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★【稲田顧問】タツオが行く!(第77話)
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「これまでのタツオが行く!」(リンク)
77.坊津(ぼうのつ)
1月30日から31日に、妻と連れ立って一泊で坊津に観光旅行をした。
坊津と言ってもご存じ無い方もおられるかもしれないので少し説明しておくと、鹿児島には大きな観光地が2つあるのはご存じの方も多いと思う。霧島温泉と指宿温泉である。霧島温泉から西に向かうと京町温泉、湧水町、伊佐市があり、その先に薩摩川内、長島、甑島、吹上浜など様々な観光地・温泉が点在する。一方指宿温泉はと言うと薩摩半島の南端に位置する大観光地であるが、周辺には知覧、池田湖や開聞岳がありさらに南下すると、その終点に枕崎がある。
さて、吹上浜から南、枕崎から西に向かうと何があるかというと、ご存じ無い方も多いのではないかと思うが、そこにあるのが「坊津」である。坊津には数年前一度訪れたことがあるが、その時は枕崎から坊津に入り吹上浜に抜けるドライブであった。宿泊したのは吹上浜近くの「中島温泉旅館」という西郷隆盛も湯治のため滞在したことがあるという老舗旅館である。本当は坊津で一泊したかったのであるが、当時は適当な旅館が見つからなかったのである。それが今回は、もう一度坊津に行ってみようということになって調べた所、「鳴海旅館」という小さな旅館を発見した。老夫婦が2人でやっておられるとのことで、1泊2食付きで一人あたり8,700円とのことであった。
朝9:30に鹿屋の我家を出発し、11:00発の根占山川フェリーで根占港を出発すると、11:50に山川港に到着する。山川港からは一路枕崎を目指し、「枕崎おさかなセンター」で「ブエン鰹漬け丼」を食べる。厚切りの鰹に複数の種類の鰹節が絡まって、贅沢な昼食である。
枕崎からは.「坊津観光案内所」を目指す。知らない土地に行く時には、まず最初に観光案内所に立ち寄り地元の方の話を聞くのが我が家の流儀である。
坊津観光案内所では、いくつかの重要な情報を得ることができた。一つは、坊津は多くの文豪が立ち寄った土地であるとのこと。司馬遼太郎、谷崎潤一郎、海音寺潮五郎、水上勉、吉川英治等の文学碑があり、特に司馬遼太郎は「街道を行く」の執筆のため、何度も訪れたことがあり、私たちが予約した「鳴海旅館」を定宿にしていたとのことであった。また、坊津にはかつて安藤広重(歌川広重)も訪れたことがあり、「薩摩坊の甫双剣石」という風景画が有名とのことである。
二つ目は、西暦753年、唐の高僧鑑真が幾度もの苦難を乗り越え、日本に辿り着いたのが坊津秋目甫とのこと。奈良時代に唐の先進文化を伝えてくれた原点が坊津にあるのだと言う。上陸地には鑑真記念館が建立されている。
三つ目は「フランシスコ・ザビエル」が日本に辿り着いた最初の地も、坊津であったとのことである。ザビエルは、「この国の人びとは今までに発見された国の中では最高であり、日本人より優れた人びとは、異教徒のあいだでは見つけることができない。彼らは親しみやすく、一般に善良で悪意がなく、驚くほどに誇り高い人びとである。」と述べ、スペイン国王には「日本を侵略・占領するような企ては決してしない方が良い」と進言したとのことであった。
さて、このような歴史の舞台でもあった坊津であるが、かつてはどのような土地柄だったのか。観光案内所で頂いた資料によれば、特に江戸時代は鎖国により海外との交易の途絶える中、島津藩の庇護の元、密貿易が盛んに行われ、坊津は海外の物産で賑わい、港には密貿易で富を得た大商人の商館や邸宅で大いに栄えていたとのことである。
さて、歴史の話はともかくとして、我々は取り敢えず「鳴海旅館」に向かうことにする。鳴海とは海の鳴る音が聞こえるという意味のようで、海岸の縁に立つ三階建ての小さな旅館である。部屋はツインのベッドルームで海の見渡せる窓際にはソファーベッドが置いてあり、絶景をみながら寛ぐことができる。日本海側の特徴の一つは、日の入りの眺めが美しいことである。日没時間は午後5時50分とのことだったので、ビールを飲みながら、日の入りの風景を満喫することにする。写真は妻が日没5分前に撮影した窓からの眺めである。
翌日は、観光案内所でもらった観光パンフレットを頼りに、坊津の街を散策してみることにする。勿論、江戸時代の密貿易の商人の邸宅などは残っているわけも無いが、当時の面影は街路の石畳に残っている。幅1.5m程度の狭い道であるが、石畳の路地が縦横に広がっており当時の栄えた街の面影を思い起こすことができる。
1時間程で坊津の港の最奥に辿り着く。坊津の港が一望できる景勝地と書いてある。確かに素晴らしい眺めではあるが、ふと裏山を見ると展望台が見える。どうも坊津が一望できる景勝地とはその山の上のようである。高さは30mほどあるが意を決して登ってみることにする。そこで撮影したのが、2枚目の写真である。
我国にはまだまだ知らない観光地があることを思い知った二日間であった。
(稲田 達夫)
