを禁じる画期的な条例が出来た。民の力でどうやっても実現できないことがそれは良くないことだと行政が表明することで事態が進展する。

 間伐も財政に余裕があるときは補助金の大盤振る舞いで一定の効果が上がった。財政難の今は「山を持ちながら間伐しないのは良くないこと」と行政から法の形で明瞭なメッセージを送ることだ。

 補助金など必要ないのだ。古い規制は捨て去り、民の真の声を聞き、面を冒して必要な新しい仕組みを作り、民間の力を引き出す。それが新しい時代の行政である。

(代表取締役 佐々木幸久)