メールマガジン第136号>稲田顧問

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

★【稲田顧問】タツオが行く!(第92話)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「これまでのタツオが行く!」(リンク

92.紀伊半島

 

 5月24日から26日にかけて、妻と紀伊半島を旅行した。半島と言えば、房総半島や伊豆半島、三浦半島などは関東に永く住んでいたので度々訪れたことがある。また能登半島も何度か旅したことがある。大隅半島は住み始めて9年になるが、半島巡りをして感じるのは、多分海の影響なのだと思うが、その半島の地図上の位置に関らず自然・気候・文化・作物などになぜか共通点があるということである。ただ、考えて見ると紀伊半島だけはこれまで行ったことがなかったので、大手旅行会社の「熊野三山・高野山・伊勢神宮 はじめての紀伊半島3日間」というツアーに参加することにしたのである。

 7時54分の新幹線で新横浜を出発し、約1時間半で名古屋に到着、バスで伊勢路を進み、最初に訪れたのは伊勢神宮内宮である。伊勢神宮は内宮と外宮があるが、今回のツアーは内宮のみの参拝である。江戸時代には「一生に一度はお伊勢参り」ということで、多くの庶民が伊勢神宮を目指したとされる。伊勢神宮には古来より、20年ごとに社殿を新しく建て替える「式年遷宮」が続けられており、伝統と技術を継承する貴重な建築物である。 

 伊勢神宮に到着すると、多くの江戸の庶民もそうしたであろうように、「おかげ横丁」で昼食、具体的には「伊勢うどん」と銘菓「赤福」を頂く。その後案内人の誘導の元、伊勢神宮の表玄関である「宇治橋」を渡り、伊勢神宮内宮を参拝する。

 伊勢神宮内宮は、幾重にも張り巡らされた塀の中にあり、外からは社殿は垣間見ることもできない。ちなみに伊勢神宮の内宮の本殿を参拝できるのは、天皇陛下と上皇陛下のみとのことである。秋篠宮殿下や愛子内親王殿下は一番内側の塀の外からの参拝となるのだそうである。我々庶民は江戸の昔から、一番外側の塀のさらに外からしか参拝は許されない。ちなみに伊勢神宮内宮に祭られているのは、天照大神であり、万世一系の天皇家のルーツはここに始まるのである。

 現代版「お伊勢参り」を済ませたあと、伊勢路をさらに南下し一路那智勝浦へと向かう。那智勝浦町は、那智の滝で有名な那智山の門前町であり、熊野三山の観光拠点の一つである。

 熊野三山とは熊野那智大社、熊野速玉大社、熊野本宮大社の3つの社殿のことである。今回のツアーの目的は、伊勢神宮よりさらに奥に鎮座する熊野三山の参拝であるが、熊野三山の参詣道、別名「熊野古道」を辿るのも大きな目的の一つである。熊野古道は山岳信仰の霊場としても知られ、参詣の他、修行の場としても有名である。我々が辿った伊勢路は、江戸時代以降整備された参詣道であり、総延長200km弱である。海岸沿いの比較的平坦な道ではあるが、徒歩で往復すれば半月以上はかかる距離である。熊野三山の参詣道は伊勢路以外に、京都や大阪からのアプローチとなる紀伊路がある。紀伊路は標高1000mの高野山を超えるルートであり伊勢路とは異なり険しい山道が続く。途中で体調を崩し挫折した人も多かったようである。紀伊路の総延長は300km以上もあり、山道であることを考慮すると往復に一か月以上を要したのではないかと思われる

 ツアー2日目の最初の訪問地は、熊野那智大社の登り口に位置する大門坂である。熊野古道は総延長1000kmを超える参詣道であるが、大門坂は、観光客が熊野古道の実際の雰囲気を味わえるよう整備された重要な観光ルートである。案内人の誘導で大門坂を上ったあと、いよいよ熊野三山の最初の訪問地、熊野那智大社へと向かう。熊野那智大社には立派な社殿があり、それに続く青岸渡寺はかつての「神仏混淆」の歴史の名残である。那智大社に祭られている神様はだれかというと、実は人ではなく那智の滝そのものなのだという。那智の滝は我国の3つの大滝の一つであり、世界遺産登録も為されている。その滝に参拝するわけであるから、滝が眼下に見渡せる場所という事で、那智大社までは473段の階段を昇らなければならない。473段の階段の昇り降り、全体では1000段以上の階段を昇降する必要があり、今回のツアーの最大の難所ということになる。


 今回のツアーで気が付いたのであるが、世の中に存在する多くの階段は約20段毎に踊り場があり1ブロック(ほぼ建物1層分3m)を構成する。1000段は50ブロックであるから建物50層、高さ約150mに相当することになる。正直のところこの150mを昇りきることができるかについては自信は無かったのであるが、ガイドさんの巧みな話術に気を取られている内になんとか昇りきることができた。最近大雨が降ったということもあり、那智の滝は充分過ぎる水量があり、好天にも恵まれ迫力のある那智の滝を満喫することができた。

 熊野速玉大社を参拝した後、昼食、そして2日目の最後の参拝地、熊野本宮大社へと向かう。熊野本宮大社は建立されて以来、永く熊野川の支流の中州に鎮座していたのであるが、明治22年歴史的大洪水に見舞われ、社殿の一部が流失してしまった。それで残った社殿を高さ34mの現在の地に移築したのだそうである。

 かつて社殿のあった中州は「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれ、広大な敷地に立派な大鳥居が一つ残されている。大鳥居は昭和30年代の建立とのことで、よく見ると鋼鉄製である。熊野川の氾濫による大災害に備えるために、現代の技術の粋意を尽くしたのであろうことを考えると、熊野の人々の知恵の奥深さに心打たれる思いがする。

 2日目の宿で体験した面白い出来事がある。宿は川湯温泉と呼ばれる、文字通りホテルの前の河川敷に2つの露天風呂を有する老舗旅館である。露天風呂はそれぞれ男湯と女湯という意味なのだと思うが、2つの湯舟の間に仕切りがない。つまり混浴ということになるのだが、それで湯浴みを着用して入浴するよう案内板には書かれている。しかし、内湯で体を洗っていると、海水パンツを履いた外国人の男性たちが、内湯には目もくれず露天風呂に入って行く。外がどんな状況か覗いてみると、男湯と思われる方の湯舟には海水パンツを履いた外人男性と水着を来た外人女性であふれかえっている。一方女湯はと言うと湯浴みを着た日本人女性であふれかえっている。つまり、露天風呂には日本人男性が入る余地は無いのである。新しい生活様式を持った外国人の出現により、昔からの我国の永く培われてきた文化が、変貌を余儀なくされているということなのだと思う。

 3日目の最終日は高野山の奥の院、金剛峯寺、壇上伽藍を参拝し、新大阪を経由し、新幹線で夜遅く新横浜に到着した。なかなか充実した三日間であった。

 

(稲田 達夫)